第2章 狂った死霊術師 編

第1節 物言わぬ襲撃者

第23話 健診


 濃密な死臭が染みついた部屋に掠れた囁き声と何人ものすすり泣く呻き声が聞こえる。


 不気味に照らす緑色の炎の篝火かがりび。壁一面に並べられた人間の頭蓋骨。真新しい供物。腐った臭い。血痕。黒い円柱。


 そこは邪悪なる神を崇め奉る邪教徒の儀式場にも、遺体を安置する厳かな納骨堂や地下墳墓カタコンベにも思える、『死』への敬意で満たされたおぞましい空間だった。


 円柱を中心に配置された遺体安置台に似た祭壇には、一台一台複雑な魔法陣が描かれ、その上に手足と口を枷を嵌められた人間が横たわっている。


 意識はあるようだ。目の端から涙が零れ、恐怖で瞳孔が開いている。小刻みに震える体には、打撲痕や擦り傷が刻まれていた。必死で抵抗したのだろう。特に枷の周りが酷い。血だらけで、若干化膿している。


 今から行なわれることを考えたら、手足を引き千切ってでも逃げ出すほうがマシだろう。


 その空間に、嗄れ声でブツブツと呪文を唱える一人の神官風の男がいた。紫のローブを纏い、髑髏の仮面を被っている。年齢は初老ほどだろう。伸び放題伸びた白髪しらがはボサボサで、手は枯れ木のように細い。

 彼は黒い円柱へと恭しく跪き、一心不乱に何かを呟いている。


 そんな彼が唐突に立ち上がり、両手を広げて狂ったように声を張り上げる。


「神よ。偉大なる亡者の神よ! 敬虔な信徒たるワタシが貴方様に供物を捧げましょうぞ!」


 神官に合図されて、気配もなく佇んでいた赤髪赤目の赤がよく似合う女性が祭壇に近寄ると、顔色を一つ変えないまま横たわっていた人間の首を刃物で掻き切った。


「ゴフッ……」


 痙攣して事切れたのをボーっと確認すると、彼女は次の生贄の元へと移動し、同じく無防備に晒された首を切る。


 また一人、また一人、と赤い女は淡々と作業をこなしていき、濃密な血の臭いが充満するころには、安置されていた生贄は全員殺されていた。


 その光景に神官の男は満足げに頷き、再び黒い円柱へと頭を垂れる。


「偉大なる亡者の神よ! ここに用意致しましたのは、今死んだばかりの新鮮なる死体でございまする。どうかワタシが捧げる供物を受け取りたまえ!」


 神官の呪文が終わると、祭壇の上で息絶えていた死体が輝いて球体の光になり、黒い円柱に吸い込まれるように消えていく。


『……確かに受け取った』


 そして、どこからともなく響いてくる、超越的な重圧プレッシャーを孕んだ低い声。


 神性を放つ人外の気配を感じたのは一瞬のこと。すぐに気配はいなくなって元の不気味な空間へと戻っている。


 唯一変わったところがあるとするならば、捕らえられていた人間が消え、代わりに祭壇の上に大量の血溜まりが残っているところだろう。


 跪いていた神官の男がゆっくりと立ち上がり、髑髏の仮面の下でクツクツと笑い始める。


「ククク……あと少し、あと少しだ! それでワタシの長年の願いが成就する! ワタシは死んだ妻と息子を取り戻すのだ!」


 緑色の炎に照らされながら狂気で満ちた嗄れ声で哄笑する男。

 そんな彼の傍で物言わぬ赤い女性はただ静かに佇んでいる。



 ■■■



「お巡りさん、こちらです――」

「無罪だ!」


 ルルイエが無感情に放った言葉に私は反射的に両手を上げて否定する。しかし、咄嗟に出たその言葉の選択は悪かったのかもしれない。

 深淵の如き黒い眼差しがじっとりと濡れる。


「それは罪の意識を自覚したゆえの発言ですよね?」

「いやいや! 私は何も疚しいことはしていないぞ! なあツバキ!」

『ゴブ?』


 船の医務室の診察台にうつ伏せに寝ていたゴブリナのツバキが不思議そうに起き上がり、彼女の小柄な体からハラリと落ちるタオルを超高速で動いたルルイエが掴んで、裸体が晒されるのを未然にガードして隠した。


「何も知らない幼女を裸にさせてその体を撫でる……立派な犯罪です」

「待て待て待て! 誤解だ!」

「このロリコンのゲスマスターめ……! 羨ましい! ワタシも混ぜてくださいよ!」

「……は?」


 すぐに言葉の意味を理解できずにポカーンとする私。

 この人型魔導兵器はなにを言っているのだろう?

