第46話 報酬の受け取り


「アッハーーンッ!」

「ぬおおおっ!?」


 死んでいたと思っていたアッハンが甘ったるい嬌声を上げた瞬間、私は威厳のある船長にあるまじき間抜けな声を上げて慌てて飛び退いた。


 左手はガッチリ掴まれており、肘先からすっぽりと抜けてしまったが、そんなことはどうでもいい。予想外の現象に私は思わず胸を押さえる。


「ビ、ビックリしたぁ……心臓が止まるかと思ったぞ」

「マスターには止まる心臓がありませんけどね」

「おっと。これは一本取られたな!」


「「アッハッハ!」」

『ゴッブッブ!』

「…………」


 ひとしきり笑い、クティーラにボーッと見つめらていると、驚きも薄れ、冷静さを取り戻していく。

 そうすると、落ち着いてアッハンを観察することができた。


「あぁんっ! 骸骨のセンチョーさんったら激しいっ! 積極的でぇ、執拗でぇ、荒々しくてぇ、すんごいテクニックぅ! わたくし、感じちゃうっ! 骸骨のセンチョーさんすら虜にしてしまうなんて……美しすぎる体って罪ぃ……!」

「……お主が私の手を自分の胸に押し当てているだけだぞ。言っておくが、私は指一本動かしていないからな」

「骸骨のセンチョーさんったら、だ・い・た・んっ! アハーンッ!」

「――魔弾を撃ち込んでもいいか?」


 己の胸に骨の指が埋まるほど押し当て、勝手に身悶え、勝手に熱い吐息を漏らすアッハンを、私は蔑んだ眼差しで冷たく見下ろす。


 ツバキの教育に悪いではないか。幸いルルイエが瞬時にツバキの目を覆い隠したからよかったが……。


 この変態商人め。生き返ってからさらに変態度が増したな! そのまま死んでいればよかったのに。


 魔導銃アル=アジフの銃口を向けられ、本気の殺意を感じたからか、アッハンはすぐに変態的奇行をやめた。


「ちょ、ちょっとしたお茶目ですわよ、骸骨のセンチョーさん。感動的な再会と言いますか、ドッキリ大成功……的な?」


 胸を強調するあざといポーズと笑顔にイラッとしたので、威力皆無の魔弾を額に撃ち込んでやった。


「アハーンッ!? 骸骨のセンチョーさんの、サ・ディ・ス・ト♡ それも悪くないですわぁ! もっとカモォ~ン!」

「ルルイエ。アッハンはアンデッドになったのか? 死霊術がぶつかり合ったからアンデッド化してもおかしくないと思うのだが……」


 変態商人アッハンを無視してルルイエに意見を求めると、彼女は不思議そうに小首を傾げ、


「ワタシは何度も無事だと申し上げましたよ」

「それは聞いたが……まさか『幽玄提督閣下のフィギュアデータが無事』という意味ではなく『アッハンが無事』という意味だったのか!?」

「肯定」


 いや主語! 主語を省略しないでくれ! 最も大事な部分だろう?

 まあ、『アッハンが無事=データが無事』と言えなくもないから、ルルイエの報告も間違ってはいないが……。


 私は錬金術を発動させてアッハンの体を<解析>する。


 ずっと発動させていたらアッハンが死体かどうかすぐにわかったのだが、如何せん、ナグーブとの戦いではアッハンを気にする余裕がなかったのだ。戦いを終えた今は、少々無理な魔力放出をしたので魔法の使用を控えていたし……。


「ふむ……本当に生きているな。アンデッドでも何でもない。心臓はあるし、動いている。よくよく観察してみると傷が残っていないではないか!」


 虹色に光るチューブトップは盛大に破れているにもかかわらず、アッハンの心臓付近は傷一つなく綺麗な肌をしているのだ。ナグーブの魔弾が穿ったはずの穴が存在していない。


「一体どうなっている? どうやって防いだ? それとも再生したのか?」

「わたくしが命拾いしたのは、これのおかげですわ」

「それは指輪か……?」


 アッハンが見せつけてきたのは、指に嵌められたシンプルな指輪だった。

 確か宙賊『黒鯨ブラックホエール』に奪われ、私と取引をして取り戻したアッハンの私物だったはず……。

 しかし、私の記憶にある指輪と形状が少し違っている。嵌っていた大粒のダイヤモンドが失われているのだ。


「家宝の『身代わりの指輪』だったんですの。おかげで致命傷を無効化してくれましたわ」

「そういうことか」


 アッハンの指輪が、致命傷を一度だけ無かったことにしてくれる魔導具だったのならば、彼女が生きていることにも納得だ。


 そういう類の魔導具が存在しているのは一般的な常識だ。ただし数はとても少なく、一般人では一生かかっても手に入らないほど大変高価な代物である。


黒鯨ブラックホエール』の母船で私物を見つけていなければ、今頃アッハンは死んでいただろう。本当に運が良いやつだ。


 そもそもアッハンが私物を取り戻してほしいと言い出さなければ、こんな事件に巻き込まれることも無かったのだが……過去のことをどう言っても無駄か。


「衝撃までは完全に無効化できなかったので、少しの間、気を失っておりました」


 それも幸運だったな。逃げようと動いていたらどうなっていたかわからん。気絶していて正解だ。


「体に問題が無いのならば、早く幽玄提督閣下のフィギュアデータを渡すがいい。盗んだ私の小指の骨も。いや、体に問題があっても渡すのだ!」

「小指はもうお返ししましたわぁ」


 む? 本当だ。いつの間にか小指が存在している。

 自分の胸に押し当てて喘いでいた最中にこっそりと掠め取った指の骨をもとの位置に戻したのだろう。抜け目のないやつだ。

 指はちゃんと動くから問題ない。ならあとは閣下のフィギュアデータだけだな!


