30,明日の予定
シャノンは今日も夕食の分まで作り終えて氷室に保存すると、さっさと自分は帰り支度を始めた。朝食はついでにようにここで食べていくが、それが終わるとこいつは長居はすまいとすぐに帰ろうとするのだ。
わたしは玄関先までシャノンを見送りに来ていた。
「食後のお茶くらい飲んでいけばいいだろうに。茶くらいならわたしでも入れてやれるぞ?」
「悪いがおれもそれなりに忙しい身なんでな。こんなところで油売ってる暇はねえんだよ」
と言いつつ、シャノンは自分の
油を売るどころかわざわざ料理作りに来てるのはどこのどいつだ? と思ったが口には出さなかった。
……機嫌を損ねられて来るのをやめてしまったら困るからな。割と切実に。
と、そこでふとわたしは明日の予定のことを思い出した。
「そうだ。実は明日は用事があるんだ。だから明日は料理は作りに来てくれなくても大丈夫だぞ」
「ん? そうか? なら明日はやめとくか……って、誰もまだ明日も来るなんて言ってねえだろ!」
シャノンは急に照れたように怒った。それから、わたし自身も、さも明日もこいつが来るのが当然のような態度を取ってしまったことに気付いた。
それに気付いたわたしは、自分で自分に苦笑してしまった。
「おっと、そうだったな……悪かったな。てっきり明日も通い妻してくれるんだとばっかり思っておったわ」
「誰が通い妻だ!?」
「冗談だ、冗談」
シャノンの反応が面白かったので、わたしはついくすくす笑ってしまった。
すると、シャノンにじろりと睨まれてしまった。
「オ、オレはだなぁ、あくまでもお前の監視に来てるんであってだなぁ……べ、別にお前の家庭事情を心配してるとかじゃねえんだからな? そのへん勘違いすんじゃねーぞ?」
「分かっている。そうだな、わたしは危険な魔王の生まれ変わりだからな」
「ふん、分かってりゃいいんだ……で、その、なんだ。明日の用事ってのはなんだ? あ、いや、別に興味はないがお前の行動は元勇者として把握しておく必要があるからな。それだけだ」
「ああ、それなんだが……なんか知らんがヨハン・マギルに食事に誘われたんだ。アンジェリカがその言付けをわたしに持ってきた」
「……は? ヨハンが、お前を?」
まったく予想していなかった名前が出てきたからか、シャノンは少々間抜けな顔になっていた。
わたしは頷いた。
「よう分からんがヨハンの方からドーソン家に仲介の依頼があったらしい。で、アンジェリカがわたしにほぼ決定事項のようにその話を持ってきた」
「……お前、ヨハンとそんなに親しかったのか?」
「いいや? あの式典で一度顔を合わせただけだが?」
そう、わたしはヨハンと一度しか対面していない。それもあまり長い時間ではなかった。だから、ヨハンがわざわざわたしを誘う理由がまるで分からないのだ。大貴族の御曹司なら女には事欠かないだろう。わざわざ小貴族のわたしに声をかける理由が何も思い浮かばなかった。
わたしは唸った。
「だから、正直わたしも困惑してるところだ。なんでヨハンがわたしを誘うのか理由がまったく分からんからな。別にうちは政治的に利用価値もないし……」
「……ええと、お前、誘われた理由が分からないってのは本気で言ってんのか?」
「うむ。さっぱり分からんな」
「……」
わたしが頷くと、シャノンはなぜか変な顔をしてしまった。
……なんだ? なぜそんな顔をするのだ?
