7 集落4

 村人に囲まれながら集落に戻ると、マキとテッサは、セラと共に、集落のまとめ役の家に呼び出された。そこはセラの家よりも少し大きいだけの、土壁とトタン屋根の家であったが、来客を迎える為の広い部屋があった。

 まとめ役は黒い肌をした背の高い壮年の男であった。刈り上げられた黒い髪には僅かに白髪が混じっており、顔の皮膚には無数の細かい皺が刻まれ、そして突き刺すような鋭い目つきをしていた。胸元には小さな銀の十字架の付いたチョーカーを付けており、麻のシャツの裾から延びた黒く長い腕には、沢山の傷跡があった。

 まとめ役の男は、マキの倍の背丈はあるであろう細く大きな身体を、木でできた椅子の背に預け、傷だらけの腕を見せつけるように胸の前で組み、3人に向かい合った。

 マキとセラは事情を話した。もとより説明することなどほどんどなく、旅の途中で偶然立ち寄ったこと、機械について詳しかった為に発電プラントを修理することができたことを、何度も繰り返した。まとめ役は、初めは険しい顔で話を聞いていたが、送電ケーブルと蓄電池さえ入手すれば今後数十年は使用できることと、対価を要求する意図は無いことを伝えると、途端にその表情を和らげた。

 その後、若い村人を交えて今後のことについて話し合い、3人が解放される頃にはとうに日が暮れていた。マキとテッサがセラの家に泊まることを告げると、まとめ役はセラに大きな塩漬け肉のブロックと沢山の野菜と果物を持たせた。


 3人はハールと共に家に戻り、ささやかな祝杯を挙げた。

 ダイニングのテーブルには昨日よりも多くの皿が並んだ。先ほどまとめ役から貰った肉を焼いたもの、野菜のサラダ、塩味のスープ、食べやすく切り分けられた赤い皮の果実。オイルランプの明かりの下、セラは張り切って料理を作り、マキとテッサはそれを手伝った。

 セラは茶色の瓶に入った果実酒を取り出しテッサに勧めたが、テッサはそれを柔らかに断った。テーブルの足元に座り込んだハールの前に焼いた肉の欠片を乗せた皿を置いたあと、3人は食卓についた。

「父よ。あなたに感謝します。私たちの日々の労働と、あなたから齎された全ての身体の糧が、 私たちの心の糧となりますように。主キリストを通してあなたの祝福を。 アーメン」

 セラは胸の前で手を合わせ目を閉じて祈りを唱えた。マキはセラに合わせるように手を合わせ目を閉じた。

 

「それにしてもマキ、よくあんな古いものを直せたね」

 食卓の食べ物があらかた無くなった後、上機嫌な様子で果実酒の入ったカップを傾けながらセラは言った。

「多分蓋の開け方が分からなかっただけだと思う。あれはドイツ製だから丈夫なんだよ。整備すればまだまだ持つよ」

「ドイツ製?」

「知らない?ユーロにあった国だよ」

「ユーロ?あれは帝国の発電機なのかい?」

「いや、もっと昔の物。帝国との戦争が始まるもっと前、黒の王様が来る前の時代のものだよ」

 マキが言うと、セラは「ふうん」と興味のなさそうに相槌を打った。

「良く分からないけど、マキ、ありがとう。電気があれば少しは人が戻ってくるだろうさ」

「暖かい食事とベッドのお礼だよ」

 マキが答えるとセラは少し考えるような仕草を見せたあと、急に真剣な顔になって言った。

「マキ、明日の昼頃エルザリオ行きの車が出る。それに乗りなさい」

「セラ、せっかくだから電気が使えるようになるまでここに居るよ。送電ケーブルを手に入れても、この村には直せる人はいないだろう?それか、僕たちがエルザリオで送電ケーブルを手に入れて戻ってきても……」

「ダメだよ。早く出ていったほうがいい。噂はすぐに広まるからね。たちの悪い連中が聞きつけてやって来るかもしれない」

「たち悪い連中?」

「マキ、この辺りにはね、今も神を信じていないやつらがたくさんいるんだ。悪魔や魔女を崇拝している者もいるし、帝国と取引をしている者もいる。あいつらに捕まったら何をされるか分からないよ」

「……そうだね。分かった」

 マキは答え、テッサの方を見た。テッサはオイルランプの暖かな明かりの下、少し寂しそうな顔をしていた。


「セラ、紙とペンはある?」

「あるよ。何枚くらい必要だい?」

「10枚くらいかな。プラントの使い方をテッサが書いてくれる。手に入れる送電ケーブルの種類とか、それを繋ぐ方法とかね」

 セラはダイニングの壁際の棚を漁り、古いノートとボールペンを取り出してテッサに渡した。テッサはそれを受取ると、机の上に並んだままになっていた皿を脇にどけてそこにノートを広げ、真っ白なページに図を描き始めた。見る間に発電プラントの全体像が描かれ、そこの横に沢山の数字や文字が書きこまれていった。マキとセラはその様子を眺めた。

