第24話 完治


 水のせせらぎのような心地よい音。ゆらりと立ち昇る湯気。じんわりと温かいお湯。


「あ゛ぁ……骨に沁みる゛ぅ……」


 ”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”の大浴場を贅沢に独り占めして、私は風呂を堪能していた。


 水風呂、電気風呂、ジャグジーやジェットバス、打たせ湯、サウナなど、一度では全部楽しめないほどたくさんの種類がある。湯口は獅子やドラゴンの魔物を模しており、繊細で壮麗な女神像のようなものもある。


 壁一面は画面モニターで、宇宙空間や惑星の大自然などを映し出すことができ、一度試してみたがまるで本当に宇宙や大自然の中で風呂に入っているようで、臨場感が凄まじかった。本当に画面モニターなのか思わず触って確認したほどだ。


 宇宙船において貴重な水をふんだんに使ってでもこのような広大なで豪華な風呂を造るとは、古代文明人たちは相当風呂にこだわっていたらしい。


 ここまでの風呂への執着はいまいち理解できないが、おかげでいい湯を味わうことができる……。その点は大いに感謝しよう。


 ちなみに、このお湯は船の冷却水を再利用しているという。温まった水を風呂に使用し、それをまた浄化して再び冷却水として利用しているので、ルルイエ曰く、決して無駄遣いではないとのことだ。


「これは心まで癒されるな……力が抜ける……」


 あまりの気持ちよさに骨がバラバラになってしまいそうなほど緩みきって脱力する。


 もはや頭までお湯に浸かりたいくらいだ。


 いや、それもありかもしれない。私は骸骨スケルトン。呼吸を必要としない魔物だ。当然水の中でも溺れないので、頭まで全身お湯に浸かることも可能なのだ。


 しかし、ビジュアルがなぁ。傍から見たらお湯の底に沈んだ白骨死体そのもの。ホラーだ。

 幽玄提督閣下に憧れる者として、そのようにだらしなく風呂に入るのはいかがなものか。彼ならばきっと風呂の中でも船長としての威厳を漂わせて格好良く決めているはずだ。


 私も彼に見習って、少し格好つけてみる。

 豪華で広大な風呂を一人堪能する骸骨船長――うむ、悪くない。全然悪くないぞ!


「――しかし、ルルイエたちにバレてしまったな、腕のことが」


 大満足の私は、ふと左腕に視線を落とす。そこは一見何事もない骨があるのだが、軽く引っ張ってみると、関節ではなく上腕の半ばあたりからスパッと外れるのだ。


 ツバキを殺した一人、『震剣』のウィアードという冒険者の男に斬られた痕だ。


 微かにむず痒い違和感を感じるだけで痛みはない。指や手や肘も問題なく動く。

 なにも支障はないのだが、負傷は負傷だろう。癒す必要はある。が、


「どうやっても癒着しないのはなぜだろうなぁ……」


 自然治癒、医療筐体メディカルカプセル、錬金術――どれを試しても骨がくっつかない。


 骨折のようなものだから、固定して長い時間かければくっつくのかもしれないが、どうなのだろう? 私は骸骨スケルトン。そもそも自然治癒をするのか?


「ま、仕方がない。いずれどうにかなるだろう。進化すれば治るかもしれないしな」


 と楽観的に考えつつも、最近はレベルの上昇が止まっているからなぁ。

 今の私は種族レベルが89。90になかなか上がらない。


 私はよくある『壁』に直面していた。


 何をやっても上昇しない。あと一歩何かが足りていない感じ。

 この『壁』は人によって千差万別。ふとした瞬間にあっさり乗り越えることができることもあるし、何年も、もしくは何十年も伸び悩んで挫折して諦め、そのまま生涯を終える人もいる。


 生前の私も錬金術がレベル19からレベル20に何年も上がらなくてもどかしかった。しかし、骸骨スケルトンになってあっさりと上昇してしまい、拍子抜けしたものだ。


「今までトントン拍子に行き過ぎただけか……。種族レベルが上昇しないなら、職業レベルや技能レベルを高めればいい!」


 そうだ! 凡人の私は今やれることを一つずつやればいいのだ!


「なにも焦る必要はない。少しずつ敬愛する幽玄提督閣下のような船長になればいい! 私はやってやるぞ! クハハハハ!」


 ザバーンッと湯船から立ち上がって高笑いしていると、


「お一人で何を笑っているのですか?」

『ゴブ!』

「ぬぉわっ!?」


 突然、背後から声がして慌てて振り返ると、若干の呆れと憐みの眼差しをした無感情なルルイエとご機嫌なツバキの姿があった。


 考え込んでいたのとリラックスして緩みきっていたこともあって、二人の侵入に気づかなかったらしい。


「ど、どうしたんだ、二人とも」

「私たちもお風呂に入ろうかと思いまして」

『ゴブゴブ』

「私がまだ入っているのだが!?」

「なのでツバキには水着を着せました。可愛いでしょう?」

『ゴッブ~!』


 ワンピース風の子供用水着を着たツバキは確かにとても可愛い。よく似合っている。

 デザインがエプロンっぽいのはルルイエらしい。


「可愛いぞ、ツバキ」

『ゴブ!』


 彼女の頭に骨の手を置くと、ツバキは嬉しそうに首を振った。

 私が撫でるのではなく、自ら首を振って手に擦り付けてくるスタイル――ルルイエの真似か。あまりルルイエの変なところは真似して欲しくないのだが、これはこれで可愛いので許そう。


