第42話 ナグーブ・ホーの野望


『屍使い』ナグーブ・ホーの儀式場へと直通するルルイエが穿った大穴を下りていくと、遺体を安置する荘厳な納骨堂や地下墳墓カタコンベを連想させる空間に辿り着いた。


 鼻が曲がりそうなほど濃密に染みついた血と腐敗と死の臭い。ダイヤモンドダストのように薄く可視化するほど溜まった魔力。どこからともなく響いてくる低い呻き声――。


 ところどころ床や壁がヒビ割れ、人間のものと思われる骨や豪勢な供物が散乱し、地下空間を不気味に照らす緑色の篝火もいくつか倒れてしまっているが、ルルイエのビームが直撃したとは思えないほど被害は軽微だ。


「カヒュー……カヒュー……」


 部屋の中央部分。よくわからない黒い円柱の前で跪く神官が、辛うじて呼吸を繰り返している。


 紫色のローブを纏った神官は、やってきた私たちの気配を感じたのか、よろけながら振り返った。


 髑髏を模した仮面からはとめどなく血が流れ落ちており、涙を流しているように見えた。その仮面もふとした拍子に外れ、やせ細った老人の顔が露わになる。


「ア゛ァ……ン゛アァ…………ゲホッ! ゲホッ!」


 激しく咳き込む呼気に混ざる血。ホログラム映像よりも一気に10歳ほど老け込んだ死相が浮かぶ顔――国際指名手配されている第一級魔導犯罪者『屍使い』ナグーブ・ホー、その本人だ。


 目、鼻、口、耳など、あらゆる穴という穴から出血しているのは、彼がルルイエのレーザーを受け止めた代償だろう。限界を超え、寿命を縮めてでも護り、そして防ぎ切った事実には、素直に称賛しよう。誰にでもできることではない。誇っていいことだ。


「クハッ……ふ、防いでやったぞ、お前たちの攻撃を……」


 片頬を引き攣らせ、血らだけの歯を剥き出しにし、ナグーブが挑発的に笑う。

『ではもう一発』とついルルイエに命じたくなったが、さすがにあまりにも鬼畜で無粋か。

 それにこの地下空間内で彼女のレーザーを発射できない理由がある。


「骸骨のセンチョーさぁん! あなたのアッハンはここですわぁー! アハーン!」

「……無事のようだな、アッハンよ。相変わらずお主はよく目立つ」

「アハーン! わたくしを助けに来てくださったのですねぇ、骸骨のセンチョーさぁん! わたくしぃ、か・ん・げ・き♡」


 アンデッドに刃物を突き付けられていても、女商人のアッハンは相変わらずマイペースに体をクネクネとくねらせていた。

 額から出血の跡が残っていたり、服が一部破れたりしているが、虹色に輝く胸元と爆乳は健在だ。少し会わなかっただけで甘ったるい声とアピールされる豊満な女体が、辟易するほど強烈である。


「白々しい。助けに来るよう仕向けたのはお主だろう?」

「あら。わたくしはただ商人の勘に従っただけですの。それに骸骨のセンチョーさんには相応のメリットがあったはずですわ。一方的に利益を搾取するのは商売と言えませんもの」


 そういわれると、死霊術の研鑽や応用の発見、そしてなによりクティーラを奪えたのは、アッハンに導かれたことによって得た利益である。


「まあいい。取引の報酬の受け渡しが済んでいないぞ、アッハン。それは商人としてどうなのだ?」

「そのことに関しては深く謝罪申し上げましょう。しかし、わたくしは今、身動きができませんの。お望みの報酬はわたくしの胸の谷間に収まっておりますので、センチョーさんが取ってくださいませんこと?」

「胸の谷間に手を突っ込めと言いたいのか……」

「ご迷惑をおかけしたお詫びですわ」


 全くもってお詫びにならない。

 確かに元人間の男として女性の胸の谷間には並々ならぬ興味と感心がある。男のロマンだ。しかし、相手はアッハンだからなぁ。

 というか、お詫びをしたいのならば、一秒でも早く幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアデータを渡すのだ!


