第33話 目覚め


「――マスター! 起きてください、マスター!」


 ルルイエの焦り声に導かれて私の意識が急浮上する。

 寝起きのようにぼんやりと霞む視界に映ったのは、涙目で必死に私の体を揺らすルルイエの姿だった。

 絶世の美女に起こされるのは何とも気分がいいものだ、と呑気に考えつつ上体を起こし、


「私は……」

「ああ! よかった! 目覚めたんですね、マスター。体調はいかがですか? どこかいつもと違うところなどは……」

「そうだな……少し怠くて痺れのような感覚も……くっ! 頭がボーっとする……」


 なんだこの二日酔いに似た症状は。そもそも私は骸骨だから、怠くなる肉体も、痺れる神経も、ボーっとする脳も存在しなのだが……。

 困惑する私の脳裏に意識を失う前の記憶が蘇る。


 魂魄結晶ソウルクリスタル。黒いモノリス。ニトクリスの鏡。クティラ・ラムレイ。そして死霊術――


 そうだ。私は誰かが発動させた死霊術の支配に抗って、そのまま意識が真っ暗になったのだ。


 周囲を見回すと、ここはまだ宙賊『黒鯨ブラックホエール』が拠点としていた母船の貨物室の中だった。


 意識を失う前と違うところは、大量に集められていた荷物の大部分が消えているところと、人質の人間や連れてきたアッハンたちの姿もないところか。


 古代文明の遺物の『ニトクリスの鏡』と呼ばれるモノリスはまだ部屋の中央に鎮座しており、表面の色は銀色の鏡から元の黒曜石のような艶やかな黒色に戻っている。


「そうだっ! ツバキは!?」


 ツバキは私よりも先に死霊術の影響を受けて倒れ苦しんでいたはずだ! その後すぐに誰かを心配する余裕もなくなって、ツバキがどうなったのかわからない!


「ツバキはマスターのお隣に」


 慌てて自分の隣を見ると、白髪の小柄なツバキが眠るように目を閉じている姿があった。


 最悪の状況が頭をよぎったが、そもそもツバキは一度死んでアンデッドになっている。私の死霊術で蘇らせたせいか、ツバキの魂はまだ宿っていることがなんとなく理解できて、まずは一安心した。


「ツバキは大丈夫でしょうか?」

「詳しく確認してみよう。少し待て」


 私はツバキの体に手を置き、死霊術を発動させて様子を探る。

 ふむふむ。なるほど。


「どうですか……?」

「問題ない。死霊術に影響を受けた箇所が多少見受けられるが、修正できる範囲内だ。意識を失った直接的な原因は、ツバキが懸命に抗ったことによる魔力の消費だろう。魔力を補填したからすぐに目を覚ますはずだ」

「そうですか。よかったです……」

「私も体の怠さや若干の痺れを感じるくらいで深刻な影響はない……と思う。こればかりは専門外でよくわからん。”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”の診察機器で診断してもらおう」

「そうしたほうがいいでしょう」


 心配で強張っていたルルイエの表情から力が抜けた。自称”感情がない人型魔導兵器”の彼女は、ホッと安堵した様子で私の骨の右手を手に取ると、ポテッと自らの頭に乗せてブンブン頭を振り始める。


『セルフ頭ナデナデ』だ。本人曰く、『これは一方的に頭を擦り付けているだけですから』と決して頭を撫でる行為とは認めないが、意外と気に入っているようでよく強請ってくるのだ。

