第51話 僕は一度しかないチャンスを取りこぼす


「なるほどね……確かに君たち自身の身体を使えばより自由に行動することはできる。……ただそれは同時に敵に見つかりやすいということでもあるけどね」


 僕たちの計画をアプリ越しに聞いた五瀬さんは、うなずきつつもどこか考え込むような表情を崩さなかった。


「一応、僕の方でもボスと戦うことを想定して敵に効果がある物質をひとつ見つけておいたけどね。本当にやっつけられるかどうかは未知数だ」


 五瀬さんは険しい表情のまま奥に引っ込むと、『アップデーター』との戦いに使ったのとそっくりの水鉄砲を手に戻ってきた。


「これは濃縮されたポリフェノール液を発射する『シトラスガン』だ。貯蔵庫にわずかに残っていたサンプルで試したところ、アルコールやカテキンよりこいつが一番敵に効果があるようだ」


 五瀬さんが天井に向けて液体を噴霧すると、あたりに柑橘系の匂いが漂った。


 さほど自信があるように見えないのは、効きそうな物を見つけたとはいえまだ本格的に敵と戦った経験が無いからだろう。なにしろ五月の時点はまだ『アプデーター』も出現していないのだから。


「じゃあ、君たちの「身体」を上手く説得で来たらここに連れてきてくれないか。この間説明した『ジェルブレスレッド』を二つ用意しておくよ。ただ、注意してなければならないのは……」


「時間制限があるってことですよね?」


「そうだ。このブレスレッドは一日経つと溶けはじめる。……そうなったら君たちの心と身体は消滅する。それを忘れないでくれ」


「わかりました」


「今、僕にできるのはこのくらいだけど……勝算はあるのかい?」


「正直、ないです。身体をうまく借りられたら八十万博士のところに行って、何かいいアイディアが無いかどうか聞いて来ようと思っています」


「そうか、わかった。……ちなみに君たちの話から推測すると、十一月……つまり君たちにとって半年後の未来が消滅するのは明後日の午後二時から四時頃になる」


「明後日の二時から四時……」


 僕は身体がないにもかかわらず、足元からぞっとするような寒気が上って来るのを感じた。いくら幽霊だって消えるのは怖いのだ。


「ボスと戦う準備ができたら、僕にも連絡をくれないか。四家君までが乗っ取られたとなると、ここで呑気に構えているわけにもいかないからね」


「はい、そうします」


「それで、動き出すのが明日の朝ってことだけど、今夜はどうするんだい?」


「まだ、考えてません。自分の身体を借りられたらそれぞれの「家」に帰ることになると思いますけど……」


「うん、それが無難だね。じゃあ今日のところはここで『ジェル』になって英気を養っていったらいい。「食事」も摂れるし、ゆっくり休める。たぶん別時空の意識体でも可能なはずだ」


 僕は以前(二か月後だ!)、ここで寝泊まりさせてもらった時のことを思い出した。


 あの時は僕はリビングのソファーの上で、杏沙はサイドボードの戸棚の中を寝床にしていたのだ。


 ――たった半年前のことなのに、二ヵ月も先だなんて。


 僕は未来のことを思いだしながら、こみ上げてくる幻の涙をこらえた。


                ※


 ――ここは、どこだ?


 闇の中で目を覚ました僕は、自分が「幽霊」でも『ジェル』でもないことに気づき、ひどくうろたえた。


 ――身体が……なんだかわからないけど身体らしき物がある!


 僕は自分に手足のような物があることに気づき、どきどきした。どうやら僕は床の上にへたり込んでいるらしく、両手に力を込めると「ぎしっ」という金属の軋むような音が聞こえた。


 ――これは……アンドロイド・ボディか?五瀬さんはまだ未完成だと言っていたのに!


 頭を上げ、瞼を持ちあげた僕は自分が薄暗い場所にいることに気づいた。


 ――ここは、五瀬さんの工房だ!


僕が両脚に力を込め、前のめりの体勢で立ちあがろうとしたその時だった。


「あ……」


立ちあがった僕の目に映ったのは「僕」……いや、僕になりかけのアンドロイドだった。


 ――僕のアンドロイドが立ってこちらを見ているということは、今、僕が入っているこのボディは……「試作機」か?


「僕」は未完成の顔をこちらに向け、ぎしぎしと不慣れな動きで後ずさった。


「おおおおお」


 僕が中身が自分であることを伝えようと手を伸ばすと、「僕」は入り口の方にどんどん後ずさっていった。


 ――ここは……五日前の世界だ!


 アンドロイド・ボディの「僕」が怯えているということは、つまりまだ五瀬さんのお屋敷に来たばかりだということだ。


「おおおおお」


 僕は「僕」に必死で語りかけようとした。このままでは「僕」は、『バックスぺ-サー』の入った収蔵庫を開けてしまう!何とかして止めさせなければ!


 僕は身を翻した「僕」になんとかして危機を伝えようと、手を伸ばした。


 僕の両手が「僕」の足を掴み、僕が掴んだ手を引くと「僕」が「わあっ」と叫んで工房の床に倒れた。


 ――今だ!どうにか警告だけでもしないと!


 僕が「僕」に手を伸ばしながら次の一歩を踏みだしかけた、その時だった。

 背中のあたりで「ばちん」と何かがスパークするような音がしたかと思うと、周囲が一瞬で真っ暗になった。


 ――そうだった……僕は背中のケーブルから電力を供給されていたんだった……


 エネルギーの供給を絶たれた僕は、機能停止に陥ってゆくボディの中でやり切れなさを噛みしめた。


 ――まただめだったよ七森。どうして僕はこう、何度も同じ過ちを繰り返してしまうんだ……


 僕は意識が強い力で引き戻されて行くのを感じながら、己のふがいなさに深いため息を漏らした。

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