22,言い出せなかったこと

「……結局、今日の〝あれ〟は何だったんだろうな」

 夜、ベッドに潜り込んでから考えてしまった。

 朝、突然シャノン・アシュクロフトが家にやって来た。

 シャノン・アシュクロフトと言えば、たいそう女癖が悪いことで有名な第二王子らしい。そう、王子だ。王族だ。普通は王族がこんな家に来ることなんてあり得ないだろう。

 だが、やつには特別な〝秘密〟があった。

 どうやらやつは〝勇者〟の生まれ変わりであり、前世はヴァージル・パーシーだったらしい。

 あいつはそう言った上で、元勇者(自称)として元魔王(自称)のわたしを監視しに来たのだとか言い出した。

 どうやらわたしが悪いことをしようとしていないか疑っているようだ。

 まぁそれは分からんでもない。〝最後の魔王メガロス〟という存在はあいつにとって諸悪の根源なわけだからな。あの人魔大戦の全ての元凶とされているのだから、さぞ恨んでいることだろう。

 ……ただ、あいつがわたしに対してやったことと言えば、一方的にメシを作ってわたしに食わせただけだ。しかも昼食と夕食分まできっちり作り置きしていた。(もちろん食べた)

 ……何がしたかったんだ、あいつは?

 さっぱり理解不能だ。しかも『明日、また来る』とか言っていたし……マジで訳が分からん。

 もしあいつが本当にヴァージルの生まれ変わりなのだとしたら、〝魔王〟であるわたしは憎い仇のはずだ。

 人魔大戦は全てメガロスが始めたことにされている。

 だとしたら、あいつだってわたしが憎いはずだ。なぜならあいつにとってわたしは〝魔王〟なのだから。

「……本当にヴァージルの生まれ変わりなのか、あいつは?」

 どうなんだろう。

 わたしにとって馴染みがあるのは幼少時代のヴァージルだ。

 15年ぶりに再会した〝勇者〟のヴァージルは、わたしが知っているあいつとはまるで別人のようだった。でも、あの悲しげな瞳の奥には、確かにかつてのあいつの面影があった。確かにあったのだ。

 だが……あの男――シャノン・アシュクロフトにはそれらしい面影を感じられない。生まれ変わっているのに面影もクソもないだろうと言われたらそれまでなのだが……でも、もし本当に生まれ変わりなのだとしたら、どこかに面影は残っているはずなのだ。良くも悪くも、人は〝自分〟という呪縛からは逃れられないのだから。それから解き放たれるためには、一度完全な〝無〟になるしかない。ようするに本当の意味で死ななければならないのだ。前世の記憶を持っている状態というのは、言ってみれば本当の意味で死ぬことができなかった半端者ということもできる。

 気が付いたら、わたしはベッドの上で身体を起こしていた。

「……あいつが本当に〝ヴァージル・パーシー〟の生まれ変わりだと確信を得る方法は、あるにある」

 そう、とても簡単な方法だ。

 それは――わたしがかつて〝ミオソティス〟であったことを、あいつに明かすのだ。

 幼少期、わたしがミオソティスとして過ごしたあの時間。あの時間にあったことを共有しているのはヴァージルしかいない。ならば、その時の話をすればあいつが本当にヴァージルかどうかはすぐに判別ができる。それはわたしにしかできない方法だ。

 しかし、わたしは迷った。

 ……果たして、それをしてしまってもいいのだろうか?

 仮にあいつが本当にヴァージルの生まれ変わりだとして……現状であいつはわたしのことを〝魔王〟と認識している。

 ヴァージルはそもそもわたしが魔族の国ゲネティラの王族だったということを知らない。

 あいつとこっそり会っていた時、わたしは魔王の娘だという身分をずっと隠していたからだ。あいつにとって〝ミオソティス〟はただの魔族の女の子でしかなかった。いちおう貴族の娘とは言っていたが、まさか魔王の娘だったとは思うまい。

 そして、15年後に再会した時、わたしはもうすでに〝魔王メガロス〟だった。

 魔王の座を継いでメガロスの名を冠した時、わたしはその時点でミオソティスではなくなった。ミオソティスはあくまでも幼名だ。幼名は新たな名を与えられた時点で捨てるものだ。

