第45話 死霊術師の末路


「あ、あぁー……よりもよって使ってしまいますか。――」


 ルルイエ……? それは一体どういう……?


「力が漲る……! これが魂魄結晶ソウルクリスタルの力かっ!?」


 赤い斑点が浮かぶ触手のような闇の靄に包まれていくナグーブの体。その闇の靄は体の中に吸い込まれ、シューシューと気味の悪い音を立てて傷が癒えていく。

 さらには痩せ細っていた全身の骨がバキバキと軋みながら太く膨れ、長く伸び、それに合わせて筋線維がミミズのようにのたうって肥大化する。


『素晴らしい! 実に素晴らしい! この力の研究を行なえば、誰もが称賛する論文を書くことができただろう!』


 筋骨隆々な若々しい肉体を取り戻し、身長3メートル以上に伸びたナグーブ。酷薄に笑う彼はふと顔をしかめた。


『む? なんだこの記憶と感情は……えぇい! 誰が語り掛けてくる!? 邪魔だっ! 静まれぇ!』


 彼の想いの強さからか、それとも死霊術師という職業で死者に詳しかったからか、乗っ取ろうとする死者の魂の意識を跳ねのけ、力だけを取り込んだようだ。


『ククッ……クハハハハハッ! この力があれば1000万人くらい簡単に殺せそうだ!』


 全身に漲る力と魔力に酔いしれるナグーブの皮膚に突如変化が訪れ始める。

 ゾンビのように灰色になったかと思うと、濃さを増してドス黒くなっていく。

 メキメキと音を立てて丸く曲がる背中、長く伸びる腕。尖る牙。それはまるで人間の体格のまま四足歩行する獣のよう――


「まだ力が増すのか! このままだとマズい!」


『震剣』のウィアードが変化した『名状し難い憑依者』の姿とは違う。

 死者の魂が違うからか、それとも憑依された者が違うからか、それはわからない。でも、明らかにウィアードよりも強いことだけはわかる。


 冥界の使者『忌まわしき狩人』が現れる兆候はまだない。このままだと完全に変化が終わってしまう。

 もしそうなった場合、手に負えない怪物が解き放たれることになる!


「体が大きくなったのは失敗だったな。的が広がったぞ」


 私は最後の実弾が込められた魔導銃アル=アジフを銃口を変化途中のナグーブの眉間へと定める。そして、無造作に引き金を引いた。

 音速を超えて撃ち出された弾丸は、正確に眉間を吸い込まれる。


『ガッ!?』


 衝撃でガクンッと仰け反るナグーブの頭。

 これで死んだか――と思った次の瞬間、ギョロリと動いた目玉が私を捉え、鬱陶しそうに睨む。そして、額に開いた穴が塞がる。


『そのような攻撃、ワタシには効かない。物理攻撃など超越したのだよ』


 人間を超えたナグーブは、ペッと口から吐き出した唾と一緒に眉間を貫いた弾丸を吐き出し、ニタリと嘲笑する。


 一体どんな体の構造になっているのだ……。


 物理攻撃が効かないとなると実に面倒だ。物理攻撃ではなく魔法はどうだろうか? しかし、相手は魔力無効化結界を使用できる術者であるし……。


「ルルイエ。ナグーブを倒せるか?」

「可能です。しかし、コロニーが耐えられない可能性が高いです」

「そうか……。せめて『忌まわしき狩人』がやって来るまで時間を稼ぎたいが――」

「いえ、その必要はありません」

「なに?」


 私は、先ほどからずっと余裕そうに何の行動も移さないルルイエを見る。

 彼女が必要ないと言い切るからには、なにか根拠や確信があるに違いない。脅威と感じたら真っ先に攻撃して敵を殲滅するだろうし。


「見ていればわかります。ほら」


 ルルイエの言葉が終わる前に、地下墳墓カタコンベ内を凄絶で雄大な力の奔流が吹き荒れた。



『――見つけた。見つけたぞ。そこにいたか、冥界から逃げ出した死者の魂よ』



 この声は……亡者の神モルディギアンか!