「助けてやるから自分で取るがいい」

「アハーン! わたくしの豊満なバストに尻込みしてしまったのですねぇ! 美しすぎる体って罪ぃ……! それともぉ、骸骨のセンチョーさんはぁ、意外と童貞さん……?」

「誰が童貞だ!?」


 私が熱望しているモノを持っているからといって調子に乗って失礼なことを言うならば助けてやらんぞ!


「ボクを助けに来てくれたのか、スケルトン! 早く枷を外してくれ! ここにいるのはもう嫌なんだ!」

「……誰だ、貴様は」


 手足を枷で拘束されているお金持ちのお坊ちゃん風の男が泣き喚いているが、はて、誰だったか? 見覚えがあるようなないような……。


「だ、大企業モブキャーラの御曹司にして、人々を救った英雄たるボクを忘れたのかっ!?」

「……ああ。貴様か。まだ生きていたのか。とすると、私に土下座した乗務員の男もいるのか?」

「死んだよ! 殺されたんだ! 赤い髪の綺麗な女性に!」

「ふーん」


 身を挺して乗客の安全を懇願したあの愚かな男のことだ。大方、誰かを庇うか、自ら名乗りを上げて、ナグーブに命じられたクティーラに殺されたのだろうな。

 その功績もあってか、生きている人間が多い。拘束された者たちが等間隔で並べられている。


「この者たちは、あのお方に捧げる生贄だ……逃げられると困るのだよ……」

「あのお方……?」


 嵐の前の静けさに似た声で淡々と告げたナグーブは、アンデッドに命じてアッハンの首の皮を一枚切り裂く。赤い雫が一筋ツゥーッと伝い落ちる。


「儀式の邪魔しないでもらおうか。このお嬢さんをこれ以上傷つけたくないのならね……」

「別に殺しても構わんぞ。アッハンの命がどうなろうと微塵も興味はない」

「アハーン! 即答! 骸骨のセンチョーさんったら、辛辣ぅ!」


 薄く切られても全く動じないとは、アッハンは肝が据わっている。死を恐れていないというか、助かることを確信しているというか……。


『ゴブゴブ?』

「まあ待て、ツバキよ。焦るでない」


『いつまで喋っているの?』と言いたげなツバキを私は手で制する。


「これ以上前に進むと巻き込まれる。迂闊に前に出てはいかんぞ」

『ゴブ?』

「ほう? 気づいていたか。ワタシは今から死者蘇生の儀式を執り行なうのだよ!」


 ナグーブが枯れ木のように細い腕を掲げると、おどろおどろしい地下空間に緻密な幾何学模様が浮かび上がる。とてつもなく複雑な魔法陣だ。


 迂闊に足を踏み入れてしまったら、魔力を吸われて生きながら魔法陣の一部になってしまうだろう。


 その魔法陣の核を担っているのは、見覚えのある魔法鉄アダマント製の片手鎌――奪われた私の鎌だ。


 魔力との親和性が高い魔法金属製の鎌は、先ほど流れ込んでいった大気中の魔力を溜め込むバッテリーのような役割を果たし、同時に魔法陣の線と線を繋ぐ中継地点でもあるらしい。膨大な魔力を宿して紫がかった漆黒に輝いている。


 鎌から放出された魔力が流れ込む先は、死体安置台に似た祭壇に横たわる二人の男女の体――


「ラッシュ……」


 ナグーブが呼びかけたのは20歳前後の青年だ。そして次に名前を呼んだのは、30代から40代くらいの女性である。


「シャウラ……」


 シャウラとラッシュ。それはナグーブがチラリと述べていた彼の妻と息子の名前ではなかっただろうか。

 横たわる二人は目を閉じており、呼吸もしていない。彼らの体から生気というか、魂の波動を感じられない。

 それは死体だった。ナグーブの妻と息子の死体――


「今、蘇らせるからな……ワタシが、必ず……必ずっ……!」


 ふむ。彼がどうやって死者蘇生を行なうか興味がある。

 ツバキの場合は、魂が現世に残っており、完全に死んではいなかったから、アンデッドという不完全ならがらも自我を持ったまま蘇生することができた。

 しかし、ナグーブが行おうとしているものは違う。完全に魂がない『死者』の蘇生だ。

 ルルイエ曰く、それは不可能らしいが……。


「妻と息子は、ワタシが研究に耽っている間に事故で死んだ……」


 誰にともなくナグーブは独白し始める。


「忘れもしない。ラッシュの高等学院の卒業式の日だった……ワタシはなかなか成果が出ていなかった研究のほうを優先し、卒業式はシャウラに任せて……連絡が届いたときにはもう遅かった……」


