第3節 激情の敵討ち

第15話 ゴブリンと冒険者


 時は少しだけ巻き戻る。


 ランドルフが錬金術に耽り、ルルイエが昼食を作り始める前のこと、動きやすいベスト風エプロンに身を包んだゴブリナのツバキは、一人で廃鉱山にやって来ていた。


 彼女は周囲をキョロキョロと見回すと、坑道トンネルの入り口付近に捨てられた土砂の山にヨチヨチと登り、ふとしゃがんで何かを探し始める。


『ゴブ……ゴブブ……ゴブッ……』


 手ごろな石をじっと観察してはポイッと投げ捨て、また新たな石を拾って観察し、捨てる。それの繰り返し。

 そして黒っぽい石を見つけると、すぐにツバキは飛びつく。


『ゴブッ!』


 上から観察。下から観察。横からも観察。

 表面をコンコンと叩いて耳を澄ませる。ボロボロと表面が剥がれ落ちて茶色っぽい層が表れると、何やら悩ましそうに小首を傾げる。


『ゴブ?』


 しばらくじっくり考えた彼女は、最終的に保留にしたらしい。片手で黒っぽい石をキープして、また新たな石選びを始める。


 ツバキはランドルフやルルイエにあげるプレゼントを探している。


 腰に差した刀のお礼をしたいと幼い頭で考え、何をあげたら二人が喜ぶかと悩んだところ、魔法鉄アダマントの存在を思いついたのだ。


 だからこうして二人に内緒で廃鉱山を訪れ、黒っぽい魔法鉄アダマント鉱石を探していた。


 だが、濃い魔力が漂う場所でしか生成されない魔法鉄アダマントが、鉱山の入り口に捨てられた土砂の中にあるわけがない。

 それを知らないツバキは、真剣な表情で黙々と黒っぽい石を吟味し続ける。


『ゴブ!』


 いくつかのお土産候補が集まり、少し空腹を感じてきたのでそろそろ”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に戻ろうと立ち上がったその時、


『……ゴブ?』


 ふと鉱山の坑道トンネルの中から何かが出てくる気配がしてツバキは振り向いた。

 そして、優しい父のようなランドルフや姉のようなルルイエと接してすっかり忘却していたことをツバキは思い知ることになる。



 人間は『敵』だということを――



 ■■■



 かつて鉱山都市として栄えた『円形都市アイレム』を中心に現在活動する冒険者パーティ『ウヴァル』の三人は、魔物の異常行動の原因を突き止める調査依頼を受注していた。


 アイレム周辺の森を探索して何も異常がないことを確認すると、森のその先の50年以上も前に閉鎖された廃鉱山が怪しいのではないかと結論付け、調査を開始。しかし、ある程度地下まで下りても異常は見つけられなかった。むしろ、地下に満ちたガスに斥候役が気づかなかったら危うく死ぬところだった。


「もう最っ悪! どぉして私がこんな薄汚いところに潜らなきゃならないのよ! 暗いし臭いし埃っぽいし、汚れたらどうするの! ホント最悪っ!」


 地上へと戻る帰り道、指や首や耳に派手な宝飾品を身に着けたゴージャスな魔女『魔炎』のヴァーリンが、自尊心プライドの高そうな甲高い声で毒づく。


 彼女は坑道トンネルに入ってからずっとこんな感じだ。坑道トンネル内は狭くて崩落の危険性があり、可燃性ガスも漂っているかもしれないということで、得意の火属性魔法も制限されてしまって余計に機嫌が悪い。


 そんな彼女を飄々とした斥候職の痩身の男『瞬風』のファンシフルがやんわりとなだめる。


「まあまあ、落ち着きなさんな、ヴァーリンのお嬢」

「うるさいっ! ああもう! だからこんな依頼には反対だったのよ! 結局なんの成果も得られなかったじゃない!」

「そのほうが楽でいいじゃねぇですか。調査依頼は報酬もたっぷりですし」


 もともと大都市で活動していた彼らは、二つ名を得るほど将来有望な冒険者だったが、いつしか自惚れ、傲慢になり、金遣いの荒さや異性関係のもつれで他の冒険者や依頼人と揉めに揉めて、辺境の都市アイレムに逃げるように拠点を移したのだ。


 それでも彼らは素行を改めようとはせず、今まで通りの生活を維持するためにお金が必要なのである。


「こうなるなら外で待っていればよかったわ……戻ったら湯浴みしないと。汗と泥でホント最悪」

「ヴァーリンのお嬢はいい香りですがねぇ」

「嗅がないで! この変態中年! 燃やすわよ!」

「おっと。怖ぇ怖ぇ! これでもベッドを共にした仲じゃねぇですか……って、その炎はシャレにならねぇですって! ウィアードの旦那ぁ! あんたからもヴァーリンのお嬢に何か言ってくだせぇ!」


