第53話 僕は重要な物を何も知らずに運ぶ
数分後、なんとか公園の入り口にたどり着いた僕は一番近いベンチへと足を運んだ。
『一体何が起きてるんだ……何で僕は知らない番号の人に電話をしているんだ?』
パニックに陥った「僕」の叫びが突きあげるように頭に響き、ベンチに身体を横たえても「侵略者」に必死で抗おうとする力に今度は僕の方が負けそうになった。
――やっぱり虫のいい考えだったのかな。
僕の意識が押し出されるように半分「僕」の身体から出かかった、その時だった。
人が近づく気配を感じたと思った直後、誰かが横たわっている僕の手を持ちあげるのがわかった。
「どうやらまだ中で頑張っているみたいね。あと一日と五時間よ、真咲君」
杏沙の声が間近で響いた瞬間、手首に何かがはめられる感触があった。同時に、僕の「侵略」にもがいていた「僕」の意識がすっと体の中から消えるのがわかった。
「ふう……助かったよ七森。身体を貸してくれてる「僕」には申し訳ないけど」
「私の中の「私」もきっと違和感に苦しんでると思う。何か異変が起きていることはわかっているはずだから、一日だけ我慢してもらうしかないわ」
杏沙は自分の手首に視線を落としながら、心苦しそうに言った。今「僕ら」は自分に身体を奪われ、手首につけている『ジェル』の中に閉じ込められているのだ。
「立てる?今から八十万博士のところに行くわよ。時間を無駄にしたくないの」
「ああ、大丈夫」
僕はベンチから体を起こすと、杏沙と一緒に公園を出て『フェッセンデン』のある書店へと向かった。数日前、あそこにいたヨーコさんたちはすでに一度『バックスペーサー』に身体を乗っ取られている。もはや一刻の猶予もないのだ。
「真咲君……私「自分」を乗っ取ってみてわかったことがあるの」
バス停に向かう途中、ふいに杏沙がそう切りだした。
「なに?」
「最初『アップデーター』が現れた時、侵略されたのは私たちだった。でもこの世界では『アップデーター』が『バックスペーサー』に侵略されている。きっと私に侵略されてる「私」は『アップデーター』の気持ちに近いんだろうなって」
「…………」
僕は何と返したらよいかわからなかった。そうなのだ、今、僕らは紛れもなく「侵略」している側の存在なのだ。
それでも、と僕は思った。大っぴらに言うことこそできないが、僕はこの五日間でようやく生身の人間として杏沙と歩くことができている。正直、これほど嬉しいことはなかった。
――だけど、それはやっぱり不自然なことなんだ。
本来ならよその世界から来た「外来種」である僕らが生きた人間として動くということは、この世界の存在である「僕ら」を犠牲にしているということでもあるのだから。
※
「ふむ、中身と入れ物が異なる……つまり二つの異なる時空が一つの身体に同居しているというわけだ。驚くべき現象だな」
この二日間の出来事を僕らから聞かされた八十万博士は、唸りながら天井を見上げた。
「とりあえず『バックスぺーサー』には除菌剤やポリフェノールが効果的ということはわかりました。でも二日以内に退治するには確実に『不確定時空』の中に戻すしかないんです。何かいい方法はないでしょうか?」
杏沙が畳みかけると博士は「ううむ……ないこともない」といま一つ歯切れの悪い答えを口にした。
「私は以前から『不確定時空』を確定状態に戻す為の研究をしている。そして最近、ようやく時空に影響を与える方法をひとつ見つけ出したのだ」
「なにを見つけ出したんですか?」
「これだよ」
そう言って博士がテーブルの上に置いたのは、後ろが開くようになっているアクリルの募金箱だった。
「中に入っているコインの形をした物体は、不安定な時空の渦を逆向きに変える『過想コイン』だ」
僕は驚いて目を見開いた。箱の底に一枚だけ入っている錆びた色のコインは、僕が十一月の世界で七森博士から渡された『渦想チップ』とそっくりだったからだ。
「こいつを発生中の『不確定時空』に放り込むと逆向きの時空が発生する。逆向きの時空は世界を不安定にしている要因を吸い込むことで安定した時空に変わる。この時、近くに『バックスペーサー』がいれば間違いなく吸い込まれるだろう」
「でも敵はこの数日でかなり数が増えている気がします……全ての『バックスペーサー』を吸い込めるでしょうか」
「それに関しては、真っ先に『ボス』を吸い込めばいい。そうすれば逆向き時空は最初に覚えた敵と同じ物を次々と吸い込み、街のどこにいようと全部吸い込むはずだ」
「つまり、『マイナデスの泉』で『ボス』が集会をしている最中にコインを放り込めば……」
「ただ放り込むだけではだめだ。『ボス』をひるませ、身体から『バックスペーサー』が逃げかけたところを狙うのだ。君たちの一方が『ボス』を攻撃し、身体から黒い煙が出てきたタイミングでもう一人が渦にコインを投げ込む……これしかない」
「わかりました、やってみます。……コインを私たちに貸してください」
杏沙が頼みこむと、意外にも八十万博士は目を閉じ残念そうに首を振った。
「ところがこのコインには、肝心の時空エネルギーが充填されていないのだ」
「どういうことです?」
「コインに力を与えるには別時空のエネルギーが必要なのだが、この世界でそれをとらえた者はいない。別時空の存在は目に見えず箱に入れることもできないからだ」
「箱じゃなく、人間に宿った場合は?」
杏沙が唐突に謎の言葉を呟いた、その時だった。急に僕の右腕が動かなくなったかと思うと、肩のあたりから拳を握った半透明の手が現れた。
「な……」
勝手に伸びた「幽霊の拳」はコインの入った箱の上で止まると、中から半透明の『渦想チップ』を絞り出してコインの上に落とした。
「むっ、コインが光っている?」
実在する物体に「十一月から来た」幻の物体が重なった瞬間、箱の中のコインが一瞬でプラチナ色の物体へと変化した。
「これはいったい……」
半透明の腕と『渦想チップ』が跡形もなく消えた瞬間、僕は全身のエネルギーが半分になったような脱力感に包まれた。
「まさか、君は……このエネルギーを運んで来るために「呼ばれた」のか?」
博士の言葉は僕にはちんぷんかんぷんだったが、杏沙は「やっぱりね」と驚く様子もなく頷いた。
「別時空のエネルギーは一度、この世界の物体に宿らないと出力できない。つまり運んできた「幽霊」の真咲君が実在する真咲君にエネルギーごと宿れば、肉体を通して別時空の力をコインに照射することができる」
「なるほど、それなら納得がいく。君たちはラッキーだ。このコインを持って行けば、世界を一つにできる可能性がぐっと高くなる」
八十万博士は眼鏡の奥の目を細めると、ぽかんとしている僕をよそに大きく頷いた。
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