「フィギュアデータはこちらに。大変お待たせ致しました。約束の報酬ですわぁ」


 見せつけるように胸の谷間からデータカードを抜き取ると、奪ったままだった私の左手ごと手渡してきた。


 こ、これが幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアデータ……!?


 とうとう手に入れたぞ! 生温かさや甘い匂いなどどうでもいい! 早速フィギュアを生成して自室に飾って堪能せねば!


「こうしてはおられん! 今すぐ”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に帰るぞ!」

「マスター……」

『ゴブブゥ……』


 毎度のことながら突き刺さるジト目。しかし、今の私には全く効かぬ!


「ルルイエは手に入れたエプロンのデータを全て精査したのか?」

「そうでした! こうしてはいられませんっ! 今すぐ”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に帰りましょう! 事態は一刻を争います! 1クエクト秒も無駄にはできません! エプロン様が待っていらっしゃいます!」


 1クエクト秒って……。

 クエクトという単語は、『10のマイナス30乗』という意味を表す接頭語として定められていたはず。

 エプロンのことはどうでもいいが、幽玄提督閣下のことに関しては、確かに1クエクト秒も無駄にはできんな……。


「さあ帰ろう!」

「ええ、帰りましょう!」

『……ゴブブゥー』

「…………」


 なにやら呆れ顔で妹分となったクティーラの手を引くツバキを、私とルルイエは同時に急かす。


「アハーン! わたくしの存在が忘れられてるぅー!? ……もう少しキャラを際立たせるべきでしょうか? 『アハーン! イヤーン! ウッフーン!』と3連続でセクシーポーズを炸裂させるのはどうでしょう……」


 興奮する私とルルイエ、呆れ果てたツバキと無表情のクティーラ、そして真剣な表情でブツブツと呟くアッハンの5人が、納骨堂や地下墳墓カタコンベのような鬱屈した地下の閉鎖空間から出て行こうとしたその時、背後から男とも女ともわからない、そもそも声ではない雄大な『音』が語りかけてきた。




『――待て。そこの死者の亡骸を持ち出すことは許さん』




 神性を帯びた強大な力が三度みたび迸り、私たちの体が本能的に硬直する。


 この声は神モルディギアンか。


 振り返ると、祭壇たる黒い円柱が輝いており、濃密に漂う死と冥界の気配がの神の不機嫌さを表している。


 誰かが死体の一部をくすねたのか?


 視線だけで問いかけると、誰もが首を横に振って否定する。

 もちろん私も違う。

 これは神に直接聞いたほうがよさそうだ。


「神モルディギアンよ。死者の亡骸とはどれのことだ?」

『そこの魂なき亡骸のことだ』


 魂がない亡骸と言えば――


「クティーラか……」


 こんな状況でも無表情で佇む赤髪赤眼の魂なき美女に視線が集まる。


 かつて『忌まわしき狩人』が述べていたように、世界や神の基準では『魂が冥界に送られた者=死者』なので、肉体が一度生命活動を停止したものの魂が現世に残ったままである私やツバキは、死者とカウントされていないようだ。


 その証拠に、私たちには驚くほど無関心だ。心底どうでもいいと思っているのが伝わってくる。


『その死体は我が祭壇たる地下墳墓カタコンベに安置されたものだ。今までは我が信徒が使っていたゆえ大目に見ていたが、信徒ではないお前たちが持ち出すことは許さん』


 ふむ、どうしようか。クティーラが絶対に必要かと言われると、そうではない。術式を上書きしてみたらあっさりとできてしまい、偶然手に入れただけだ。


 しかし、魂がないとはいえ、私たちは彼女を船員クルーと認めてしまっている。特にツバキはクティーラを妹分として気に入っており、神に対して敵意を剥き出しにするほどだ。ツバキに甘いルルイエもモルディギアンにいつでも攻撃できるよう臨戦態勢を整えている。



『――返せ!』



 黒い円柱から強烈な感情が乗った風が吹きつけてくる。

 魂が悲鳴を上げる。命令に従おうと無意識に体が震える。


 しかし、私は神の意思に逆らった。


 ここで屈して何が船長だ! 神の敵になろうが私は船員クルーを渡さぬ! 一度認めた船員クルーを手放すつもりは毛頭ない!


 私が憧れる幽玄提督閣下は、己の信念に従って行動する船長である。神ごときの理不尽な命令に従うお方ではない。だからこそ閣下に憧れ、崇拝する者として、私も己の信念に従って、神に反抗する!

 

「断る! クティーラは我が船員クルーである!」


 威厳を纏って威勢よく言い切ったその瞬間、波長の合わないラジオの雑音のようなノイズが耳に割り込み、




 ――世界から音が消える。




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