第44話 すがりつく狂人


『屍使い』ナグーブ・ホーは、明らかに正気を失っているように見えた。


 狂いかけるほど執着していた死者の蘇生が失敗したショックで、未だ現実を受け入れられないらしい。次こそは、と思い込もうと焦りに駆られ、より狂気度が増した気がする。


 先の戦いやルルイエの攻撃を限界を超えて防御したことによる肉体的ダメージは深刻だと思うのだが、ギラギラと殺意で輝く瞳は私たちを殺そうと必死だ。何が何でも殺してやる、という明確で生々しい感情がこれでもかとぶつかってくる。

 しかし、


「アッハンは心臓を貫かれたようだが、幽玄提督閣下のフィギュアデータは無事だろうか?」

「マスターはブレませんね」

『ゴブゴブ』


 ルルイエとツバキから呆れの眼差しが……!


 仕方がなかろう。目の前のナグーブよりも、アッハンの命よりも、私は幽玄提督閣下のほうが大切なのだ! 閣下のナノマシンフィギュアデータのことを優先して、心配するのは当然のこと!


 もしこの場にエプロンが存在してたら、ルルイエだってそっちの心配をするだろう? それと同じだ。人のことは言えんぞ。


 ツバキの視線は……甘んじて受け入れよう。思春期の娘が父親に向ける眼差しによく似ていて、ちと心が傷つくがな……。


「…………」


 そして、相も変わらず無反応のクティーラ。

 無関心なのはそれはそれで辛い。笑顔でも浮かべさせておくべきか……?


「ちゃんと無事ですのでご安心を」

「そうか。なら安心してナグーブと戦えるか。アッハンの体を巻き込まぬよう気をつけねば」

「――死ねぇぇえええええっ!」


 ナグーブが奇声を上げて放ってきた数々の魔法を、私は魔導銃アル=アジフで迎撃していく。


 ぶつかり合う魔法と魔弾。それらは流れ星のような魔力の輝きを散らして互いに対消滅する。


『屍使い』ナグーブ・ホーは多くの時間を死霊術に費やしていたから、他の属性魔法の練度はそれほど高くないようだ。術式の構成に無駄が多い気がする。


「死者蘇生に失敗したのに元気な奴だな。余力を残していたから失敗したのではないか?」

「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇっ! ワタシは失敗していない! 失敗などしていないっ! 次は上手くできる! 次こそは! 今度はもっと多くの人間を生贄に捧げて必ず成功させるのだっ!」

「次こそは、って……失敗したことを認めているではないか」

「違う違う違う違う! ワタシの儀式は完璧だった! あれは神が悪いのだ! 神さえ言うことをきいていれば、妻と息子は蘇ったのだ! だからワタシの失敗ではない!」


 神に責任を転嫁するのか……。傲慢なニンゲンだ。

 幼い子供のように頑なに失敗を認めようとしないナグーブは、唾をまき散らしながら私たちの背後に佇むクティーラに命令する。


「クティーラ! その者たちを殺せっ!」

「…………」


 しかし、クティーラは無表情のまま反応しない。


「何をやっている!? クティーラ! 早く殺せ、クティーラ! クティーラ! ワタシの命令を聞けぇぇえええええっ!」

「残念だったな、『屍使い』ナグーブ・ホー」


 私はクティーラを操って美しい笑顔を浮かべさせ、前の主人だったナグーブに手を振らせた。オリジナルはコズミックモデルを務めるほどの美女なのだ。笑顔を浮かべて手を振るだけでも実に絵になる。


「貴様の術式を書き換えさせてもらった。クティーラはもう我が船員クルーである。貴様の命令には従わんよ」

「な、なぜだ……なぜだなぜだなぜだっ! なぜワタシの術式を書き換えることができる!? 完璧な術式を施していたはずだ!」

「ふむ。意外と無駄が多かったぞ。魔法を学び始めたばかりの私でもどうにかできる術式だった。まさかあの程度の技術で死者蘇生の魔法陣を描いていたのか? 失敗するのも当然だな」

「そ、そんな……馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁぁあああああっ!」


 さっきから大声がうるさいぞ。耳障りだ。


 見るからに劣っている私にクティーラを奪われ、術式の拙さも指摘され、ナグーブはプライドがズタズタに引き裂かれてしまったようだ。髪が抜けるほど激しく頭を掻き毟り、顔を引っ掻く。


