5 集落2
「久しぶりに暖かい料理を食べたよ」
夜、ランプの明かりの下でセラの手料理を食べながら、マキは言った。それはパスタのような麺を野菜と豆の入ったスープで煮たものだった。
サビたトタンの天井から古いオイルランプが釣り下がっており、その暖かな光が狭いダイニングを照らしていた。木で出来た粗雑なつくりのテーブル。五脚の椅子。柄の入った赤い布が貼られた壁。壁際には木製の棚が置かれ、その下段には沢山のノートや子供用の絵本、使い古されてボロボロになった辞書や聖書、書類の挟まったバインダーなどが雑多に並び、上段には沢山の布製の人形と、額に入った写真が立てかけられていた。
「美味しいかい?」
セラはスプーンを持つ手を止め聞いた。
「うん。美味しいよ。テッサもそう思うだろ?」
マキがテッサを見ると、テッサはすでに食べ終わった後だった。テッサはセラと目を合わせて微笑み、セラは満足した顔を浮かべた。
足元では、ハールが余った食材を食べていた。床に置かれた茶色の木皿の上の、黄緑色をした葉物野菜の筋張った茎や硬い葉、豆の欠片や黒い皮、焦げ付いた麺の切れ端などを、ハールは舌と伸ばして器用に口に運んでいた。
「ずいぶんおとなしい犬だね」
セラがハールを見て感心したように言った。
「ハールはとても賢いんだ。あまり吠えないし、それに、とっても強いんだよ」
「ふうん。あんたらのボディーガードってわけかい」
そう言ってセラが笑うと、ハールは顔を上げた。
「少し汚れちゃいるが、きれいな毛並みだ」
「セラは一人で暮らしているの?」
「ああ。夫がいたけど、死んでしまってね」
「病気?」
「戦争でさ。子供達も街で暮らしてるか、戦争に行っている。この辺りは皆そうさ。国軍に入れば、食うに困ることはないからね」
セラは眉を曇らせ忌々しげに言った。その真っ黒な肌を、オイルランプの橙色の揺らめく光が照らしていた。
食事を終えると、マキはテッサと片付けを手伝った。この辺りには水道は通っていないようで、大きな壺に汲み置かれた水を使って食器を洗い、麻の布を使って水分をふき取り、木でできた食器棚にしまった。
「そう言えば、あんた達はパスを持ってるかい?」
「このあたりの在留パスはないけと、これなら」
マキは皮のバッグの中からビニールのケースに入った二枚のカードを取り出し、ランプのオレンジ色の明かりの下、セラに見せた。
「……読めない文字だね。どこのヤツだい?」
「大陸の一番南と一番西のヤツ。旅行者用のパスだよ」
「多分、これじゃだめだね。エルザリオに付いたらまずは役所に行きな。自治領内じゃ在留パスを取っておかないと役人に捕まるから」
「自治領?」
マキは聞いた。セラは一瞬驚いた顔をした後、呆れたような目でマキを見た。
「そんなことも知らないのかい?」
「うん。遠くから来たから……持ってるのはこの地図一枚だけだよ」
マキはバッグの中から四角く畳まれたビニール製の地図を取り出した。それをダイニングのテーブルの上に広げると、セラは興味深そうに見た。
「こりゃまた古い地図だねぇ。三十年は前のものだね」
「西の街で貰ったんだ」
「まあでも、港がいくつか無くなってる以外は、あまり変わってないね。ここの集落はエルザリオ自治領の南の端にあるんだ。自治領の北は海岸線沿いにシナイ半島まで共和国政府の直轄支配地域が続いている。まあ、戦闘地帯だ。ここより南は自然保護地区の砂漠が広がっている。放射能汚染が酷いから、絶対に行かないようにね」
「うん、分かった。一応ガイガーメーターは持ってるよ。電池は無くなっちゃったけど」
「電池はエルザリオで手に入るよ。あんたらは車で来たんだろう?どの辺で壊れたんだい?」
「どこだろう……川を渡る前だから、この辺だと思う」
マキは、少し迷ったふりをしながら、地図の地点を指差した。
「林の中かい?」