「街の役人に頼めば、何とかなるんじゃないのかい?」

「発電パネルのロックさえ外せれば機械の技術者なら多分大丈夫だよ。ただ、使われてる言語が違うから、仕様書を見ても分からないかもしれない」

「そうなのかい……なかなか難しいんだね」

「ほんの少しね。セラ、あのプラントはとても珍しいものだから、修理を頼むなら出来るだけ信頼できる人を選んだ方がいい。少しお金はかかるけど教会に間に入ってもらってもいいと思う」

「ああそうだね……わかった。まとめ役に言っておくよ」


 しばらくしてテッサは手を動かすのを止め、ノートをセラに返した。セラは受け取るとパラパラとページを捲り、オイルランプの明かりの下そこに描かれた沢山の図や文字を眺めた。

「見事なもんだね」

「テッサは絵が上手いんだ」

「絵だけじゃない、文字もだよ。時々ここに来る牧師様だってこんな上手な文字書けやしない」

 そう言いながらセラはノートを閉じ、果実酒のはいったコップをあおった。

「マキ、テッサ、あんたたちは何者なの?」

「僕らは……ただの旅人だよ」

「それなら……あんたたちは何故、旅をしているんだい?」

 セラはマキの方をじっと見つめて、聞いた。マキは黙って視線を横に向けた。テッサは天井に吊るされたオイルランプをぼうっと眺めていた。

「……言えないならいいよ。マキ、あんたの言葉はまるでこの辺りで育った子供みたいに違和感を感じない。まったく、変な気分だね」

「……そうだね」

「あんた達は天使様か何かかしら?」

「もしかすると……そうなのかもしれない」

 マキが曖昧に答えると、セラは目を丸くして驚いた。

「本当に、天使様なのかい?」

「セラ、僕は天使じゃない。でも、誰もが誰かにとっての誰かなんだ。セラにとっての当たり前が、僕らにはとても有難かった。長く歩いていたし、とてもお腹が減っていたからね。僕らに話しかけてくれたセラは僕らにとって天使に見えたよ」

「私が天使様だって?まさか?」

 セラは吹き出すように笑い、言った。

「ニグロの天使様なんて口にしたら、教会の牧師様に怒られるよ」

「セラ……それは違うよ。天使も悪魔もあらゆる形をとって人の前に現れる。黒の王がそうであったようにね。その全てを神は見ている。だから……僕はセラにとっての天使なのかもしれない。自覚はないけどね」

「ああ、そうだね……それなら神様に感謝しなくちゃね」

 セラはそう言って笑うのを止め、胸の前で手を合わせて目を閉じた。

 マキは暖かなオレンジ色の明かりの下で、黒い肌をした女が祈る様子を静かに眺めた。


「……セラ、僕らは探しものをしているんだ」

 マキが言うと、セラは祈るのを止めて目を開けた。

「詳しくは言えないけど、とても大きくて神聖なもので、沢山の人が探しているけど今も見つかっていないんだ」

「それは……何の為にだい?」

「事情がなかなか入り組んでいるんだけど、そうだな……テッサを、元に戻す為かな」

「元に戻す?」

「うん。それと、歪んでしまったものをあるべき形に戻す為。その為に僕らは旅をしている。なかなか見つからないけどね」

「ふうん。それが見つかるとその子は喋るようになるのかい?」

 セラはテッサの方を見て言った。

「そうだね……テッサは今も少しなら喋れるけどね」

 マキが言うと、テッサはゆっくりと頷き「ええ」と言った。

「あんた喋れたのかい……色々事情がありそうだが、まあ詳しくは聞かないよ……ああ、もうこんな時間か」

 セラは棚の上に置かれた古い置き時計を見て、そう言った。

 ローマ数字の文字盤の時計の針は午後11時頃を指していた。朝日と共に目覚める彼らにとっては、ずいぶんと夜更かしなのだろう。

「あんた達、片づけはやっておくからそろそろ寝る準備をしなさい。昼間たくさん汗をかいたろう。先に水と布を用意するから、それで体を拭きなさい」

「わかった。ありがとうセラ。ハールも拭いていい?」

「ああいいよ。綺麗にしてやりな。私はあんた達の天使様らしいからね」

 セラはにっこりと笑ってそう言い、木の椅子から立ち上がった。

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