 私たちを博物館前で悠然と待ち構えていた姿とは大違いだ。今はみすぼらしい老人でしかない。あまりの豹変具合に見ているだけで痛々しい。


「マスターの基準は”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に保存されている魔法データですからね。現代文明よりも高度に発達した文明が編み出した術式です。現代文明の術式に無駄が多く、洗練されていないと感じるのも無理はありません」


 なるほど! そういえばそうだったな! 道理でナグーブの術式が拙いと感じるわけだ。

 私は知らず知らずのうちに最も優れた魔法を学習していたのか。実に運がいい。


「あ゛ぁぁああああああああああっ!」


 喉が張り裂けんばかりに咆哮したナグーブは、飢えた獣のように瞳を爛々と光らせ、精神に異常をきたした虚ろで壊れた笑い声を漏らす。


「フ、フフッ……そ、そうだ……そんなことはどうでもいい……ワ、ワタシは人を殺さねば……供物を、さらなる供物をっ! クティーラを造らずに神に捧げておけばよかったのだっ! なぜ、なぜワタシはそうしなかったのだ!? なぜなぜなぜっ!?」


 自分に対して怒ったかと思うと、今度は突然キョトンと目を丸くする。


「なんだ。今捧げればいいではないか。よしそうしよう――」


 感情の起伏が激しい。錯乱したナグーブは自分の感情をコントロールできていない様子。


「アハハハハハハハハハ!」


 狂気に満ち溢れた笑い声をあげるナグーブの痩せ細った体から、膨大な魔力が溢れ出した。

 本能的な危険を感じる魔力の波動。『屍使い』ナグーブ・ホーの死霊術だ。

 私も魔力を放って彼の死霊術に対抗する。


「ぐっ!」

「ハハハハハッ! アハハハハハハハッ!」


 魔力と魔力のぶつかり合い。暴風が吹き荒れ、空間が軋む。稲妻のような光が迸る。


 ナグーブの体はもう限界なのに、どこからこんな力が湧いてくるのだ? それほど家族を取り戻したいという彼の想いが強いのか……。


 目や鼻、口から血を流しながら、彼は叫ぶ。


「死ねぇえええええっ!」

「ぐっ! こ、これは……!」


 ナグーブの出力がさらに増した。己の限界や後の影響を全く考えていない全力を超えた力だ。


 私にはこれ以上の魔力放出は無理だ。道中に魔法を多用してしまったせいで魔力が足りないのだ。


 私にもう少し力があれば……。


 魔力の均衡が崩れ、彼の死霊術が徐々に押し寄せてくる。

 しかも高まる死霊術の影響で、地下空間内に飾ってあったた骨たちがカタカタと動き出し始める。

 ナグーブの命令で弾丸のように飛来する骨たち――



『ゴブッ!』



 それら全てを叩き落したのはツバキだった。艶やかな白髪をなびかせながら魔法鉄アダマント製の愛刀を華麗に操り、小柄な体で私を護る。

 なんと頼りがいのある背中だ。


「マスター、手を――」

「ルルイエ?」


 ルルイエが私の手をそっと握ってきた。そして、


「<接続コネクト>」


 次の瞬間、繋いだ手を通してルルイエから無限にも思えるほど膨大な量の魔力が私の中に流れ込む。

 心に満ちる、いや心を支配する快感にも似た全能感。これほどの魔力があれば何だってできるに違いない……。

 ナグーブを打ち負かすことなんか簡単だろう。コロニーや街を滅ぼすことも、幽玄提督閣下のような強大な力を持つ宇宙船の船長になることも、さらには神になることも――


「マスター」

「っ!?」


 ルルイエの呼びかけで私はハッと我に返った。

 私は一体何を考えていたのだろう? 神なんかどうでもいい。私は幽玄提督閣下のようになりたいのだ。しかもそれは自分で上り詰めてこそ価値がある!


「魔力の不足はワタシが補います。ご存分に」


 ルルイエは死霊術の影響を受けないので、やろうと思えばナグーブへ直接攻撃を仕掛けることができる。魔力が吹き荒れていても彼女には傷一つ付かないだろうし、今のナグーブならば彼女が放つレーザーを防げないはずだ。

 しかし、ルルイエは私に花を持たせるために補佐に徹してくれるという。

 まったく。私は素晴らしい船員クルーに恵まれている! 出会えたことに感謝するぞ!