 部屋の中央に鎮座する黒い円柱が輝いている。立ち去ったはずの神モルディギアンが再び現世と接触したのだ。


 大瀑布のごとく降り注ぐ超越的な重圧プレッシャーに思わず膝を屈したい衝動に駆られ、懸命に抗う私の耳に、淡々と説明するルルイエの声が聞こえてくる。


「あの円柱は神モルディギアンの祭壇です。神にとって監視カメラのような役割を果たすそうです。その目の前で冥界から逃げ出した死者の魂を解き放つと、当然見つかってしまいますよね」

「例えるならば、警察署長の目の前に指名手配犯が現れたようなものか……」


 そして、『忌まわしき狩人』は通報を受けて現場に駆け付ける警察官のイメージ。

 思わず呟いた私の例えにルルイエが頷く。


「その通りです。しかも亡者の神モルディギアンは、墓から死体を持ち出すことすら許さない厳格な神――冥界から逃げ出した魂を許すと思いますか?」

「全く思わない。何が何でも連れ戻すと思う。これは冥界の神の義務だ」

「マスターの言う通り、供物を受け取るだけの一時的な接触にはなりません。神モルディギアンが『冥界の神』として権能を行使し、現世に干渉するでしょう。下手に動くと、神の仕事の邪魔をした、と誤解されて神罰を落としてくる可能性が高いため、何もせず静観していたほうがいいのです」


 なるほど。ルルイエの余裕そうな態度にも納得した。そして何も行動しないのも。

 ならばこれ以上何もしないことが最善か。


 相手は死神に属する冥界の神。即死の権能を持っていることだろう。神の権能に巻き込まれて死にたくはない。

 あとは神に任せるとしよう。


『な、なぜ亡者の神モルディギアンが自ら……』


 突然の神の接触にナグーブが驚き、そして彼の中に宿る死者の魂が恐れて本能的に後退るのを、私たちは何もせず少し離れた場所から眺める。


『冥界から逃げ出すことは許さん……我がもとへ戻れ、死者の魂よ』


 黒い円柱から禍々しくも神々しい力が迸り、地下空間の闇が濃さを増し、逆に光が弱まっていく。

 充満する濃密な死の気配。どこからともなく聞こえてくる苦痛に満ちた死者の悲鳴や絶叫――。

 ねっとりと纏わりつく重苦しい空気がさっきの比ではない。まるで冥界の一部が顕現したかのようだ……。


『もう逃がさん』


 壁際でゆらりと何かが立ち上がる。影の中から、壁の中から、それらは現れる。

 背格好は今のナグーブと酷似していた。二足歩行と四足歩行のどちらもできそうな長い腕と前屈みのように曲がった背中。鋭いかぎ爪。尖った牙。しかし、肌がゴムのように硬い弾力がありそうで、顔は犬や狼に似た獣顔というところは違う。


「あれは『グール』です。魔物でもあり生物でもある独立種族――亡者の神モルディギアンを信仰する忠実な番犬です」


 数は10体、20体と増えていき、まだ増える。グールたちは泣き声に似た甲高い声で鳴き、私たちを見向きもせずナグーブだけに狙いを定めていた。


「ツバキ。絶対に手を出してはいけませんよ」

『ゴ、ゴブブ……』


 刀の柄に手をかけていたツバキは警戒しながらもそっと手を離す。

 私たちの前でグールたちがナグーブの包囲網を縮める。


『な、なぜグールたちが……? 死者の魂とはどういうことだ? ワタシは生きている! 死者ではない!』

『いいや。お前は我が腕の中から逃げた死者の魂である。大人しく戻るのだ』


 死者の魂を取り込んで融合したナグーブのことを亡者の神モルディギアンは死者と認識しているらしい。先ほどまで彼に微塵も興味を抱いていなかったが、今は強い執着を見せている。


『この力があれば、ワタシは妻と息子を蘇らせることができるのだ! 神であろうとワタシの邪魔をするな!』


 ナグーブは魔法でグールたちを攻撃。それが合図となったのか、グールたちは傷つくことも恐れずナグーブへと殺到した。


『こ、このぉっ! 近寄るでないっ!』


 初めの数体は倒せたものの、次から次へと襲ってくる恐れ知らずの獣たちを捌ききることは不可能で、手足を掴まれ、噛みつかれてしまう。


『やめろぉっ! 離せっ! 離せぇっ! 退けぇえええええっ!』


 ナグーブも負けていない。懸命に抗い、新しく手に入れた圧倒的力をもって神の劣兵に反撃する。

 しかし、彼は知らないだろう。未だに新たなグールが召喚されていることに。そして、グールを凌ぐ強大な力を持つ存在たちが顕現し始めていることに。


「冥界の神モルディギアンの要請に応じて『忌まわしき狩人』もやって来ましたね」

「完全に実体化していないのにこの威圧感か……凄まじいな」


 朧げに揺れる影法師の『忌まわしき狩人』。

 以前出会った踊子風の美女も絶対的な強者の風格を醸し出していたが、彼女と同等以上の力を持つ『忌まわしき狩人』が10人以上見受けられる。


 騎士、魔女、巨大な槍を肩に担ぐ巨人、小さな子供、弓使いなど、姿かたちに規則性はない。皆強い、ということだけは共通だ。


 ふと影法師の中に見覚えのあるシルエットがあることに気づいた。官能的なプロポーションの女体に羽衣のような踊り子衣装――怠そうに頭の後ろで手を組む彼女は私の視線に気づき、影の手を軽く振ってくる。