 困惑する私の前で、ルルイエが恍惚とした危ない興奮が高まっていく。


「昔、とある偉い人が言っていました。『イエス、ロリータ! イエス、タッチ! 可愛い幼女はペロペロするもの! 同性ならば問題なーし!』と。何をふざけたことを、と当時は思っていましたが、今ならよく理解わかります。グヘヘ!」

理解わかるなっ! そんな考え即刻消去しろ! ツバキ、その変態魔導兵器から今すぐ離れるんだ!」

『ゴ、ゴブ……!』


 手をワキワキさせながら近寄ってくるルルイエがさすがに気持ち悪かったのか、タオルを纏ったツバキが私の背中に隠れる。


 なにが『イエス、ロリータ! イエス、タッチ! 可愛い幼女はペロペロするもの! 同性ならば問題なーし!』だ。それは偉い人ではなくエロい人が言っていたことだろう? 本気にするな! ルルイエのほうが犯罪的じゃないか!


 ――お巡りさん、こいつです!


「はぁ。邪魔するなら出て行ってくれ」

「マスターはツバキを裸にひん剥いてナニをしていたのですか?」

「言い方! 言っておくが、卑猥なことは何一つしていないぞ。定期健診だ。ツバキは完全に蘇生したわけではない。魔力は一部私に依存している。だから死霊術に綻びがないか確かめていたところだったのだ」

「それは邪魔をして申し訳ありませんでした。早急に続けてください」


 わかればよろしい。

 スンッと無表情に戻ったルルイエに促され、おずおずとツバキが診察台に戻り、私は彼女の体に骨の手を置く。


「…………」

「どうですか? ツバキの体に問題はありますか?」

「大丈夫だ。問題ない」

「そうですか。よかったです」

「でも、気になるところはある。ツバキの体を流れる魔力の経路がグチャグチャだ。これは蘇生の影響か? それとも元々か?」


 誰しも体に流れている魔力の経路。コアから出てコアに戻るという血管に似た魔力の流れが、ツバキは非常に歪なのだ。曲がっていたり、枝分かれしていたり、複雑に交差していたり、瘤のように滞留していたり――これでは魔法どころか身体強化も使えないだろう。


 以前のツバキの体をこうして調べたことがなかったから、これが生まれつきなのかそうじゃないのか判断ができない。


「元々の可能性が高いと推測します。変異種でもなければゴブリンは基本的に魔法が使えない魔物です。普通のゴブリナだったとき、ツバキは魔力制御すらできませんでしたから」

「ならいいんだが……」


 その時、ツバキが可愛く声を上げる。


『ゴブゴブッ! ゴブブッ!』

「ふむふむ。なるほど。マスター、ツバキは魔法が使えるようになりたいそうです。ツバキの魔力経路をどうにか矯正することはできませんか?」

『ゴブブ!』


 そうかそうか。ツバキも魔法を使いたいか。向上心があるのは素晴らしいぞ!