 俯いた彼の口からクツクツと笑い声が漏れ出る。長年の執念で狂い堕ちた哀れな笑い声だ。


「すぐにワタシは気づいたのだよ。死んでしまったのなら蘇らせればいいと! 奪われたのなら取り戻せばいいと! 二人の死から50年! ようやく準備が整った!」


 祭壇に横たわる死体に完全に魔力が充填された。だが、それだけだ。魂が宿る気配はない。死霊術で動き出す様子もなさそうだ。

 ナグーブは、長年の悲願が実る喜びと隠しきれぬ傲慢な嘲りを浮かべた瞳で私と、私の隣に立つツバキを眺め、


ワタシは完全なる死者蘇生を成し遂げるのだ! どこかの死んだゴブリンをアンデッドに変えた出来損ないの蘇生とは違ってね……」


 次の瞬間、一筋の閃光がナグーブの顔の横を通り過ぎる。


「マスター。撃っていいですか?」

「撃ってから言うんじゃない」

「直撃させていないのでセーフです。あのニンゲンはマスターとツバキが行なった奇跡を出来損ないと侮辱しました。なので撃ってもいいですか? いいですよね? 撃ちますよ」


 ナグーブに向けるルルイエの人差し指の先に眩い光が集束していく。


「まあ待て。よほど自信があるのだろう。後学のために死者蘇生の儀式を見物させてもらおうではないか。やれるものなら、な……」


 暗に『貴様にはできんよ』と言い放つと、頬を引き攣らせたナグーブは握った拳を震わせた。こめかみに青筋が浮かんでいる。


「クハッ……クハハッ! 言うではないか、アンデッド風情が! ワタシが死者蘇生を成し遂げることは確定している! なにせ、ワタシは亡者の神と契約を交わしたのだから!」

「亡者の神、だと?」


 この世に『神』と呼ばれる超越者オーバーロードが存在していることは誰もが知っている事実だ。


 人を繁栄に導き、試練を与え、場合によっては文明を滅ぼす世界の代行者。『世界』と『人』を繋ぐ仲介者。人非ざる超越存在。それが神だ。


『邪悪なる神とも契約を交わしてやる』と彼は述べていたが、まさか本当に神と契約していたとは驚きだ。


「ルルイエ。神と契約すれば完全に死者を蘇生させることは可能か?」

「……可能かと思われます。神は世界のシステム側の存在です。神が許可する、それすなわち世界が許可したことと同義ですから」

「なるほどな」

「亡者の神……名前はわかりませんが、おそらく死神に属する冥界の神でしょう。しかし、いかなる存在よりも世界のルールを順守する神が、そんなに簡単に死者蘇生を許すはずがありません。冥界の神は特に」

「それが約束してくれたのだよ、あのお方は! 100万人の死者を捧げれば妻と息子を蘇らせてくれるとね!」


 100万人だと……!?

 たった二人を蘇らせるのに対価が100万人の命とは全くつり合っていない。

 しかし、世界のルールに縛られている神にとっては、100万人で等価交換なのだろう。一度冥界に落ちた『死者』の蘇生という、ツバキとは条件が違うのも重い代償の原因かもしれない。


「貴様がコロニーを狙ったのは効率が良いからか」

「閉鎖された空間ゆえ逃げ場は少ない。簡単に滅ぼすことができた。国際指名手配されてからはやりにくくなったがね。だが、もうそんなことはどうでもいい。今回捕らえた生贄を捧げれば、100万人に到達するのだ!」


 ほほう。絶妙なタイミングだな。もう少し早かったり遅かったりすれば、私たちに邪魔されず、ゆっくりと死者蘇生の儀式を行なえたものを。実に運が悪いニンゲンだ……。


「お前たちはそこでゆっくりと儀式を眺めていてくれたまえ。立会人は必要だろう」


 そう言うと、ナグーブは部屋の中央に鎮座していた黒い円柱へと跪く。そして、厳かに神との対話を試み始めた。


「神よ! 偉大なる亡者の神『モルディギアン』よ! 我が呼びかけに応えたまえ――!」





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