「ツバキ。私の前は任せる。新しくできた妹分にもお主の力を見せつけてやれ」

『ゴブッ!』

「ルルイエ。しばしお主の力を借りるぞ!」

「マスターの御心のままに」


 ルルイエから絶え間なく供給される膨大な魔力を、私は無制限に解き放つ。

 爆発的な魔力はナグーブの死霊術を押し返し、一気に形勢が逆転した。


 勝ちを確信し、血だらけの歯を剥き出しにしてニタニタと笑っていたナグーブの表情が、劣勢に陥ったことで急に険しく歪む。


 懸命に力を振り絞るものの、無限に等しい魔力の前では、どんなに寿命を削ったとしてもギリギリ耐え忍ぶことで精いっぱいだ。


 しかも、それは長く続かない。


 やはりナグーブは、ルルイエのレーザーを受け止めた時点でとうに限界を迎えていたのだ。少しずつ魔力の勢いが失われていく。


「まだだ……まだワタシは死ねない……! 妻と息子を取り戻すまでは……絶対にぃっ! ぬぉぉおおおおおおおおおっ!」


 単なる気合で私の魔力を僅かに押し戻したその一瞬の間隙をついて、ナグーブは、裂傷が刻まれる枯れ木のように細い腕を大きく広げる。

 次の瞬間、とある境目を過ぎた私の魔力が制御を失って大気中に霧散した。


「報告。『屍使い』ナグーブ・ホーの周囲に魔力無効化結界の展開を確認しました」


 魔力無効化結界か。これ以上魔力を放っても無駄だな。


「ククッ……この結界は外部からの魔力を伴った攻撃を全て無効化する。そして、内側のワタシは自由に魔法を使うことができる。だからその魔導銃の魔弾も無駄だぞ……?」


 魔導銃アル=アジフの銃口を向けられても余裕そうなナグーブへと、私は無言で引き金を引く。

 一発の銃声が轟き、弾丸が痩せ細った彼の体を小さく穿つ。


「グアァッ!? な、なぜ……だっ……! 結界は……!」

「私の魔導銃は実弾の装填が可能でな。魔力無効化結界で魔力を伴わぬ実弾を防ぐことはできんよ」


 薬莢を排出し、新たな弾丸を装填しながら丁寧に教えてやる。

 コロニーに到着してすぐにルルイエから実弾をいくつか受け取ったが、まさか役に立つとはな。今度から肌身離さず実弾を持ち歩くことにしよう。


 私は弾丸の射出と装填を繰り返し、ナグーブの腕や肩、足、胴体へと弾丸を撃ち込んでいく。


 魔力障壁やほかの魔法で防ぐこともできず、そもそも歩く力もなく立ち尽くすだけのナグーブは、全身に弾丸を受け、しかしそれでもまだ生きていた。


「ゼェ……ゼェ……」

「まだ死なぬか。最後まで死に抗い、生にしがみつくその根性は誉めてやろう」

「ワ、ワタシは、つ、妻と……む、息子……を……! ゴフッ!」

「もう吐き出す血も残っていないようだな」


 魔導銃アル=アジフに最後の実弾を込めると、辛うじて呼吸を繰り返すナグーブの額に照準を定める。


「そろそろ終わらせよう」

「まだだっ――!」


 吼えたナグーブは懐から何かを取り出す。

 それはチラホラと赤い斑点が浮かぶ、汚泥のような濃い灰色の宝石の原石に似た結晶だった。見ているだけで吐き気を催す気持ち悪さが込み上げてくる。


ワタシは実に運がいい……つい先ほどコレが手に入った……」

魂魄結晶ソウルクリスタル……そういえば、『黒鯨ブラックホエール』の貨物室からクティーラが回収していたな」

ワタシはまだ死ねないのだよ」


 静かに囁いたナグーブは、魂魄結晶ソウルクリスタルを握り潰す。

 明らかに握り潰せるほどの力はなかったはずなのに、魂魄結晶ソウルクリスタルが自ら砕けたような不自然な光景だった。


「さあ! ワタシに力を――!」


 死なないためにどんな力でも求めるナグーブの呼びかけに応えて、魂魄結晶ソウルクリスタルを握り潰した手の中から、赤い斑点が浮かぶ触手のような醜悪な闇が噴き出す。


 この光景と感覚を私は知っている。


 やはり魂魄結晶ソウルクリスタルは死者の魂が物質化したものだったか! このままではナグーブの体を乗っ取ってマズいことになる!


 なんとしても『名状し難い憑依者』への変化を防ごうと焦る私の隣で、ルルイエは何とも言えない憐れみがこもった声で呟いた。




「あ、あぁー……よりもよって使ってしまいますか。――」



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