12,正体

 誰かと思えば、さっきのヨハンとかいうやつだった。

 ブル何とかはヨハンを見るなり、わたしを思いきり指差した。

「ちょっと、ヨハン! この失礼な女をここから追い出しなさい!」

「いやいやいやいや、いきなりそう言われても……何があったのさ?」

「どうもこうもないわよ! この小貴族の女が、このわたしに無礼を働いたのよ! この大貴族のわたしによ!?」

「分かった、分かったから。一度落ち着きなよ。周りの人も見てるからさ……」

 ヨハンは女をなだめていた。

 二人の様子を見るに、どうやらこいつらは知り合いのようだ。

「ちょっと、どうしたのよ。何があったの?」

 騒ぎを聞きつけたのか、アンジェリカも戻って来た。

 わたしはアンジェリカにそっと小声で話しかけた。

「何か知らんがあのよく分からん女がいきなり難癖つけて絡んできたんだ。わたしは別に何もしてないぞ」

「よく分からん女って……あの方はブリュンヒルデ様じゃない」

「知ってるのか?」

「大貴族だし、そりゃ知ってるわよ。ディンドルフ家って言えばかなり有名な大貴族よ? むしろ知らないなんて人いるの?」

「わたしは知らん」

「ああ、ここにいたか……」

「あの、すいません」

 声をかけられた。

 ヨハンだ。どことなく申し訳なさそうな顔をしている。ちなみにブル何とかは後ろで腕を組んでツーンとしている。

「エリカさん、具体的に何があったんでしょう? ブリュンヒルデだけの話ではよく分からなくて……」

「別に大したことではないんですが――」

 わたしはヨハンに先ほどのやりとりを説明した。

 すると、ヨハンは深々と溜め息をついた後に頭を下げた。

「すいませんエリカさん、それはブリュンヒルデの方が悪いですね……あいつには僕から言っておきますので」

「いえ、別にヨハン様が謝るようなことでは……というかお知り合いなんですか?」

「ええまぁ、彼女とは小さな頃から付き合いがありますので……友人としてちゃんと注意しておきます」

「ちょっと、ヨハン! それじゃあまるでわたしが悪いみたいじゃない!」

 後ろで話を聞いていたブリュンヒルデが口を挟んできた。

 ヨハンはすぐ窘めるように言った。

「エリカさんの話を聞いた限りだと、君が一方的に難癖つけただけらしいじゃないか。だったら悪いのは君だろう」

「なに、わたしよりその小貴族の女の方を信用するってわけ?」

「まぁ君がこういうことするのは初めてじゃないしね……」

「はあ? 何よそれ! まるでわたしがいつもしてるみたいじゃない!」

 ブル何とかは不満げにヨハンに噛み付いていた。

 その様子を見ていると、アンジェリカがこっそり耳打ちしてきた。

「ちなみにブリュンヒルデ様って、自分より可愛い女の子とかがいるとよく難癖つけて泣かすっていう話があるのよね。だからたぶん、あんたもそれで目つけられんじゃない?」

「……ん? それでなぜわたしが標的になるんだ?」

「だって、いまこの会場でいちばん目立ってるのってエリカよ?」

「なぜわたしが目立つのだ? ハッ、もしかしてひたすらお菓子をバクバク食べていたのが目立っていたのか……?」

「いや、そういうことじゃないんだけど……」

「おう、何か騒がしいな。お前ら何してんだよ?」

 と、そこへ新たな人物が割り込んできて、ヨハンとブリュンヒルデの二人に話しかけていた。

 現れたのはいかにもチャラそうな男だった。

 ……なんだ、あの男は?

 わたしは思わず眉をひそめた。それくらい、何だか本当に見た目も頭の中も軽そうなやつが現れたのだ。

 身なりこそ良いものの、見ただけで分かる驚きのチャラさだ。男のくせに妙に髪は長く、それを後ろでくくっている。しかも不必要に装飾品を身につけていて、実に悪趣味だ。まぁ金持ちだというのはすぐに分かるが、それにしたって品というものがない。金があるのを見せびらかしたい、という感じにしか見えないのだ。

