第34話 糸口


 精密検査が終わり、診察台に寝ていた私はゆっくりと起き上がる。


 すぐに画面モニターに映し出された診断結果には、深刻な異常は見受けられなかった。


 体の気怠さや痺れといった症状は、死霊術の干渉と本能的な抵抗がせめぎ合ったことによる一時的な魔力酔いが原因だそうだ。時間が経てば治るという。


 私の体や意識が浸食されていないとわかって一安心である。知らず知らずのうちに支配されていなくて本当に良かった。


「……何事もない様子を醸し出していますが、『左手の小指の末節骨と中節骨の欠損』とはどういうことでしょうか? マスター、1億文字相当のデータ量で簡潔かつ詳細かつ明瞭にご説明を――ご説明をっ!」

『ゴブゴブ! ゴブブゥー!』

「ど、どういうことなんだろうな……私も知らん」


 今にも掴みかかってきそうなルルイエとツバキのジト目に耐えきれず、私はそっと視線を逸らした。


 以前、腕を負傷していたことを黙っていた前科があるからか、説明を求める二人の眼差しが余計にじっとりと冷たく濡れている気がする。


 今回は負傷ではなく『左手の小指の末節骨と中節骨の欠損』――つまり左手の小指の第二関節から先が綺麗に無くなっているのだ。


 どういうことと言われても、私にも全く身に覚えがない。痛みは全然ないし、利き手ではない左手の小指というそこまで重要な部位ではなかったから、診断結果が出てようやく欠損に気づいたくらいだ。

 だからこればかりは説明のしようがない。


「貨物室で倒れた拍子に転がってしまったのだろうか? 床に転がっていたらすぐに気づきそうなものだが……」

「映像で確認します」

『ゴブブ!』

「ああ。頼んだ」


 仕方がない、と呆れたルルイエが貨物室の映像を医務室の画面モニターに映し出し、ツバキも目を見開いて私の指の骨を探してくれる。


「映像を確認しながらでいい。ルルイエ、クティラ・ラムレイについて現時点でわかっている情報の報告を頼む」

命令受諾アクセプト


 ルルイエは、瞬きせず画面モニターを見つめながら報告を始める。


「クティラ・ラムレイは、ラムレイ帝星国の現皇帝タイタスと皇后イダの間に生まれた4兄妹の末子であり長女です。兄は順にガタノソア、イソグサ、ゾス。異母妹にはヌクトーサとヌクトルーという双子もいます」


 貨物室の映像とは別にラムレイ帝星国の皇族の画像が表示される。

 宙賊『黒鯨ブラックホエール』の宇宙船を拿捕したことによって現在の文明が使用しているプログラムやシステムを手に入れることができ、それによって”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”も宇宙ネットワークに接続することが可能になったのだ。


「年齢は26歳。14歳の頃からコズミックモデルとして活躍。度々、異性関係でスキャンダルが報じられています」

「それくらいは私でも知っている。なぜそんな彼女がこんな公宙域にいたんだ?」

「理由は不明です。ですが、彼女にはドッペルゲンガーがいる、という噂は有名のようです」

「ドッペルゲンガー? 影武者ってことか?」


 自分や誰かと同一の姿かたちをした分身が目撃される現象、それがドッペルゲンガーだ。


 姿を真似する魔物のせいだったり、精巧なホログラムや人形のせいだったり、変装や変化の見た目を偽る魔法だったり、現在でも未だ解明できていない超常現象のせいだったり、と遥か古代からドッペルゲンガーの伝説は語り継がれている。


 クティラ・ラムレイは星間国家の皇女だ。そっくりな影武者が一人や二人居てもおかしくない。


「不明です。しかし、クティラと同じ顔をした人物は宇宙全土で目撃されています」


 次々に情報が表示されて、その数は優に100を超えているだろう。

 まさかこれほどとは。予想を超える目撃情報の多さにただ驚くばかりだ。


 本人がスキャンダルを引き起こしているのか、それともドッペルゲンガーがスキャンダルの原因か……。


 彼女を陥れて失脚させたい政敵は国内外にいるはずだ。スキャンダルが本人によるものではない可能性も当然ある。


「おや?」

「どうした?」

「新たな情報がヒットしました。クティラ・ラムレイは過去に誘拐されたことがあるようです」

「誘拐だと?」

「はい。11歳の時、当時人身売買を行なっていた犯罪組織に誘拐され、無事に救出されたという情報がダークウェブに残っていました。不確かですが、記憶喪失という情報も。これはことごとく誘拐事件の情報が消されていますね。そもそも表には一切情報が出ていません」


 ダークウェブって……。

 まあそんなことはどうでもいい。一国の皇女の誘拐事件が起きたら大々的に報道されそうなものだが、私が知らないとなると情報統制が敷かれて秘密裏に処理された可能性が高いな。ならば情報が消されている件にも納得できる。


「報告。ダークウェブよりもさらに深い領域に潜ってみたら、興味深い情報が出てきました」

「ハッキングやクラッキングには気を付けるんだぞ」

「現代文明の技術では”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”の防御壁ファイアウォールを突破できないのでご安心ください」