「可能か不可能かと問われると、可能だ。だが、これは魔学療法士の分野だからなぁ。私にできるかわからん」

「一度試してみては?」

「そうだな。ツバキ、片手を出してくれ」

『ゴブ』


 差し出された小さな手を握り、私の魔力を流し込んで、彼女の体内の魔力経路に意識を集中する。


 掌の中央に魔力が集まっているようだ。普通ならそこから指先へと向かうのだが、その経路が細くて流れる量が少なくなっている。


 ふむ。これからどうすればいいのだろう? ひとまず私の魔力とツバキの魔力を混ぜ合わせて――


『ゴブブッ!?』


 むむ? 意外と難しいな。だがしかし、これは錬金術や魔導具製作の時に似た感覚だ。こういう時は、私の魔力で覆って、粘土をこねるようにゆっくりと揉み混ぜて――


『ゴ……ゴブゥ……♡』


 良い感じだな。魔力が混ざったことで操作しやすくなった。次はこの魔力を経路の小さな穴に流して……よし、通ったぞ。そして、内側から膨らませるイメージで経路の幅を広げる――


『ゴッ……ゴブブッ……♡』


 なかなか上手くいかんな。揉み広げるのは……無理だな。なら行ったり来たりさせて広げるのは……なんとかなりそうか。


 ん? 小刻みに振動させれば広がるじゃないか! ならば振動させながら行ったり来たりさせれば……おお! 上手くいきそうだ!


『ゴブゴブゴブッ……ゴッブゥ~……♡』


 よし、こんな感じでいいんじゃないか。最初にしては上手くできたと思う。あまり広げすぎると悪影響が出るかもしれないので、感覚的には数ミリ広げてみた。これで様子を見てみよう。


「ふぅー。どうだ、ツバキ。何か変わったか?」


 すべての指の経路が少し広がったのを確認して一息つくと、何やらビクビクと体を震わせて脱力するツバキと、軽蔑と嫌悪の冷たい眼差しを私に向けるルルイエの姿があった。


「えーっと、ルルイエさん……?」

「お巡りさん、こちらです! 現行犯です! 逮捕してください!」

「なぜだっ!?」

「セクハラですかっ!? ワタシの口からは、あんなはしたないこと言えません……! このド変態マスターめ!」

「え、えぇ……?」


 頻繁に下ネタを繰り出して私にセクハラをし、さっきも『イエス、ロリータ! イエス、タッチ! 可愛い幼女はペロペロするもの! 同性ならば問題なーし!』と危なく興奮していたド変態魔導兵器に言われたくないんだが……。


「ツバキ、大丈夫か?」

『ゴ、ゴブゥ……』


 億劫そうに起き上がったツバキは、『もうお嫁にいけない!』というように小さな手で顔を覆っている。


「本当に何があった!?」


 そして、その仕草をツバキに教えたのは絶対ルルイエだろう!? 何を教えている!?


「ツバキを見てわからないと? マスターの目は節穴ですか?」

「節穴だぞ! 骸骨スケルトンだからな!」

「おっと! これは一本取られましたね!」


「「アッハッハ!」」

『ゴッブッブ!』


 私たち三人はひとしきり笑い合い、話を元に戻す。


「ツバキ、痛みはないか? 異常が無いのならこれで健診は終わりだ」

『ゴブブ!』

「あ、待ってください。せっかくですしツバキの固有生体情報パーソナル・データを確認しておきましょう」

『ブ? ゴブッ!』


 む? 魂魄情報端末ソウル・デバイスと同じ機能を持つ機器がここにあるのか?

 ルルイエは医務室に設置されている制御盤コンソールを操作して、ツバキの固有生体情報パーソナル・データ画面モニターに表示させる。



 ――――――――――


【名前】ツバキ

【種族】ゴブリナゾンビLv7

【階級】下級不死者

【職業】見習い剣士Lv13

【技能】『体術Lv9』←6UP『剣術Lv17』←15UP『闇属性耐性Lv35』←NEW『火属性脆弱Lv30』←NEW『聖属性脆弱Lv100』←NEW

【称号】『ランドルフの眷属』←NEW


 ――――――――――



「すまないな、ツバキ。私の力不足で『ゾンビ』にしてしまって。私がもっと死霊術を鍛えていたら『動く屍リビングデッド』になれただろうに」


 死霊術でアンデッドとして蘇ったツバキは、リビングデッドではなくゾンビになってしまったのだ。

 ゾンビの変異種のリビングデッドを狙っていたのだが、完全に私のせいである。本当に申し訳ない。


 ゾンビとリビングデッドの違いは、簡単に言うと、腐るか、腐らないか――これに尽きる。


 もっと詳しく言うと、

 ・死後に長い時間経過して腐った死体が魔物化した存在がゾンビ

 ・死後直後の新鮮な死体が魔物化して、朽ちることのない存在がリビングデッド

 である。


 一般的に、ゾンビよりもリビングデッドのほうが動きが滑らかで強いといわれている。他にもリビングデッドは意思を持つことが多いのだとか。


 幸い、”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”の設備で肉体が腐敗することはないが、やはりツバキにはリビングデッドになって欲しかった……。