 年齢はヨハンと同じくらいだろう。二十歳くらいだろうか。とりあえず今のわたしよりは年上だ。

「げえッ!?」

 なんだあいつは? と思っているとアンジェリカ急に淑女にあるまじき声を出した。

「ん? どうしたアンジェリカ?」

「ちょ、ちょっとこっち来てエリカ!」

 アンジェリカはわたしを引っ張ると、より一層声を潜めて話しかけてきた。

「……まずいわ。めちゃくちゃまずいやつが来たわ」

 すごい顔だった。まるでゴキ〇リでも見てしまったような顔だ。嫌悪という嫌悪が顔からにじみ出ている。

「誰か知らんがそんなにまずいやつなのか?」

「ええ……あの男はね、シャノン・アシュクロフトっていうの。この国の第二王子よ」

「第二王子? 王子というのはウォルターという名前じゃなかったか? 確か黒い噂が絶えないとか言っていた……」

「それは第1王子よ。まぁ悪い噂が絶えないって意味では第二王子の方もあんまり変わらないんだけど……」

「どういうことだ?」

「あのシャノンって男はね、とにかく女癖が悪いことでめちゃくちゃ有名なのよ。それに素行も悪くて、アルフレッド陛下からも絶対に王位は継がせないなんて言われてるらしいの。いわゆるドラ息子なのよ。〝道楽王子〟なんて呼ばれてるし。見てよあの悪趣味な格好。見るからに性格が軽そうでしょ? ついでに頭の中も」

「まぁ確かに……」

 わたしは改めてシャノンというやつのことを振り返った。

「ちょっと、シャノンも聞いてよ! ヨハンったらまるでわたしが悪いみたいなこと言うのよ!?」

「ちょ、ブリュンヒルデ。ここいちおう人前だから、いつもみたいな呼び捨てはダメだよ。ちゃんと殿下って呼ばないと」

「別にいいじゃない。誰も気にしてないわよ、そんなこと」

「でもいちおう礼儀として……」

「ブリュンヒルデの言うとおりだぞ、ヨハン。んなこと気にすんなよ。それで、何の話だよ。何を揉めてるんだ?」

「はい、殿下。実は――」

 三人の会話が耳に入ってくる。

 何やらヨハンが説明しているようだ。

 ……あの三人、もしかして知り合いなのか?

 会話は断片的にしか入って来ないが、何となくそんな雰囲気だった。特に女の方は第二王子を呼び捨てにしている。よほど親しくないとそんなことはしないだろう。

「――なるほどな。だいたい分かった。まぁここはオレに任せとけよ。ブリュンヒルデのことは任したぜ、ヨハン」

 と、チャラ男――シャノンがこちらを振り返った。

 アンジェリカは明らかに警戒したような顔で身構えていた。よっぽどこの男のことが苦手――というか嫌いなようだ。わりとすごい顔をしている。

「いやぁ、ごめんねー。どうもブリュンヒルデのやつが君に迷惑かけたみたいだね。ええと、君は何て言うの?」

 シャノンがわたしに話しかけてきた。

 ものすごい軽い感じの喋り方だ。

 ……か、軽い。

 ええと、こいつ王子なんだよな……?

 わたしは思わず相手の素性を疑ってしまった。

 王族とは全ての民、全ての家臣の見本となるべき存在だ。だというのに、この男からはそういった威厳や尊厳みたいなものはまるで感じられなかった。

 ……なるほどな。まぁこれではアンジェリカがあのような嫌悪感を表すのも仕方ないだろう。これでもかつては王族だった身だ。その観点から言えばこいつはあまりにもペラッペラすぎる。わたしが魔王の時にこいつが部下だったらとりあえず死刑だ。

 とはいえ、まぁ曲がりなりにも相手は王子らしいし、事を荒立てもしょうがない。とりあえず無難に相手しておこう。態度がチャラいだけでさっきの女みたいに失礼なわけじゃないしな。

「わたしはエリカ・エインワーズと申します。お目にかかれて光栄です、シャノン殿下」

「へえ、エリカちゃんって言うんだ。いやぁ、それにしてもめちゃくちゃ可愛いね。まさかこんなものすごい美少女がこの国にいたとはなぁ……いやぁ、オレとしたことが迂闊だったぜ」

「ほほほ、シャノン様は口がお上手ですわね。わたくしは美少女などではございませんわ」

「そんなことないって。エリカちゃん、めっちゃ美少女だって。いやほんとにさぁ。ははは」

 と言いつつ、シャノンはわずかにわたしに顔を近づけ――スッと細く目を開いた。


「――お前、〝魔族〟だな?」


 それは、まるで別人のように鋭い声だった。

 あまりに唐突だったので、わたしはすぐに反応できなかった。心臓を鋭く貫かれたかのような感じだった。

「――」

 わたしは表面に〝エリカ〟としての笑顔を貼り付けたまま、ゆっくりと改めて相手のことを見やった。顔に動揺を出さなかった自分を褒めてやりたいと本気で思った。

 シャノンはパッと鋭い視線を消して、へらへらした軽薄な笑みに戻った。

 が、目は笑っていない。

 うっすらと開いた双眸の奥には、まるで歴戦の戦士のような気配があった。

 ……こいつ。

 その気配を感じ取った瞬間、わたしは確信した。

 どうやら、こいつはとんだ〝たぬき〟のようだ――と。

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