第16話 激情



 ――ツバキが死んでいる。


 私は現実を受け入れられず、今もなお必死で呼びかけるルルイエとなにも反応しないツバキを、少し遠く離れた位置から呆然と立ち尽くして眺め続ける。


 これは夢なのだろうか……? きっと夢に違いない。そうだ。そうに決まっている!


 そう自分に言い聞かせようとするが、これが現実であることは疑いようもない事実だった。


「どうして……」


 いろいろな『どうして』が頭の中をグルグルと回る。自分の、そして誰かのせいにしたくて、激しく責め立て、罵ってやりたい衝動に駆られる。



 どうして私はツバキを助けられなかった?


 どうして一人で出歩かせても大丈夫だと思った?


 どうして私はツバキの危機に気づかず、錬金術に耽っていた?


 どうしてルルイエに位置を常に捕捉しておくよう言わなかった?


 どうしてルルイエはそうしなかった?


 どうしてルルイエは面倒を見ると言いつつ目を離した?


 どうしてツバキは死ななければならなかった?


 どうして一人で廃鉱山なんかに行ったんだ――?


 どうして、どうして、どうして……。



 なぜか現実感が感じられなくて、妙に冷静な私は無言で周囲を見渡す。

 焼け焦げた跡。何かが勢いよく叩きつけられたであろう岩壁に広がる放射状の衝撃の痕跡。垂れた血。そして、


「黒い石……? まさかツバキはこれのために……?」


 不自然に集まったいくつもの黒い石。直感的にこれはツバキが集めたものだと理解する。

 黒い石から連想するものは一つしかない。魔法鉄アダマントだ。

 きっとツバキは私たちを驚かせようと、一人で魔法鉄アダマントを探しに来たに違いない。彼女なりのサプライズのつもりだったのだろう。


「ツバキ……」


 心の中に深い悲しみが広がっていく。だが、私は泣くことができない。骸骨スケルトンの私は、眼窩にぽっかりと空洞が広がるだけで、どんなに泣きたくても泣けないのだ。

 ようやく決心がついた私はツバキの亡骸のそばに歩み寄り、取り乱すルルイエに話しかける。


「ルルイエ……死者蘇生は可能か?」

「……遺体の修復は可能ですが、死者蘇生は不可能です」


 ツバキの亡骸を静かに地面に横たえ、彼女の頬を優しく撫でながら、沈痛な面持ちでルルイエは首を横に振る。


「冥界から死者の魂を喚び戻すことは事実上不可能です。世界のことわりがそれを許しません。宇宙全土に伝わる死者蘇生の伝説は、たとえ記憶があろうとも、すべて魂のない不完全な蘇生です」

「事実上……?」

「世界が許可をした場合にのみ死者蘇生は可能と言われています。ですが、あくまでも荒唐無稽な推測……いえ、妄想及び願望です。不可能と言い切っていいでしょう」

「そうか……」


 ルルイエの返答でわずかに残っていた望みが潰えたことを嫌でも理解する。

 死霊術ならなんとかなるかと思ったが、やはりそう上手くはいかないらしい。


「では、私の場合はどうなる? 死んでから蘇ったぞ。ツバキも同じようにアンデッドとして蘇ったりしないのか?」

「……わかりません。人間からアンデッドに、もしくはモンスターがアンデッドになる事例は数多く残っていますが、ワタシたちの時代でもその仕組みメカニズムは解明されていませんでした」


 ならまだ蘇る可能性は微かに残っているか……。

 しかし、私は一度死んだからか、ツバキの体に未練というか執着というか、魂の残滓みたいなものが残っていないことを漠然と理解していた。

 起きたことはどうしようもない。ツバキは生き返らない。過去は変えられないのだ。

 ツバキを連れて帰ろう――そう口を開きかけたその時、



「あ~あ。イヤリングを落としたことに気づいていたのなら早く言いなさいよね、あの男どもったら! どこで落としたのかしら? 高かったのよ、あれ。きっと薄汚いゴブリンのせいだと思うのだけど。耳に掠りそうだったし……って、あら?」



 なにやら甲高い大声で愚痴を漏らしながら一人の女が姿を現した。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、ボンキュッボンのグラマラスな美女だ。その魅惑の体を強調させるボンテージ風のエロい服に身を包み、指や首元、耳にはゴテゴテとした派手な宝飾品で飾られている。


「そこの二人も冒険者? この辺りにイヤリングが落ちてなかったかしら? どこかで落としたのよ。もし拾ったのなら返してくれる? 私のものなの」


 見た目は人間そのもののルルイエと、フードを深く被った私を普通の人間と誤解しているらしい。

 彼女は一方的で自分勝手な言い分を述べ、まだ残ったイヤリングの形を見せつけてくる。そして、私たちがツバキの亡骸のそばに佇んでいることに気づくと、何の気なしにあっさりと白状する。


「あら、そのゴブリンなら私たちが倒したわよ」


 ゴブリンを……倒した……?