 どうやら私たちの知っている『忌まわしき狩人』のようだ。


『や、やめろぉぉおおおおおおっ!』


 少し目を離した隙に状況が急転していた。

 ナグーブは脚を掴まれ、綱引きの要領で黒い円柱へと引っ張られている。

 黒い円柱は『ニトクリスの鏡』のように転移ゲートの役割を果たしているらしい。円柱の先は当然、神モルディギアンが座する冥界だ。


『お前は妻と息子に会いたいと言っていたな……その願い、叶えてやろう』

『い、嫌だ! そうではない! ワタシは二人を蘇らせたいのだ! ワタシが冥界に行きたいわけではない! ワタシは死にたくない! 死にたくないっ!』


 必死に地面にかぎ爪を突き立てて抗うものの、引っ張る速度が遅くなるだけで着実にナグーブの体が黒い円柱に近づいていく。


『な、なにか無いか!? 助かる方法は! あ、あれは――!?』


 死体安置台に似た祭壇にしがみつくナグーブが見つめた先――そこにあったのは、地面に突き刺さった片手鎌だった。


 魔法鉄アダマント製のその鎌には、儀式の名残である大量の魔力が蓄積されたままである。鎌を手に取って魔力を解放すれば、己の体を掴むグールくらいはなんとかできるだろう。少なくとも僅かな猶予ができる。


ワタシのもとへ来いっ!』


 ナグーブの念動力サイコキネシスによって片手鎌が地面から抜け、彼の手の中に引き寄せられていく。


「私の鎌がっ!」


 咄嗟に手を伸ばす私よりも先に行動したのは、なんとツバキだった。


『ゴブッ!』


 彼女は腰から引き抜いた小さな棒を投げつける。棒状の柄からナノマシンが増殖し、白く折りたたまれた紙の束が形成された。


 それはオモチャのハリセンだった。


 回転しながら勢いよく飛ぶハリセンは、念動力サイコキネシスで引き寄せられていた片手鎌に追いつくと、ハリセン部分で鎌を弾き飛ばし、軌道を逸らす。そして、鎌の代わりにナグーブの手の中にすっぽりと収まった。