『ゴブブ!』

「ツバキの言う通りです。気にする必要はありません。進化すればいいのです。ね、ツバキ?」

『ゴブ!』

「優しい子だな、ツバキは」


 私はツバキの頭を優しく撫で、


「しかし、もうそんなにレベルが上がったのか。不死者になって種族レベルや職業レベルもリセットされたというのにすごいではないか!」

『ゴッブゥー!』


 ふふん、と得意げに胸を張った姿に癒され、再度頭を撫でてしまう。

 くっ! ウチの子が可愛すぎて困る!


「マスターも確認しておきますか?」

「それもそうだな」


 私はツバキと場所を入れ替わって診察台に乗ると、ルルイエが制御盤コンソールを操作。画面モニターに私の固有生体情報パーソナル・データが表示される。

 どれどれ……。



 ――――――――――


【名前】ランドルフ・ラヴクラフト 享年33

【種族】骸骨スケルトンLv89 ←10UP (左腕の負傷)

【階級】下級不死者

【職業】見習い死霊術師Lv11 ←10UP

【技能】『操船Lv14』『錬金術Lv27』『調薬Lv14』『魔導具製作Lv4』『呪術Lv8』『暗殺術Lv4』『火魔法Lv2』『水魔法Lv3』『土魔法Lv5』『風魔法Lv3』『雷魔法Lv2』『闇魔法Lv7』『射撃Lv7』←2UP『死霊術Lv10』←4UP『鎌術Lv2』『闇属性耐性Lv50』『聖属性脆弱Lv100』

【称号】『名持ちの魔物ネームド・モンスター』『魔導兵器ルルイエの所有者』『混沌の玉座ケイオス・レガリア号の船長』『エプロンの御使い』


 ――――――――――



「ふむ。まあこんなものか」


 私の場合は、ツバキを蘇生させる前のレベル上昇がほとんどだ。出航して星の海を航行している現在、ほぼレベルアップしていないだろう。


 現在進行形で急成長しているツバキとは大きく違う。これが天才と凡人の差だ。天才が努力すればするほど、凡人との差が縮まり、いつしか追い抜いて広がっていく。


 実に羨ましい限りだ。


 だがまあ、私も船長としてのプライドがある。凡人は凡人なりに地道に努力していこうではないか。


 その時、私の固有生体情報パーソナル・データを眺めていたルルイエがボソリと呟く。


「左腕の負傷……?」

『……ゴブブ?』


 し、しまった! そんな情報も記載されるのかっ!?

 ここは医務室で、機器もおそらく医療用。負傷具合が表示されるのはむしろ当然のこと。

 これはマズい! ひたすらマズい! 心配かけまいと隠していたのに!


「さ、さぁーて、風呂にでも入ってくるかなー」

「待ってください、マスター! 左腕の負傷とはどういうことですか!? まさかウィアードに斬られた傷がまだ癒えていないのですかっ!?」

『ゴブブ! ゴッブブー!?』


 二人が問い詰めようと動いたときには、もう既に私は逃走を開始している。


「――さらばだ!」

「あっ! 逃げないでください、マスター!」

『ゴブゴブー! ゴブー!』


 ここは閉鎖された船の中。そして、運動音痴な私と運動神経抜群な二人。

 結果は火を見るよりも明らかで、医務室を出て十数歩も行く前にあっさり捕まり、黙秘権を行使して物言わぬ骸骨と化した私は、ズルズルと引きずられて再び医務室の中に連行されるのであった。


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