3 岩山の教会

 周囲が明るくなってきた頃、マキは目を開けた。身体は氷のように冷えきっており、動くと身体の節々に刺すような痛みが走った。相変わらず、空は灰色の雲に埋め尽くされており、大きな岩山の陰には細かな砂の混じった冷たい風が吹き抜けていた。

 横を見ると、テッサの眠っている顔が見えた。テッサが目覚める時間はだいたい決まっており、その時間にならないと決して目を覚ますことはなかった。

 マキは、軽く運動をして体を温めた後、テッサが目覚めるまで、ブーツの手入れをした。

 ブーツはとても大切なものだった。ブーツがあるのと無いのとでは、一日に進む速度が大きく違った。替えの効かない道具だった。

 テッサはマキと同じサイズのブーツを使っていた。女性用の小さなサイズの黒いブーツで、数年前に街で作ってもらったものだった。丈夫な人工皮革で出来ており、しなやかな金属繊維を織り込んだ靴ひもが付いていた。靴底には鉄の板が入っており、底には分厚く堅いゴムが張り付いていて、いくつかの小さなネジで靴底の板に固定されている。人工皮革は強く頑丈だが、乾燥に弱い為、乾燥した土地を歩く時などは手入れをしないとすぐに痛んでひび割れてしまった。マキは自分のブーツとテッサのブーツを見比べた。マキのほうが傷が多く、靴底はすり減っていた。全体を見まわし、大きな傷や綻びなどがないか確認した後、革のバッグから道具を取り出した。

 表面の砂を麻布で払い、靴底に刻まれた溝に挟まった小石を工具の先端ではじき、再度麻布で吹く。そのあと少量のグリスを麻布に付けて丁寧に塗り込み、磨いた。テッサのブーツが終わり、自分のブーツの手入れをしていると、ハールが目覚めて近寄ってきた。ハールが起きたということは、もうすぐテッサも目覚める頃だった。

 マキは、昨日残しておいた木材を使い、火を起こした。

 テッサが目を覚まし、ゆっくりと起きてきたので、ブーツを渡し、しばらく二人と一匹で火に当たった。

「テッサ、次の場所を探し終わったら、人のいる街に行こうか」

 そろそろ美味しい紅茶でも飲みたいしな。マキがそう言うと、テッサはうっすらと笑顔を見せた。

 小さな炎が乾いた木材を燃やし尽くした後、二人と一匹は歩き出した。


 三日後、マキとテッサは、赤茶けた大地の荒野にせり出した、大きな岩が組み合わさってできた、まるで大きな亀の甲羅のような形の岩山にたどり着いた。岩山の周囲には背の低い草が生えており、時折、野ネズミのような小動物の姿も見えた。

 何かの遺跡だろうか、突き出している岩の大さや造形からは、とても人工物には思えないが……マキは思った。目的のものが、地面の下に埋まっているものならば、地面を掘り返す必要があった。

「――テッサ、ここにあるの?」

 マキが聞くと、テッサは頷いた。

「この中」

 テッサは岩山を指さして言った。

「――ということは、内部に空洞がある、か」

 それから、岩山の周囲を探索した。しばらく探していると、地面から突き出た二つの平たい岩と岩の間に、小さな隙間を見つけた。リンゴが一つ通るくらいの小さな隙間で、とてもじゃないが人が入れる大きさではなかったが、試しにその穴にから小石を投げ込むと、奥のほうで反響音が聞こえた。

 隙間の向こう側に大きな空間があるようだった。

 二つの岩は槍の穂先のような形をしており、お互いにもたれかかるように、地面から斜めに突き出ていた為、岩の間の地面を掘れば奥に入ることができそうであった。

「ハール、シャベル出せる?」

 マキはハールに声をかけ、金属製のシャベルを出してもらい、岩の根元を掘った。テッサには岩場の陰で休んでいてもらった。

 地面はとても固く、岩の隙間は奥のほうまで土や石で埋まっていたが、一時間ほど掘り続けると、大人一人が通り抜けられるほどの穴が出来た。 シャベルをハールに返し、マキは身をかがめて穴を潜った。

 穴の先には一メートル程度の段差があり、その下には硬い平らな床があった。空洞は真っ暗闇だった。とても静かで、時折砂が零れ落ちる音がした。風はなく、外界の熱気を周囲の岩が遮り、ひんやりとした空気が流れていた。

 マキは手探りでバッグからライトを取り出し、点けた。

 そこは小さな教会であった。

 内部には、地面から突き出た岩のベンチが並んでおり、その気になれば五十人は座れるであろう広さがあった。四方の壁はごつごつした岩肌が剥き出しになっており、そのうち一方の壁だけ、大きな石を組み合わせて作られていた。岩がドア枠のように組まれた、入口と思われる部分には、小石や砂が小山のように重なっており、恐らく外部から塞がれたことが窺われた。マキが入って来た穴は、入口のすぐ右横にあり。入口部分を組むためにできた岩の隙間であった。片側の壁際には岩肌を削って作られた棚があり、様々な装飾品が置かれていた。その上の壁には何か絵が描かれてあるようだが、風化が進んでおりよく分からなかった。床は 天井や壁が風化して崩れ落ちたのであろう、細かな砂でうっすらと覆われていた。そして、一番奥の祭壇に当たる部分の壁には、六芒星のマークが刻まれていた。

「……シナゴーグか。ずいぶんと古そうだな」

 後ろを見ると、テッサが掘った穴からは頭を出していた。どうやら中に入ろうとしているようだったので、ライトを置き、テッサが入るのを手伝ってやった。中に入ると、テッサはぐるりと周囲を見まわした後、壁のほうにゆっくりと歩いていき、床の砂埃を払いはじめた。

「テッサ、なにかあるの?」

 マキが聞くが、テッサは答えなかった。代わりに砂の中から、子供の腕ほどの長さの、黒ずんだ棒を取り出した。棒は中心付近でまるでアルファベットのSを表わすように曲がっていた。

「変な形だね。それは杖?」

「偽物の蛇、灰色で大きなもの」

「蛇か。聖書に出てくるアイコンだね」

「ここには、他にもいくつかある」

「OK.探そう」

 しばらく探していると、奥の岩の箱の中に、麻の布に包まれた小さな遺骸を見つけた。ずいぶん朽ちていたが、半分ほど顔の皮膚が残っており、何かしらの処理をされているようであった。

「テッサ、これは誰かわかるかい?」

「この子はイスラエルの子。灰色の大きなもの。この子も、持っていく?」

「いや、持って行かない。ここに置いておこう」

 マキとテッサはしばらく探し、他に二本の蛇と三つの金属片を見つけた。祭壇の下に、石でできた小さな箱があったが、既に誰かが持ち去った後のようで、中には何も入っていなかった。


 それから二人と一匹は、海を目指し東に向かって歩いた。赤茶けた色の荒野は黄土色の大地になり、次第に砂漠に変わっていった。持っていた地図には砂漠はなかった為。ここ数十年で一気に砂漠化が進んだようであった。

 相変わらず、放射線濃度は高いままで、目元がチリチリと痛んだ。マキとテッサは灰色のフードを被り、灰色の空の下をひたすら歩いた。山なりの砂は歩きにくく、なかなか進むことが出来なかった。

 砂漠の夜は、まるで昼間の暑さを忘れてしまったかのように、過酷であった。二人と一匹は、砂の海の中に、時折現れる岩山の陰や、廃墟になった建物の中で夜を過ごした。

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