 放たれる業火を飄々と避けながら、ファンシフルは先頭を歩く高慢そうな剣士の男『震剣』のウィアードに声をかける。

 彼は不機嫌さを隠すことなく騒ぐ二人を睨み、


「うるせェぞ、テメェら。喧嘩なら外でやれ」

「そうね。外なら気にせず魔法をぶっ放せるものね」

「森林火災には気を付けてくだせぇよ。頼んますから」


 外の光が見えてきたことで彼らの歩みも自然と速くなる。


「火災よりもまず自分の身を心配したらどう? ファンシフル?」

「勝ったら一晩付き合ってくれるのなら喜んで受けて立ちますぜ?」

「あんた、ギルドの受付嬢を狙っているんじゃなかったの?」

「それはそれ、これはこれ。で、どうです、ヴァーリンのお嬢?」

「嫌よ。今日は束縛される気分じゃないの」

「そりゃ残念だぁ」


 ちっとも残念じゃなさそうにファンシフルは飄々と肩をすくめる。

 鬱屈した坑道トンネルから出ながら、ウィアードがヴァーリンを高圧的に誘う。


「ならオレと過ごせ。気持ちよくしてやる」

「あんたも勘弁。荒々しくて痛いのよ。今晩はテキトーな男を誘うことにするわ。ああ、やっと外ね! 坑道トンネルの中はホント最悪だった」


 暗い地下から脱出した三人は燦々と降り注ぐ恒星の光に顔をしかめ、吹き抜ける爽やかな風にホッと安堵する。


「結局何もなかったわね。ホント無駄足だったわ」

「そうですねぇ……ん? ちょいと待ちな」

「なによ」

「どうした、ファンシフル」


 円形都市アイレムに帰ろうと足を向けたその時、斥候職のファンシフルが突然二人の歩みを遮り、耳を澄ませる。

 彼の鋭敏な聴覚が捉えたのは、なにかが石を投げる音だ。

 その方向に視線を向けると、二人もそれにつられる。


「子供かしら?」

「みたいだな」

「いやいや。こんなところに子供がいるのはありえねぇですって。ほら、なにかおかしい」


 三人が警戒するその先で、ベスト風エプロンを着た身長1メートルも満たない子供のような人型が、ヨタヨタと危ない足取りで土砂の山から下りてくる。

 顔を見た瞬間、その存在の正体を三人は理解した。


「ゴブリンか」

「みてぇですぜ。ハグレかねぇ?」

「見なさいよ、あんたら。良い服を着ているでしょう? テイムされているんでしょ」

「ゴブリンをか? 服ってかエプロンじゃねェか。世の中には物好きがいるもんだなァ」

「でも、近くにテイマーはいねぇようですぜ? おっと。気づかれやしたね」


『ウヴァル』の三人に気づいたゴブリンが、警戒して腰に差した武器を鞘からスラリと抜き放つ。それは見慣れぬ形の輝く黒い剣だった。

 三人は黒い剣の素材にピンときて、これでもかと目を見張る。


「おいおい。まさかあれは……」

「い、いやぁ、さすがにねぇ? ゴブリンの武器ですぜ?」

「でも、あれって……アダマンタイトじゃない?」


 サッと三人の目の色が変わった。


 テイムモンスターだからと立ち去ろうとしていたが、持っている武器が希少な魔法金属のアダマンタイトなら話は別だ。


 奪い取って売れば高くつくだろう。廃れた辺境の都市アイレムではなく、もっと繫栄した大都市で売り払ったらいくらになるかわからない。少なくともしばらくは金に困らない生活を送れるのは確実だ。


「どうしやす? テイムモンスターを殺すのは犯罪っすけど、今殺しても目を離したテイマーが悪いですぜ。向こうから襲ってきたと言い張ればお咎めはねぇと思うんですが。実際、武器を抜いてやすし」