 理解が追い付く前に、女は自分を正当化するようにペラペラと喋る。


「あんたたちも調査依頼を受けたの? 異常でもなんでもないから気にしないで。なんだかテイムされているみたいだったのよねぇ……って、もしかしてどっちかが飼い主だった? 言っておくけど私たちは何も悪くないわよ。ゴブリンのほうから襲いかかってきたの。怪我もさせられたし、私たちは被害者。そっちは加害者。だからゴブリンのコアとアダマンタイト製の剣は慰謝料ってことで貰っておくわね」



 コノ ニンゲン ハ ナニヲ イッテ イルノ ダロウ カ……?



「それにしても物好きね。ゴブリンなんかにエプロンみたいなバカな服を着せるなんて。そういうマニアックな趣味? まあ、ゴブリンなんかそこら辺にいくらでもいるんだし、またテイムすればいいわよね。あ、もしかしてまだアダマンタイトを持ってる? テイムモンスターの監督責任を怠ったことをギルドに報告して欲しくなかったら、どうすればいいかわかるわよねぇ?」


 ニタニタと欲深い笑みを浮かべて脅迫まがいのことをしてくるニンゲンに、私はもう我慢ができなかった。

 我を忘れて衝動のままに行動しようとしたその時――私の視界の端を猛烈な速度で何かが通り過ぎ、一瞬遅れて襲ってきた衝撃が地面を激しく轟かす。




「お前が……お前がツバキを殺したのかぁぁあああああっ!?」

「カ、カハッ!?」




 ニンゲンの首を掴んで猛然と地面に叩きつけたのは、憤怒の形相で激情を露わにしたルルイエである。彼女の心情を表すように全身から可視化するほどの禍々しい膨大な魔力が溢れ出し、あまりの怒りに黒髪がユラユラと逆立っている。