「ううん。辺りに大きな木は無かったよ。急に動かなくなっちゃったんだ」
マキが答えると、セラは深くため息を吐いた。
「それじゃもう諦めた方がいいね。今頃はもう野盗に持ってかれちまってる」
「そっか」
「ここから西には南北に走るグラム山脈まで、緩やかな平野が続いていて、ここみたいな集落がいくつかある。最近は砂漠化が進んでいるけどね。それから、この辺りには野盗が出るんだ。エルザリオからの配給車を狙ってね。つぶれた集落を根城にしてて、何度も治安部隊が出ているんだが、なかなかしぶとくてね。あんたら、本当に運が良かった」
「セラ、エルザリオはどんな街なの?」
「ここらで一番大きい街さ。ここから北西にいったところにある。東の海岸が紅海戦線の南端だから軍人が多くてね、大学もあるし、レストランも大きなホテルもある。電車も通ってる。パルナ鉱山に近いから鉱山の関係者も多いね。南のスラムと、北の高級な町に分かれててね。大きな教会も役所も裁判所もあって、沢山の人がいる。白人も、あんた達みたいな東洋人もたくさんいるよ」
「それは楽しみだね」
マキが横を見ると、テッサは僅かに微笑んでいた。
「大丈夫かい? 悪いけどあんた達、そんなにお金を持っているようには見えないが」
「大丈夫だよ。確かにお金はあんまり無いけど、稼ぐ方法ならあるんだ」
「ふうん、そうかい」
セラは訝しげにそう言い、横目でテッサを見た。テッサは頭上のオイルランプをぼうっと眺めており、セラの視線に気が付いていないようであった。
「ねえセラ、この村には電気は来ていないの?」
マキは話を逸らすように聞いた。テッサの視線の先、トタンの天井に、古い電線が這っていた為であった。その先端には電球は付いていなかったが、古そうな規格のプラスチック製のソケットが付いているのが見えた。
「前は電気も使えたよ……近くに年代物の大きな太陽光の発電機があってね。このあたりの村はその電気を使ってたんだ。だけどずっと前に壊れてね、街の役所に言っても直してくれないのさ。それはただの飾りだよ」
セラは天井を見上げ、ぼやくように言った。
「その発電機はまだある?」
「あるよ。村のはずれに壊れたままになってる」
「僕とテッサなら、直せるかもしれない」
「あんたたちがかい?冗談だろ?」
マキの言葉にセラは驚いた表情を見せた。
「こう見えて、僕らは修理の専門家なんだよ。ちょっと天井を見ていい?」
マキはブーツを脱ぎ、机の上に立って天井を這う電線を調べた。そのケーブルはエフワイ三芯規格という、昔からある種類のものだった。
「セラ、電球はある?」
「あるよ」
答えてセラは棚を漁り、丸い電球を取り出し、テーブルの上に立つマキに渡した。マキは受け取ると、オイルランプの明かりで照らして調べた。
それはずっと昔にアジアの国で作られた、シンプルな構造をした、ガラスの電球であった。電球の根元の金属部分には僅かに錆びが見られたが、まだまだ使えそうであった。
「それで何か分かるのかい?」
「少しだけ。ここに来ている電気の種類がどんなものか、とかね」
「種類?」
「うん。電気にはいくつか種類があるんだ。直流や交流、地域ごとに規格があったり、発電機によって生み出せる電気は違うんだ。でも、この電球が使えたなら、多分何とかなると思うよ」
マキはテーブルから降りると、テッサに丸い電球を渡した。彼女は電球受け取り、オイルランプにかざした後、マキと目を合わせてゆっくりと頷いた。
その日、セラの家の一室を借り、二人と一匹は久しぶりに屋根の下で眠った。
木製の古いベッドには、敷きっぱなしのままあまり使われていないであろう薄いマットが敷いてあり、湿気た土埃の香りの中に微かに他人の汗の匂いがしていた。
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