「悩む必要はないでしょ。はい、これでおしまい!」


 ジメジメした坑道トンネルの鬱憤を晴らすかのように、『魔炎』のヴァーリンは得意の火属性魔法を問答無用で発動させた。

 蛇のようにのたうつ業火がゴブリンを包み込む。普通のゴブリンなら一撃で絶命する威力だ。


「アダマンタイト~! うふっ! いくらになるかしら!」


 ヴァーリンは手に入るだろう大金にうっとりと下賤な笑顔を浮かべ、煙を上げながら倒れ伏すゴブリンが握る剣に手を伸ばし、


『ゴブッ!』

「きゃっ!?」


 喉元に迸る黒い剣閃をギリギリのところで避ける。辛うじて耳の下を通り過ぎる鋭利な刃。しかし、完全には避けられず、頬に焼けるような痛みが走る。

 ふと手を当てると、トロリとした真っ赤な鮮血が付着していた。


「わ、私の美しい顔に傷が……! ふざけんじゃないわよ、薄汚いゴブリン風情がっ!」

『ゴブゥッ!?』


 焼け爛れた顔面を殴られ、小柄なゴブリンは堪らず吹き飛ぶ。

 なおも追撃をしようとしたヴァーリンを、飄々としたファンシフルがのんびりと止めた。


「先に綺麗なお肌を治療したほうがいいんじゃねぇですかねぇ」

「チッ! それもそうね」

「ウィアードの旦那ぁ~。どう思いやした?」

「並みのゴブリンより強ェな。ヴァーリンの魔法で死んでねェし。変異種か?」

「変異種のコアなら高く売れそうですねぇ」


 ファンシフルは欲望でギラギラと輝かせながら、重症の火傷を負いながらもヨロヨロと立ち上がるゴブリンを見据える。


 一般的なゴブリンより強かろうが変異種だろうが、ゴブリン如き彼ら高位冒険者の敵ではない。


 ゴブリンは敵わないと悟ったのか、背中を向けて逃げようとする。だが、彼らがそれを見逃すわけがない。


 ウィアードの隣にいた『瞬風』のファンシフルの姿が一瞬にして掻き消え、風を纏って音もなく出現したその先は、ゴブリンの真横だ。


「逃がさねぇよっと!」

『ゴッブゥ!?』


 鋭い蹴りがゴブリンに炸裂する。真横からの衝撃にパキッと骨の折れる音が響き渡り、次の瞬間には小柄な体躯が岩壁に叩きつけられていた。


「ウィアードの旦那ぁ! あとは頼みますぜぇ!」

「さっさとそいつを殺して! ウィアード!」

「――任せろ」


 愛用の両刃の剣を鞘から抜くとウィアードは駆け出し、その切っ先をゴブリンの左胸に突き入れた。


『ゴ……ブ……』


 心臓を貫かれ、ヒクヒクと痙攣するゴブリン。確実に致命傷だ。

 あと数秒で消える命の灯。クリクリとした瞳から輝きが失っていく。

 しかし、服はボロボロで火傷を負い、骨は折れ、心臓を剣で貫かれても、ゴブリンは諦めてはいなかった。


『ゴブ……ブッ……!』


 最期に一矢報いるため、力強く握る黒刀を振り上げる。


「いい加減に死ね。<震撃波>」

『ゴッ!?』


『震剣』の由来となったウィアードの得意技。剣から放たれる衝撃波がゴブリンの体を内側から破壊する。


『ゴフッ……!? ゴッ……ブゥッ……!?』


 一度、二度、三度と、何度も何度も衝撃波が放たれ、ガフッと大量に吐血するゴブリン。血を吐きながらも震える細腕で懸命に剣を持ち上げて、しかし、途中でダラリと力なく垂れ下がった。


『ゴー……ブー……』


 最期にまるで誰かの名を呼ぶように微かに鳴き、とうとうゴブリンの瞳から生命の光が消える。ガラスのような瞳には虚ろな闇が広がり、もう何も映っていない。


「ったく、手間を駆けさせんじゃねェ」


 ウィアードは剣を抜き、面倒くさそうに血糊を振り払う。

 その横をコソコソと斥候のファンシフルが通り過ぎ、ゴブリンの亡骸にナイフを突き立てる。


コアが壊れてねぇといいんですがねぇ」

「壊れてたらウィアードの分け前は無しね」

「お? ありやしたぜ」


 心臓の付近から数センチの血濡れた紫色の結晶を抉り取るファンシフル。


「チッ! ざぁんねん。でもいいわ。ふふんっ! 念願のアダマンタイトォ~。いくらになるかしら……ん? ねぇ、手が抜けないんだけど。死後硬直?」

「んなわけねぇですって。ヴァーリンのお嬢の力が弱すぎるだけ……って、あれ? 本当に抜けねぇですねぇ」

「でしょう?」


 指を柄から外そうとしてもビクともしない。死んだゴブリンはアダマンタイト製の剣を握りしめ続けている。まるで死んでも離さないと言わんばかりに――


「さっさとしやがれ。指を折るなり切るなりすりゃいいだろうが」

「それもそうですねぇ」


 小さな指をへし折り、何とかアダマンタイト製の剣を抜き取ることに成功する。

 そして彼らは何事もなかったかのように拠点としている町に向かう。


「あ~、お腹減ったわ。何を食べようかしら? ねえねえ! パーッと豪勢にいくのはどう? せっかく大金が手に入るんだし」

「おっ! いいですねぇ。ウィアードの旦那もどうですかい?」

「ああ。それもいいな」


 豪勢な食事と積み上がる大金に気分をよくする彼らの頭の中に、死んだゴブリンのことなど微塵も残っていない。


 声が遠ざかり、そして誰もいなくなる。


 廃鉱山の岩壁の下に打ち捨てられた亡骸が、ひっそりと無造作に横たわり続けている。




■■■




 それを目の当たりにした時、私の体がスゥーッと冷えていく感覚に襲われた。


「ツバキ……しっかりしてください、ツバキ!  ツバキィ!」


 無残な姿で倒れていたツバキに駆け寄り、ルルイエが悲痛な声で懸命に呼びかける。しかし、私も彼女ももう手遅れだと理解していた。でも、心が理解するのを拒絶していた。


 ボロボロのベスト風エプロン、顔を中心に焼け爛れた肌、変な方向を向いた左腕、へし折れた右手の指、切り裂かれ、無残にも抉り取られた痕が残る胸――。


 クリクリとした瞳は虚ろに光を失い、もう二度と私たちを映すことはない。

 可愛らしく笑うことも、私たちの真似をすることも、ゴブゴブと鳴くこともないのだ。




 ――ツバキが死んでいる。


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