「……一つ訊くが、お前、自分で自分のこと〝美人〟だと思うか?」
と、急にそんなことを訊かれた。
わたしは思わず笑ってしまっていた。
「おいおい、いきなり何を訊くのだ。わたしみたいなヒョロガリで顔色の悪い女が〝美人〟なわけないだろう? 〝美人〟っていうのは腕っ節の強い女のことだぞ? 今のわたしなんて下の下だ。誰も見向きなどせんよ」
「そりゃ魔族の感性で、だろ? 人間の感性的にどうなんだよって話だ」
「……ん? 人間だって似たようなものではないのか? というかそれが普通の判断基準だろう?」
強い=モテる。これは魔族に限らず自然界では当然の判断基準のはずだ。どんな魔獣だって、あるいは動物だって、それは同じだろう。弱い個体が子孫を残すことなどできないのが自然の摂理だ。そうでなければ種が弱くなるだけだからな。
まぁそう考えると、幼少期のヴァージルに惚れていたわたしは相当な変わり者だったということになるけれど。
「……」
気が付くと、シャノンがじっとわたしを見ていた。何か言いたそうな顔だ。
……なんだ? なんでそんな顔をするのだ?
そう思っていると、シャノンはこう言った。
「……なぁ、お前って今までアンジェリカ以外に〝美人〟だって言われたことないのか?」
「父親には言われていたな。だが、その他には言われたことはないぞ。まぁそもそも昔からほとんど家を出たことがないから他の知り合いなんて皆無なんだが」
わたしがそう言うと、シャノンは何やら頷いてしまった。
「……なるほどな。何でこの顔面で今まで存在が知られてなかったのか疑問だったが、単純に知り合いがいなかったからか。そうでなきゃすぐ知れ渡ってただろうな……現に今がそうだしな――」
「何をぶつぶつ言っておるのだ?」
「何でもない。こっちの話だ」
シャノンは軽く頭を振って、話を戻した。
「で、お前はヨハンとどこで会う予定なんだ?」
「場所はマギル邸だそうだ」
「時間は?」
「午前中には行く感じで聞いてるが……」
「そうか、分かった」
そう言うと、シャノンは
その背中を見送りながら、わたしは首を捻った。
「……ええと、何が『分かった』なんだ?」
μβψ
……二人のやりとりを、アンジェリカは家の中からじっと覗き見ていた。応接室の窓からは、ちょうど玄関先が見える。ちょっと距離があるのではっきりと会話までは聞き取れないが、表情を見ることくらいはできる。
(……エリカ、何だか楽しそうね)
アンジェリカはそう思った。
エリカはとてつもなく〝
それはある意味、はっきりと言葉で相手を拒絶するよりも厄介な拒絶の仕方だ。
アンジェリカは昔から薄々、エリカが周りの人間を拒絶していることに気付いていた。そういう素振りは見せないし、一見すると愛想が良いように見えるが、彼女は誰も自分の内側に入れようとはしなかった。それがなんとなく、態度で分かった。
アンジェリカとエリカとの付き合いは、彼女の母親が亡くなった直後くらいからだ。だからもう10年ほどの付き合いになるだろう。
エリカは自分から他人に何かを要求しない。頑なに相手を拒絶しようとはしない。一見すると、相手を受け入れているように見えるような態度を取る。
……でも、あともう一歩踏み込めば――というところで、エリカはやっぱりそれとなく〝壁〟を作ってしまう。アンジェリカはずっとそのことに気付いていた。気付いていたけど、それを指摘したことはなかった。それを指摘すると、今の関係が壊れてしまいそうな気がしたからだ。
特に、それはここ最近はより顕著だった。
それは彼女の父親が亡くなってからだ。それぐらいから、エリカは以前にも増して周囲と距離を取ろうとするようになったように思える。付き合いの長いアンジェリカですら、いつものように接しているように見えるが……しかし、アンジェリカ自身は何となく以前よりも彼女との間に〝壁〟を感じていたのだ。
だが――いまのエリカが浮かべている笑顔には、その最後の〝壁〟が存在していないように見えた。
それはシャノンの方も同じだった。
今のシャノンは、アンジェリカが見たことのない顔をしている。あれだけ嫌悪していた『何を考えているのか分からない気味の悪い笑顔』ではなく――〝普通〟の顔をしているのだ。
(……あの二人、なんであんなに仲良さげなのかしら。顔を合わせたのなんて、この間の式典が初めてのはずだけど……)
アンジェリカには、二人はとても仲が良さそうに見えた。
それこそまるで、ずっと昔からそういう間柄だったかのような――そんな仲睦まじい雰囲気に見えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます