第54話 僕らは戦う前に二人だけの儀式を行う


「そうか、じゃあ明日にすべてをかけるというわけだね。僕も協力させてもらうよ。作戦会議をしたいから、家に帰る前にうちに来てくれないか」


「わかりました。四時ごろでもいいですか? ……ちょっと寄るところがあるので」


「ああ、構わないよ」


 五瀬さんとの通話を追えた杏沙に、僕は思わず「寄るところ?」と尋ねた。


「行きたいところがあるの。一、二時間付きあってもらえる?」


 僕は一瞬、戸惑った後即座に「もちろん」と答えた。


 一体、どこへ行くのだろう――五瀬さんのお屋敷とは逆方向のバスに乗り込む杏沙を見ながら、僕は久しぶりの「生身の首」を傾げた。


バスを降りた杏沙が「ここよ」と言って立ち止まった場所は、僕にとっても思い入れの強い場所だった。


「ここに……来たかったのか」


 僕は無言で建物に入ってゆく杏沙に声をかけたい気持ちをこらえ、後に続いた。


 杏沙が入っていったのはパン屋さんの近くの喫茶店――杏沙と僕が初めて会った場所だった。


「おや、可愛らしいお客さんだ……んっ、後ろにいるのはいつもの中学生じゃないか。ガールフレンド連れで喫茶店なんて五年早いぞ」


「はい、ええと……一時間だけ」


「しょうがないな」


 杏沙は始めて会った時に「私の席」だと言った窓際の場所に陣取ると、「アイスティーってできますか」と尋ねた。アイスティーがない喫茶店はほぼないだろう。本当に外の世界にうといんだな、と僕は妙な感心の仕方をした。


「僕もアイスティー……あっ、四百円しかないや。まいったな」


 アイスティーは四百五十円だった。すると杏沙が「ここは私が払うわ」と大人みたいな言葉を口にした。


「いいよそんなの。第一、女の子に奢ってもらうなんて格好悪い」


「元の世界に戻った時、同じ物を奢ってくれればいいわ」


「戻れるって信じてる?」


 僕は期待を込めて、杏沙の目を見た。


「可能性としては、高いとは言えないわ。でも信じるしかない」


「僕も同じだ。一緒に戻ろう、これを使って」


 僕がそう言って八十万博士から預かった『過想コイン』を取り出した、その時だった。


「――わ、熱い!」


 僕は手の中で急に熱くなった『過想コイン』を放り出すと、手をおしぼりに押しつけた。


「真咲君、身体からエネルギーが漏れてるのが……見える」


 突然、杏沙が僕を見て言った。はっとして両手を見ると確かに煙のような物が身体の表面から立ち上っているのが見えた。同時に借りている「僕」の身体から急速に力が抜け、目の前が暗くなるのが感じられた。


「真咲君、ひょっとして人や犬に入りすぎてエネルギーが足りなくなってるんじゃない?」


 杏沙がそう言った時、僕はもう口を開く余力もなくただ苦しい呼吸を繰り返すばかりになっていた。


「どうしよう……こうなってしまったら、別の時空に助けを求めるしか……」


 杏沙がそう呟いた瞬間、テーブルの上の『渦想コイン』が強い輝きを放った。


「……これを? でもどうやって使えばいいの?」


 杏沙は少しの間沈黙すると、はっとしたようにテーブルのコインをつまみ上げて席を立った。


 何をする気だろう、僕がぼんやり思っていると杏沙はテーブルを離れカウンターの方に移動を始めた。


 ――七森?


 杏沙は公衆電話の前に立つと、受話器を取って『過想コイン』をスリットに投入した。そして息を吸うと受話器に向かって「もしもし真咲君?」と話しかけた。


 ――一体誰と話してるんだ、七森?


 僕が唖然としていると、杏沙は必死の口調で「……今から来れる?」と叫んだ。


「…………」


 杏沙が受話器を置くと、電話の下にある釣銭の受け取り口に『渦想コイン』がことんと落ちる音が聞こえた。


 ――そうか、あれは……あの時の電話はここから七森がかけたものだったのか。


 僕は身体にエネルギーが戻るのを感じながら、すこし蒼ざめた杏沙の顔を見つめた。


「七森、どうしてあの電話が別の世界の僕に繋がってると思ったんだ?」


「わからない……コインが光った瞬間、頭の中で電話をかけて助けを呼ばなきゃって思ったの」


 僕はテーブルのコインとカウンターの電話を交互に見て、きっと未来の僕が杏沙を助けに行くことを決意した瞬間、過去に飛んだ自分に繋がったのだろうと思った。


 ――つまり七森を助けに行くということは、こっちに来ている僕にエネルギーを送るってことでもあったんだ。なんだかわからないけど、そうとしか思えない。


そこまで考えて僕はふと、杏沙の胸元に十一月で見たのと同じネックレスがあるのに気づき「七森。そのネックレス見せてもらっていいかな」と尋ねた。


「これ? ……父から貰ったものだけど」


 杏沙は時計のチャームがついたネックレスを首から外すと、テーブルの上に置いた。


 僕はチャームの部分を掴むと、裏側をあらためた。


 ――同じだ。十一月の杏沙がつけていた物と。


 僕は杏沙に「ちょっといじるよ」と断ると爪楊枝で時計の裏蓋を開けた。


「ない……五月の時点ではまだ『過想チップ』は完成していないんだ」


「どういうこと?」


 訝しむような目で僕を見た杏沙に、僕は「このくぼみに『過想チップ』がはまっていたんだ」と説明した。僕は八十万博士から預かった『過想コイン』を取り出すと、時計のくぼみに押しこんだ。


「ぴったりだ。……七森、このコインは君が持っていてくれ」


 時計の裏蓋をはめ込みながら僕が言うと、杏沙は「どうして?」という顔をした。


「これを明日、『不確定時空』に投げ込むんでしょ?」


「だから僕が敵の「ボス」を攻撃するから、「ボス」の身体から『バックスペーサー』が出て来たら君がこのネックレスを泉の中に投げ込むんだ」


「……いいけど」


「よし、これで分担も決まった」


 僕はネックレスを手に立ちあがると、杏沙の首にかけた。


「うん、似合うよ。これで五月と十一月が少しだけ近づいたと思う」


 僕は「自分でかけられるのに」と不思議そうにチャームの表裏をあらためる杏沙を見ながら、未来に戻ってもこの記憶だけは消したくないと胸の中で呟いた。

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