 心配をかけた分、本人が満足するまで手を置いておこう。


「私が気を失った後はどうなったのだ?」

「映像が残っていますから確認してみますか?」

「ぜひ頼む」


 ルルイエは貨物室の監視カメラの映像をホログラム状に投影させる。


「ふむ。御曹司のお坊ちゃんを問い詰めているところだな」

「……記録ログを確認しました。魂魄結晶ソウルクリスタルという物質を発見したそうですね」

「ああ。あれはおそらく冥界から逃げ出した死者の魂の結晶だ。『名状し難い憑依者』になる前にウィアードが砕いた結晶と似た気配を感じた」

「なるほど。結晶化していると、冥界の使者である『忌まわしき狩人』には探知できないのかもしれませんね」


 その可能性は大いにある。探知できていたら即座に回収するはずだからな。冥界の使者の目を誤魔化すための結晶化なのかもしれない。


「問い詰める私の背後でモノリスの変化が始まったな」

「あれはニトクリスの鏡でしたか……」


 映像の中でモノリスの黒色の表面が水銀のような銀色に変化していく。


「ルルイエも知っていたか」

「肯定。ですが起動状態しか見たことがなかったので、あの黒いモノリスがニトクリスの鏡だと気づきませんでした。申し訳ございません」

「別にルルイエのせいではない。それで、ニトクリスの鏡が転移ゲートというのは本当か?」

「肯定。複雑な座標計算を省略するために開発された二枚一対の転移ゲートです。二枚の鏡を『扉』と見なして二点間の距離を繋ぎます」


 となると、やはりここにあるニトクリスの鏡と対になる鏡がこの宇宙のどこかに存在して、そこからクティラ・ラムレイらしき赤い髪の女が移動してきたのだろう。


「起動させることは可能か? 私の鎌が奪われたのだ。取り返したい」

「おそらく不可能かと。登録者しか起動できない仕組みです。空間移動に座標という概念がありませんので、対となる鏡の位置を割り出すこともできません」

「だが所詮は魔導具だ。長距離の移動は無理だろう? 魔力消費が尋常ではないはずだ」

「肯定。最大距離は50光年だと記憶しています」


 50光年が長距離ではない……? 古代文明の距離感はバグっている。それともルルイエの距離感覚がおかしいのか?


「かつては逢引き用の魔導具として王侯貴族を中心に重宝されていました」


 だろうな。登録者しか起動できず、対となる鏡の位置もわからないならば、逢引きや犯罪に最適だ。


「お? この女が今回の襲撃者だ」


 ホログラムの映像の中で赤髪の女がやって来て、ツバキと私が倒れると同時に宙族たちの死体が動き出し、他にも鏡の中から出てきたアンデッドが人間たちを捕らえ、貨物室内の荷物とともに再度鏡の中に消えていく。


 赤髪の女は気絶した御曹司のお坊ちゃんから魂魄結晶ソウルクリスタルを奪い、商人アッハンを殴り飛ばした後、記憶通り私の前に佇むと魔法鉄アダマントの片手鎌を拾って背を向ける。


 人間と荷物をほぼすべてどこかへと運び終わったら、倒れ伏す私とツバキには目もくれず、アンデッドと赤髪の女がニトクリスの鏡の中へ入って、鏡は転移ゲートの機能を停止した。

 それからすぐにルルイエが貨物室に現れ、現在に至る、と。


「申し訳ございません。貨物室の周囲に強力な結界が張ってあり、すぐに駆け付けることができませんでした……」

「結界を壊せなかったのか?」

「壊すことは可能でした。しかし、もしそうした場合、母船が吹き飛んでいました」

「……結界が解けるまで待っていたのは英断だったぞ」


『母船が吹き飛ぶ=私とツバキも吹き飛ぶ』ということ。全長150メートルの宇宙船が吹き飛ぶ威力だ。私もツバキも粉微塵だったことだろう。

 安易に結界を破壊する選択肢を選ばなかったことを褒めてやりたい。ルルイエが脳筋ではなくて助かった。


『ゴブゥ……』


 その時、ツバキが小さく呻いて身動きをした。寝起きのようにグシグシと目を擦って億劫そうに起き上がる。


「ツバキ! 目が覚めましたか!」

『ゴブブ……』


 真紅の瞳をパチパチと瞬かせたツバキは、私とルルイエに『おはよう』と片手をあげて目覚めの挨拶をし、今回は奪われなかった愛用の刀を握りしめる。そして、周囲を見渡してキョトンと小首を傾げる。いまいち状況を理解していないらしい。


「ツバキも目が覚めたのなら、一度”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に戻って詳しい検査を受けよう。その間、ルルイエには調べて欲しいことがある」

「アンデッドを引き連れていた赤い髪のニンゲンについて、ですね」


 ああ、と私は頷く。


「ラムレイ帝星国の皇女クティラ・ラムレイを調べてくれ」



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