『な、なんだこれは……!?』


 殺傷能力皆無のハリセンにナグーブは愕然と目を見開き、その隙にグールたちが体を引っ張る。


『まだだっ! ワタシはまだ死ねない! 妻と息子を取り戻すまでは――!』

「しぶといやつだ」


 魔法で作り出したポールにしがみつくナグーブ。彼の足先は黒い円柱まであと1メートルもない。

 冥界へ引きずり込むように黒い円柱から突き出す大量の手が、ホラー映画よりも生々しくて恐怖を誘う。

『屍使い』ナグーブ・ホーへと私は魔導銃アル=アジフの銃口を向ける。

 グールや『忌まわしき狩人』たちも、軽い助力ならば許してくれるはずだ。


『ハ、ハハッ! ワタシには効かぬぞ、スケルトン!』


 己の危機的状況でも嘲笑うナグーブに、私は躊躇うことなく引き金を引いた。


「この弾丸はルルイエが作ってくれた特別製でな。中に聖水が込められている」


 魔導銃アル=アジフから発射された弾丸は、透明なガラスに似たコーティングで、標的にぶつかる直前で弾けて中の聖水が飛び散った。

 たった数滴の聖水が顔に触れた途端、シューシューと蒸気を上げて皮膚が焼け爛れ、ナグーブは派手に声を張り上げて絶叫する。


『ぐぁぁあああああっ!? 熱い熱い熱い熱い熱いぃぃいいいいっ!』

「思った通り。死者の魂と融合した貴様には効くと思ったよ」


 咄嗟に顔を拭った彼は、ポールから手を離してしまった。


 ――その一瞬は致命的だった。


 グールに引っ張られ、足が、膝が、腰が、ゆっくりと黒い円柱に呑み込まれていく。


「死してなお、汝の魂に混沌在れ」

『嫌だぁぁああああっ! ワタシは! ワタシはぁぁあああああっ――!』


 狂った死霊術師ナグーブ・ホーは、伸ばした手を最後までバタつかせ、そして神の尖兵によって冥界に連れ去られた。

 叫び声が途切れ、地下墳墓カタコンベが静まり返る。


『……確かに受け取った』


 どうやら死者の魂を宿したナグーブ・ホーは、無事に神モルディギアンへと届けられたようだ。

 神の命令を遂行したグールたちは戦意を喪失し、続々と黒い円柱の中へと入っていく。その後に影法師の『忌まわしき狩人』たちも続く。


『…………』


 最後に踊り子風の美女の影法師が、『楽できて助かったよ。じゃあね』と言いたげに颯爽と片手を振り、気怠そうに冥界に繋がるゲートへと消えていった。

 黒い円柱の輝きが失われ、神の強大な気配が遠ざかる。


「終わったか……」


 神の権能によって薄く顕現していた冥界が解除され、元の廃棄コロニーの空間に戻ってようやく私はホッと肩の力を抜く。

 充満していた濃密な死の気配と神の威圧感に本能が恐怖して、ずっと気が休まらなかったのだ。正直、今すぐ座り込みたい。


「『屍使い』ナグーブ・ホー……哀れな最期だったな……」


 どんなことをしてでも愛する家族を取り戻そうと奮闘し、最後まで諦めなかった姿は素直に称賛しよう。しかし、つくづく運の悪い男だった。

 冥界で妻と息子に再会できるよう祈っておく。


「マスター、こちらを」

「ん? おお、感謝する」


 ルルイエが真っ先に回収したのは私の片手鎌だった。

 うむ。しっかりと手に馴染む。

 鎌の元となったナイフは、ほんの数時間の差とはいえ、ルルイエよりも長い付き合いだからな。この鎌とともに私の二度目の骨生じんせいが始まったと言っても過言ではない。


「手放してすまなかったな。おかえり、我が相棒よ」


 私の声に反応して黒い刃がキラリと光った気がした。


「ツバキもよくやったぞ。私の鎌を救ってくれて感謝する」


 あのままナグーブの手に渡っていたら冥界に吸い込まれていたかもしれない。

 咄嗟にハリセンを投げて鎌の軌道を逸らせたツバキの機転と投擲技術は、実に素晴らしいものだった。良い判断だったぞ。

 私の鎌を救う代わりにハリセンは失われてしまった。気に入っていたようだったから本当に申し訳ない。


『ゴブッ!』


 しかし、ツバキは一切気にしてないようで、私の手を自分の頭に乗せると、得意げな表情で首を左右にブンブン振り始める。ルルイエ直伝(?)の『セルフ頭ナデナデ』だ。

 自分で頭を振ったら疲れるだろう? そうせずともいくらでも頭を撫でてやるというのに、愛いやつめ。

 ツバキが満足するまで頭を撫で回した後、


「さてと、幽玄提督閣下のフィギュアデータもといアッハンの死体はどこにある? 閣下のフィギュアデータ……ゴホンッ! 私の左手の小指の骨を取り戻さねばならん」

「マスター……」

『ゴブブゥ……』


 ルルイエとツバキの呆れの眼差しを背中に感じるが、私は決して振り返らない。そんなことよりも幽玄提督閣下のフィギュアデータだ!


「アッハンならその祭壇の裏に。無事ですよ」

「そうかそうか!」


 偶然にも死体安置台に似た祭壇の裏に倒れたことで、先の戦闘に巻き込まれることはなかったらしい。

 あちこちに擦り傷や切り傷が見られるものの、アッハンの死に顔はとても安らかで眠っているかのようだった。

 嫌でも目を引かれる虹色のチューブトップは心臓部分が大きく破れており、はちきれんばかりの爆乳によって布が今にも引き裂けそうだ。


「フィギュアデータは胸の谷間だったな……仕方がない。疚しい気持ちはないからな」


 下心は無いと自分に言い聞かせるように呟いた私は、念願の幽玄提督閣下のフィギュアデータを手に入れるためにアッハンの豊満で柔らかな胸に触れ、次の瞬間――




「アッハーーンッ!」




 死んでいたはずのアッハンが私の手をガッシリと掴み、甘ったるい嬌声を響かせた。

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