「で、ルルイエはなぜ全裸?」

「お風呂とは本来、裸で入るものですから」

「堂々と仁王立ちしなくても……せめてタオルを巻いてくれ。目のやり場に困る」

「マスターに目はありませんが?」

「おっと。これは一本取られたな!」


「「アッハッハ!」」

『ゴッブッブ!』


 骨をカタカタ鳴らし、胸を揺らし、私たちは笑い合う。ツバキも私たちの真似をして大笑いだ。


「それにワタシは隠すような体をしていませんから」

「お、言うなぁ。確かにルルイエほどの体なら隠す必要はなさそうだ。むしろ誇っていい」


 完全なる左右対称の黄金比の体は女神の如き美しさで、神々しい芸術品を見ているかのようだ。人知を超えた『美』には欲情する気も起きない。


「ワタシの製造者曰く、『体の造形にはとことんこだわり抜いた』とのことです。特に胸へのこだわりと熱意は尋常ではなく、形や大きさ、触り心地、撫で心地や揉み心地、頂点の高さや角度に至るまで緻密に計算して――」

「ああ、うん、わかったから。ルルイエの製造者がおっぱい星人だったということがよくわかったから、わざわざ胸をアピールしなくていい」


 やはりルルイエの製造者はそういう感じか。そうではないかとずっと思っていたのだ。ルルイエがアレだからなぁ……。


「もしマスターが気になるようなら、こうしましょう」


 そう言って、ルルイエは足元に置いていた小さな樽の中身をドバドバと浴槽に流し込む。ツバキも小さな瓶を持ってお手伝い。

 湯船のお湯が瞬く間に白く濁り、ハチミツミルクのような甘い香りが漂った。


「これは……ミルクか?」

「はい。ミルクにいろいろ配合して作られた入浴剤です。濁り湯にすれば問題ないでしょう」

「まあ、湯船に浸かればお互いの体は見えなくなるか……」

「マスターの腕も治ったりして」

「アッハッハ! ないない! ミルクの入浴剤に浸かっただけで完治するわけがなかろう?」


 チャプンと甘い匂いの濁り湯に浸かって立ち上がる。そして、左腕を引っ張ると、ほら外れ……ん? 外れないぞ? どうしたんだ……?


 力強くグイグイ引っ張るが、切断された箇所は一向にくっついたままで、切断面も一切見えない。


「治っている……?」

「えぇ……冗談でしたのに。マスタ―の体はどうなっているんですか。ギャグの塊ですか?」

「そう言われても治っているものは治っている……ハッ!? まさかミルクに含まれているカルシウムのおかげか!?」

「マスターは馬鹿ですか?」


 ぐっ! 辛辣だな。無表情かつ冷たいくらい淡々と述べられる罵倒は、心にグサッと突き刺さるぞ……。

『脳が空っぽなんですか?』と冗談っぽく言われたら、また一本取られたと笑い合えたのに。


「ハァ……なんだか心配して損しました。ツバキ、ギャグ要素満載のマスターは放っておいて、私たちも温まりましょう」

『ゴブッ!』


 二人は掛け湯をして湯船に浸かる。

 気持ちよさそうに艶めかしく肩にお湯をかけるルルイエを私はじっと見つめ、


「ずっと私のことを心配してくれていたのか?」

「…………」


 腕の負傷を知った途端、私を医務室に連れ込んで詳細な検査と説明を求めてきたルルイエだ。隠していたから説教も受けた。


 もしかして結構心配させてしまったのだろうか?


 時々辛辣でセクハラし放題のルルイエは、意外と優しいところがある。風呂への侵入も私を心配しての行動なのかもしれない。


 そんな根は優しい黒髪黒目の絶世の美女は、実に美しい動きで私を見つめ返し、おもむろにスッと手をつき出す。


 ――その瞬間、巨大な波が発生した。


「ぬおっ!?」

「ワタシは人型魔導兵器です。負傷していたマスターのことなど、全然、これっぽっちも、微塵たりとも、心配していませんでした!」

「ちょっ! 待て! それは照れ隠しに水を掛ける範疇を超えている!」

「照れ隠しなどではありません。違いますから」

「ルルイエ! 待て待て待て! ぬおっ!? おおおおっ!?」


 何度も何度も押し寄せる津波の如き巨大な波に為す術無く呑まれ、軽い骨である私はあっさりと大浴場の端まで押し流されるのだった。



 ■■■



 風呂上り。浴衣姿のルルイエとツバキが、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳を美味しそうにコクコクと飲んでいる姿を私は少し羨ましげに見つめる。


 骸骨スケルトンである私は飲食ができないのだ。呼吸を必要としない疲れ知らずの骨の体になったのは良いものの、飲食ができないのはとても残念だ。


 人型魔導兵器のルルイエは言わずもがな、ゾンビになったツバキも肉体があるから物を味わうことはできるらしい。


「今日はもう休むか。宇宙は無限に等しいほど広大だ。どこの領宙にも属さないこんな公宙域を航行している間は、どうせ何事も起きないからな」

『ゴブゴブ』

「あ、マスター、それはフラグ――」


 ――ビーッ! ビーッ! ビーッ!


 その時、ルルイエの言葉を遮るように、船のスピーカーからけたたましいブザー音が鳴り響く。


 私のせいと言いたげにジト目で一瞥してきたルルイエは、軽く目を瞑って”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”のシステムに接続アクセスし、情報を探る。


「報告」

「聞こう」

『ゴブブ』


 緊張感が高まる私とツバキに、ルルイエは至って冷静かつ淡々と報告する。


「たった今、救難信号を受信キャッチしました。近くを航行中の宇宙船の一団が宙賊に襲われているようです――」


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