 つまり……ヴァージルの中では〝ミオソティス〟と〝魔王〟はまったく別の存在なのだ。

「……わたしがミオソティスだったと言えば、全て分かる。あいつが本当にヴァージルなら」

 本当に、いっそ言ってしまおうかと思った。そうすれば、あいつがヴァージルであるかどうかはすぐに分かる。

 だが――すぐにこんな風にも思った。


 ……でも、もし本当にあいつがヴァージルなんだとしたら――


 シャノンが本当にヴァージルならば、あいつは前世でわたしを殺した張本人ということになる。

 あいつは〝勇者〟として〝魔王〟を倒し、戦争を終わらせた。

 そう、あいつが倒したのは〝魔王〟なのだ。

 もし、あいつがわたしを〝ミオ〟だと知ってしまったら……あいつは自らの手で幼なじみだった女の子を殺してしまったことになる。

 わたしが知っているヴァージル・パーシーは、果たしてそれに耐えられるような人間だっただろうか?

 答えは――否だ。

 わたしが知っているヴァージルであれば、間違いなく後悔の念にかられるはずだ。いや、それぐらいでは済まないかもしれない。あいつは本当に気弱で、そして優しいやつだったのだ。わたしの知っているヴァージルであれば……もしかしたら、自分自身を殺してしまうかもしれない。

 ただ、わたしとヴァージルが会っていた時期なんて本当に小さな頃だ。もしかしたら、そもそもあいつは覚えていないかもしれない。それこそ、前世のうちにとっくに忘れているかもしれない。わたしにとっては本当にかけがえのない時間だったけど……あいつにとっては、別にそうではなかったかもしれない。だから、もしかしたらわたしが思っているようなショックは、まったく受けないのかもしれない。

 ……でも、もしそうだったら、それはそれでイヤだな。

 実はわたしが〝ミオ〟だったんだよって言って、ヴァージルが何も覚えてなかったら……ちょっと、いや、めちゃくちゃショックかもしれない。ショックでまた死ぬかもしれない。それぐらいショックだ。

 だが、仮にヴァージルがミオのことを覚えていたとしても、わたしがそのことを明かしてしまったら、あいつはミオを殺したことに罪悪感を覚えると思う。

 ようするに……わたしがミオだということを明かしても、何も良い結果にはならないわけだ。そう思うと、わたしはとてもではないが言い出す勇気を持てなかった。

 再びベッドの上に寝転んでいた。

「……これじゃあ、結局これまでと同じだな」

 わたしはいつもそうだ。

 言いたいことがあるのに、結局それが言えないまま、後悔だけが胸に残る。

 わたしは今世の父親に自分の素性を明かそうと思った時のことを思い出した。

 言ってしまおう。言ってしまったら楽になる。それがいい。こいつにとってもわたしにとっても、それが一番だ。

 そう思ったのだ。

 でも、わたしは言えなかった。

 怖かったのだ。

 あれだけわたしを溺愛していた父親ダリルが、急に化け物を見るような目になるところを想像したら――わたしは、怖くて言い出せなかった。

 かつて魔王として全ての魔族の頂点に君臨していたわたしが、たかだか一人の男に嫌われるかもしれないということを、わたしは怖れてしまったのだ。

 ミオソティスだった頃もそうだ。

 今度会った時に言えばいい――そう思って、結局ヴァージルに何も言えなかった。あれはようするに怖れていたのだ。ヴァージルに拒否されることを。このかけがえのない時間が失われることを。

 失われるくらいなら、このままでいいじゃないか――と。心の奥底でそう思っていたのだ。

 わたしは結局、自分自身が傷つきたくなかっただけなのだろう。相手に嫌われたり、拒絶されたりするのが嫌で、言うべきことを言わずに逃げてきた。

 その結果、わたしはいまにいる。

 そして――再び同じ事をしようとしている。

「……、どうしたらあなたのように強くなれるのですか。どうしたら――」

 ……わたしのような出来損ないの半端者ではなく、本当に〝魔王〟と呼ばれるに相応しかった父上の背中を思い出す。

 わたしは……何をどうやっても、あの背中には届かなかった。

 戦争も止められず、魔族を勝利させることもできなかった。父上さえいれば、きっと歴史は大きく変わっていただろう。もしかしたらそもそも戦争は起こらず、魔族と人間の共存は続いていたかもしれない。

 なのに……わたしはそんなあり得たかもしれない未来さえ、潰してしまった。

「……わたしなんて、最初から存在しなければよかったのにな」

 わたしは逃げるように、そして、過去の唯一の幸せに縋るように、まどろみの中に沈んでいった。

 後にも先にも、〝わたし〟のことを求めてくれたのは、ヴァージルだけだった。その記憶だけが、今もわたしにとっての――唯一のだった。

 

 

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