 怒髪天を衝くとはまさにこのことだろう。


 普段無表情でいることが多いルルイエが感情のままに怒るとは珍しい。というか初めて見た。意外というよりも、ただただ驚きでしかない。


「許さない……絶っ対に許さないっ……!」

「グッ……グェ……」


 ルルイエはニンゲンの首をギチギチと絞め上げている。指が食い込み、首の骨を折る――いや、首をねじ切る勢いだ。


 地面に叩きつけられても意識を保つニンゲンは、苦しさでこれでもかと目を見開き、徐々に顔が鬱血していく。


 その様子を私は無感動に眺めながら、


「エプロンを馬鹿にされたり傷つけられたりしたから怒っているわけではないのだな。なんか安心したぞ」


 首を絞めるルルイエに私は淡々と感想を告げた。

 そんな場違いな言葉に彼女は憤怒の形相で私をめ上げ、


「マスターはツバキが殺されても何も感じないのですか……? 人間の感情が無いのですかっ!?」


 私に怒りを向けるルルイエに『何を言っているのだろうか』と首を傾げてじっと見返し、今まで静かにグツグツと煮え滾っていた感情の蓋を開け放つ。

 ずっと押し止められていた感情の嵐が魔力を伴ってゴォッと周囲に吹き荒れる。


「そんなわけが無かろう? これほど強烈でドス黒い怒りと憎しみの感情は、自分を殺した宙賊にさえ抱かなかったぞ」

「っ!?」


 あぁ……私はこんなにも純粋なまでに凄烈たる憤怒と憎悪と筆舌に尽くしがたい深い悔恨を抱けるのだな……。

 今にも我を忘れて狂い堕ちてしまいそうだ。


 頭は驚くほど静かに冷たく凪いで、でも魂は昏く荒ぶる負の激情で轟々と燃え上がらせている私にハッと気づいて、ルルイエは深い悲しみに歪めて顔を伏せる。


「申し訳……ございません……失言でした……」

「いや、謝ることではない。ルルイエが怒っていなかったら、私が同じことをしていた」


 私は静かにルルイエに命じる。


「ルルイエ。その手を離せ」

「……命令拒否ディナイ

「命令だ。そのニンゲンをまだ殺すな。仲間がいるような口ぶりだったから話を聞き出したい。それに――あっさりと殺してしまったらもったいないだろう?」

「……命令受諾アクセプト


 渋々納得したルルイエはそっとニンゲンの首から手を離す。物凄い力で握っていたからくっきりと指の跡が残っている。


「ゲホッ! ケホッ! ちょ、ちょっとぉ! 私は悪くないって言ってるでしょうが! 早く退きなさいよ! ああもう! 首に跡が残ったらただじゃおかないから!」


 激しく咳き込むニンゲンをルルイエは昏く輝く瞳で冷たく睨み、


「言葉には気をつけなさい、ニンゲン。これ以上機嫌を損ねる発言をしたら、ワタシはマスターの命令に反してお前を殺してしまうかもしれません」

「な、なによ! 冒険者は魔物を殺すものでしょうが! そこのあんた! このトチ狂ったイカレ女の主人ならどうにかしなさい! 特別に私の体を好きにさせてあげるから!」

「ほう? 完璧で究極たる美を誇るルルイエの前でそういうことを言うとはな。鏡を見たらどうだ? 浅ましくも醜いニンゲンよ」

「なぁっ!?」


 怒りで言葉を失うニンゲンに見せつけるように、私は深く被っていたフードを外して顔を晒す。


「それに私はこんな体でな。今も、そして人間だった頃でも、貴様のようなニンゲンには微塵たりとも興味を覚えぬ」

「ス、スケルトン!? まさか魔物の異常の原因って……」


 ニンゲンは咄嗟に魔法を発動させようとする。しかし、予め警戒していればなんてことはない。

 どうせ反撃する機会を虎視眈々狙っていたのだろう? 性格からしてそうだと思った。


 この手のニンゲンは、ハニートラップを仕掛けて金を毟り取ったり、相手が油断したところで喉を掻き切ったりするタイプだ。見ていればわかる。


 私は手で振り払うような動作をして、術式の位置を特定して構築を妨害ジャミングする。構築を邪魔された魔法は発動しない。

 これも錬金術と魔力制御の応用だ。


「無駄だ。我らには効かぬ」

「な、なんでっ!? なんで魔法が発動しないのよっ!?」

「先ほど、貴様は『冒険者は魔物を殺すものだ』と言ったな?」

「そ、そうよ! それがどうかしたの!?」

「冒険者が魔物を殺すというのなら、何も問題はなかろう?」

「えっ……?」


 ようやくニンゲンは状況を察したようだ。

 ニンゲンは私たちが同族だと思っていたから話が通じ、殺されることはないと高を括って、最終的にはどうにかなると考えていたのだろう。


 しかし、前提が違う。私は魔物で、ルルイエは魔導兵器。人間ではないのだ。我々に仲間の敵討ちを禁じる法は存在しない。


「ちょ、ちょっと待って! 話し合いましょう? お金ならたくさんあげるし、ほ、ほら、もっと強い魔物をテイムさせてあげるから、ね? ゴブリンが好きなら他のゴブリンでも――」

「言葉には気をつけろと言ったはずですが?」

「ひぃっ!?」


 強烈な殺意と魔力を浴びせられて、ニンゲンの顔が土気色に染まった。本能的な恐怖でガタガタと震え出す。

 私はその様子を冷酷に見下ろし続ける。


「あぁ……この怒りと憎しみはどのようにしたら晴れるのだろうか? ツバキが受けたことをそっくりそのまま返せばいいのか? ならば腕の骨を折ればいい? 指の骨をへし折ればいい? 貴様の全身の肌を炎で炙ればいい?」


 激情に駆られるまま、私は周囲におどろおどろしい炎の塊をいくつも浮かび上がらせる。皮膚を炙るどころか一瞬にして炭化させそうなほど猛烈な熱を放つ地獄の業火に、空気が燃え、陽炎が揺らぐ。


「それとも――」


 私は硬く冷たい骨の指でニンゲンの柔らかく温かな左胸をツゥーッと撫でる。


「この手で胸を貫き、生きたまま心の臓を引きずりだせば満足するのだろうか?」

「ひっ!?」

「いや、それだけではまだ到底足りぬ! ツバキが受けた痛みと苦しみに比べたら、永劫の責め苦も生ぬるい! 覚悟しろ、ニンゲン。楽には殺してやらぬぞ!」


 ここまでくると嫌でも認めなければならないな。


 ――私はもう人間ではなくなっているらしい。私は完全に魔物と化している。


 このニンゲンを殺すことに関して、躊躇も、抵抗感も、拒否感も、嫌悪感も、罪悪感も、何一つ抱いていない。むしろ殺したい。殺してやりたい。

 赦そうという想いは皆無である。

 そもそも同じ種族という意識がないのだ。憎しみに身を委ねて、全人類を滅ぼしてやりたいという衝動すらある。


「まずはなにをしてやろうか。望みはあるか? 言ってみろ」

「…………」

「どうした? 恐怖で声も出ないか?」

「…………」

「あの、マスター」


 その時、ルルイエが言いにくそうにおずおずと指摘してくる。


「その女、恐怖で気絶しています」

「なに? 本当だ」


 ニンゲンは白目を剥いて意識を失っている。一体いつから気絶していたんだ? 全く気付かなかった。

 肩透かしを食らって烈火の如く猛っていた昏い感情が一時的に鎮静化する。

 まあいい。どうせ口を開けば苛立つ言葉しか言わなかっただろうし、甲高い声も耳障りだったから、静かになってくれたほうがありがたい。


「船に連れ帰って尋問するとしよう。復讐はそれからだ」

命令受諾アクセプト

「このニンゲンは私が運ぶ」

「マスターのお手を煩わせるわけには……」

「いや、私が運ぼう。その代わりルルイエはツバキを頼む。私のこの骨の腕だと、抱いたときに硬くて痛いだろう? もうこれ以上ツバキを苦しませてあげたくないのだ」

「……命令受諾アクセプト


 震える唇を軽く噛んで頷いたルルイエは、柔らかな腕でツバキの小さな遺体を丁寧に優しく抱き上げる。


「さあ一緒に帰りましょうか、ツバキ」

「ああ。帰ろう。私たちと一緒にな」


 私たちは上空で待機する”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に転送され、何も言わぬツバキは、昼食の香りが漂う船に無言で帰還した。



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