 古代文明はどれほど文明が発達していたのだろうか……。そしてなぜ滅んで、技術が継承されなかったのかつくづく疑問である。


 旧き箱舟ロスト・アーク混沌の玉座ケイオス・レガリア号”を所有する私としては実に頼りになって鼻が高いが。


「過去に闇市場ブラックマーケットに流れていたこちらの商品をご覧ください」

「生体人形【】だと……?」


 そこには、クティラ・ラムレイと同じ顔、同じ体をした商品画像がいくつも並び、横に販売価格も表示されていた。オークション形式らしく、最終取引価格は112億イェンとなっている。取引日はなんと56日前だ。定期的に出品されているらしい。


「『束の間の夢をあなたに』……まさかこれは!?」


 すべてを察して愕然と言葉を無くす私に、ルルイエは無感情な声で淡々と事実と現実を突き付けてくる。


「マスターがご想像どおりのものでしょう。誘拐されたときに細胞を採取されていたようですね。『複製体クローン』か『人工生命体ホムンクルス』か……30日ほどしか保たないのが幸いでしょうか」

『ゴブ?』

「ツバキよ。お主は知らなくていいぞ」


 不思議そうに首を傾げるツバキの頭を撫でて私は癒される。このまま彼女には何も知らず健やかに育って欲しい。


 まったく胸糞悪い話だ。きっと被害者はクティラ・ラムレイだけではない。女性だけでなく男性もあり得る。複製体クローン人工生命体ホムンクルスならばまだいいほうだろう。


 宇宙の闇はブラックホールの如くどこまでも底が深くて濃いらしい。


 私は不快な気分を一度リセットする。

 幽玄提督閣下のような船長になるのならば、この程度で憤って感情に身を任せてならない。心は激情に駆られても、頭は冷酷なまで理性的に――。


「つまり、今回襲撃してきたクティラ・ラムレイは、本人ではなく闇市場ブラックマーケットで流れる生体人形『クティーラ』の一体だったということか」

「死霊術でアンデッド化している可能性も高いでしょう」

「アンデッドの素体としては極上か……」

「素体のオリジナルが皇族ですから」


 襲撃者の正体が分かったところでどうしようもない。対となるニトクリスの鏡がどこにあるかわからずじまいなのだ。


 ――それにおそらく黒幕は別にいる。


 クティーラは自我がなさそうだった。そんな人形を操り、命令を下し、母船に送り込んだ存在がいるはずだ。


 闇市場ブラックマーケットに流れる生体人形の件については、どんなに気分が悪くなろうが私たちに解決する手段はないし、する気もない。


 同情はしても所詮他人事。私たちは善人の正義の味方ではないのだ。解決するとしたら、それはラムレイ帝星国の義務だ。


「――報告。発見しました」

「クティーラの居場所か?」

「違います。マスターの小指の骨の行方です」

「ああ。そういえばそれを探してもらっていたな」

『ゴブブ……』


『小指の骨のほうが大事でしょ……』と言いたげなツバキのジト目から顔を逸らしつつ頭を切り替え、


「で、どこにあった?」

「こちらの映像をご覧ください」


 ルルイエの操作によって画面モニターに映し出されたのは、クティーラが襲撃してきた時の映像だ。私が床に手をつき、アッハンが寄り添って支え――


「ここです」


 拡大された映像に消失した小指の行方が映っていた。


「アッハンが奪っただと……!?」


 もがき苦しむ私を支えた一瞬の隙に、アッハンの手が私の左小指の末節骨と中節骨を握りしめたのだ。そのまま彼女は殴り飛ばされて気絶し、アンデッドによってニトクリスの鏡の向こうへと運ばれる。その間も拳は開かれず、しっかりと握られたままだった。


「どういうことだ? なぜ私の指を掠め取った?」

「……マスター。おおよそで構いません。ご自分の指の位置や方角を把握できませんか?」

「む?」


 指の位置や方角、だと?

 私は意識を集中して探ってみる。すると欠損した小指から、少しでも意識を乱すと見えなくなる蜘蛛の糸のような細い線が、どこかへと伸びている気がした。


「……わかる。本当に微かに、だが。まさかアッハンはこれを狙って……?」

「あくまでも可能性の一つです」


 所かまわずセクシーポーズを連発させ、でも実は蛇のように狡猾な一面もある生粋の商人であるアッハンだ。天然のようにも作為的のようにも思えてしまう。


「如何しましょう?」

『ゴブ?』

「そんなの決まっている。せっかくアッハンが糸口を作ってくれたのだ。有効活用するしかあるまい」


 よって、と私は威厳と覇気を纏いながら続ける。


「出航するぞ! そして私は奪われた小指と鎌を取り戻す! 絶対にだ!」

「わかりました」

『ゴブ』


 船長たる私の方針にルルイエとツバキが真面目な表情で頷く。

 そして、




「――で、本音は?」

『ゴブゴブ』




「決まっておろう! 取引の報酬である幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアデータをアッハンからまだ受け取っていないのだ! 私は閣下のフィギュアが欲しい!」


「『…………』」


「ハッ!? しまった! つい本音が!」


 彼女たちが理解わかったというのは『船長の方針』ではなく『本音と建て前』だったらしい。

『やっぱり……』とか『最後の最後で台無し』という、何度目かわからない二人からのジト目が実にいたたまれない。


「さ、さぁーて、出航するぞー、出航ー」


 ルルイエとツバキのため息を背中で受け止めつつ、必死で誤魔化す私は思う。

 幽玄提督閣下のような威厳のある格好いい船長になるにはまだまだ精進が足りないな、と――。

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