第50話 僕らは幻のようなひとときを過ごす
「さて作戦会議だけど、どこか適当な場所はないかな」
僕が「幽霊だし、別にどこでもいいけど」とつけ加えようとすると杏沙が「暗いところがいいわね」と言った。
「暗い所……どうして?」
「敵が近づいてきた時、遠くからでも目の光がわかるでしょ」
「なるほど。……でも今は昼間だぜ。暗いところなんてあるかな」
「……あそこは?」
そう言って杏沙が目で示したのは『ホリディシアター』という映画館の案内板だった。映画館か、なるほど。
「行ってみるか」
僕と杏沙は連絡通路を泳ぐように移動すると、突き当りにある映画館のロビーに飛び込んだ。
「どうする?鑑賞券を買って入る?」
僕が本当なら切符を買って入りたかったということをさりげなくほのめかすと、杏沙は「二人分、買ってこれるの?」と冷静すぎる返しをよこした。
「まあ、ちょっと場所を借りるだけだし……いいよ、じゃあ近くのシアターに入ろう」
僕は上映案内のパネルに近づくと、無難そうなプログラムを探した。
「あっ、『ラブ・クラシック』だって。二か月間、定番のロマンス映画だけをやってるシアターがあるよ。これにしよう」
「何番シアター?」
「ええと、⒒番シアターだ。今やってるのは……『ゴースト』か。ちぇっ、先週だったら『タイタニック』をやってたのにタイミングが悪かったな」
「なんでもいいわ。とにかく入りましょ」
杏沙はロビーの中をすいすいと移動し、出入りを止めるための柵をくぐって扉の向こうに姿を消した。僕が後を追って中に入ると、杏沙はほとんど観客がいない場内の真ん中に澄ました顔で腰を据えた。
僕は当たり前のように杏沙の隣に「座る」と、「それじゃあ作戦会議を始めようか」と言った。
杏沙とこうして並んで座るのは、『アップデーター』騒ぎの時に二人でバスに乗った時以来だろうか。そしていつか身体を取り戻した僕らが、並んで劇場の椅子に座るなんていう時は来るのだろうか?
「じゃあ、私から今までのことを話すわね。ここに来てからずっと、私は二つの時空を安定させるにはどうしたらいいかを考えていたの」
「すごいな。僕はそういう難しいことはまるで考えなかった」
「二つの時空を乱しているのが「黒い煙」だとわかってからは、何とかして煙の出所やボスの正体を突き止めたい。侵略者を封じ込めて元の世界に戻りたいと思っていたわ」
僕が杏沙の話にうんうんと頷きながら、大画面で始まった『ゴースト』をぼんやりと眺めた。
それにしても杏沙が恋愛映画を楽しむなんてことが、あるんだろうか?僕にはどうしても「二時間たったからそろそろ、二人の誤解が解ける頃ね」みたいな感じで冷静にストーリーを分析する姿しか思い浮かばない。
幽霊の主人公が恋人を守ろうとやきもきする場面を見ながら、僕はふと視界の隅でとらえた杏沙の姿にはっとした。
なんだか最初にリサの身体から抜け出た時より、薄くなっている気がしたのだ。
「七森……身体、薄くなってないか?」
僕が尋ねると杏沙は「今頃気づいたの?」と言わんばかりの顔で「そうね、薄くなってるかもしれないわ」と言った。
「この五日間、『不確定時空』の出現場所を探るのに色んな人の身体を借りたわ。たとえ短時間でも、異なる時空の存在がこの世界の物質に入り込むとエネルギーを徐々に消耗するらしいの」
「もうやめろよ、そんなこと」
僕は頭を整理すると、考えていた残り時間の使い方を口にした。
「明日の午後、僕らはこの世界の自分に潜りこんで五瀬さんがこしらえた『ジェルブレスレット』をつける。本来の僕らは一日だけ『ジェル』の中に閉じ込められ、僕らは身体を自由にできる。その一日の間に何とか「ボス」に近づいて全ての『バックスペーサー』を退治するんだ」
「最後のところがあいまいだわ」
杏沙に痛いところを衝かれた僕は「それは……」と口ごもった。
「五瀬さんか八十万博士に決定的な「侵略者除け」を見つけてもらうしかないと思う」
「見つけられなかったら?」
「僕が「ボス」の身体に入って、集まった『バックスペーサー』たちに「侵略を止めよう」って呼びかけるしかないかな」
僕が弱気の作戦を口にすると、杏沙は「随分と楽観的なのね。あなたらしいわ」と呆れたように言った。
「さてと、これで作戦会議はおしまいだ。どうする?五瀬さんの所に行くかい?」
「待って。行ってもいいけど……もう少し映画を見て行かない?」
「えっ?」
僕は意外な杏沙の言葉にどきりとした。
「もし十一月に戻るのに失敗したら、これが最後の映画鑑賞になるのよね」
僕ははっとした。確かにそうだ。もし二日後、僕らが五月をひとつにすることに失敗すれば十一月の僕らはいなかったことになり、映画を観ることも二人で戦うこともなくなるのだ。
「あなたはすでに、未来のあなたと親しい人に関わりすぎてる。私たちがよく知っている人たちの過去に触れたり身体を借りたりすると、それだけこの五月と私たちが知っている五月を遠ざけてしまうことになる。今、二つの世界はとても不安定なの」
「責任は感じてる……そもそも僕が『バックスペーサー』を解き放ってしまったことが、全ての始まりなんだ」
だからこそ、と僕は思った。僕自身の力で遠ざかりつつある二つの「五月」をひとつにしなければならない。
「七森、もう色んな人の中に入るのはやめて、借りるのは僕ら自身だけにしよう。そして一日ですべてを終わらせるんだ」
「貸してくれるかしら?」
「わからない。とにかく頼みこむつもりでやってみるしかない」
僕らは最後から三日目の午後という貴重な時間を、映画を観て過ごした。
ひょっとしたら、この選択を後悔する時が来るかもしれない。でも幽霊の僕らにとって、この二時間だけは自分が別世界の存在であることを忘れることができた。
そう、これが――五月に迷いこんだ幽霊たちのささやかな「休日」だったのだ
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