第49話 僕らはもう一つの五月で再びタッグを組む


 僕とリサは「泉」から少し離れたオープンカフェに陣取り、柱の陰から騒動が徐々に収まってゆくのを眺めた。


 ――七森たちは大丈夫みたいだな。ヨーコさんたちも一応、正気に戻ったみたいだ。


 「どうするワンちゃん。あの人たちの所に戻る?」


 リサに尋ねられた僕は「うん」というニュアンスに聞こえるよう「わん!」と答えた。


 四家さんに僕が捕まった時、リサはすぐ異変に気づき走って逃げたらしい。しかしその後、勇敢にもテラスからイベントスペースの「儀式」を覗き、事態が普通じゃないと悟ったという。


 リサは近くの店に飛び込むと(そこの従業員は乗っ取られていなかったようだ)「お客さんに危害を加えそうな人たちがいる」と警備に通報するよう頼んだのだった。


「あっ、飼い主さんたちが動いたみたい。行きましょ」


 リサはそう言うと、僕が入ったリュックをひょいと持ち上げた。七森と飯来さんはサービスカウンターの所で案内の人に何かを説明していた。おそらくリュック(つまり犬)と、携帯を拾った人がいないかどうか館内放送をしてほしいと頼んでいるのだろう。


 僕は二人の背中が近づいたところで「それには及びません」という意味を込めて「おおおん」と声を出した。


 僕の鳴き声に反応した二人が振り向き、僕が思わずリュックから両手(前足)を出しかけた、その時だった。


 僕の中で何かが弾け、気がつくと僕はリュックの真上――つまり空中だ――にいた。


 ――幽霊に戻った?


「これ、あなたのですよね?拾ったのでお返しします」


 リサの差し出したリュックを目を丸くして受け取った杏沙は「あ、ありがとうございます」と言うと、くんくんと鳴く僕の顔をなぜか探るようにしげしげと見つめた。


「真咲君……じゃ、ない?」


 ――僕が身体から抜け出たことを、気づいてる?


「真咲君が中にいたらこんなに素直で可愛い目をするはずはないわ。もう少し抜けてるっていうかとぼけてるっていうか……」


 杏沙が疑わしそうに言うと、言葉の意味を勘違いしたらしいリサが「はぐれたワンちゃん、この犬じゃなかった?」と言った。


「あ、ううん。この犬でいいの。見つけてくれてどうもありがとう」


 知り合って間もないのにいかにも「今の」杏沙が言いそうなことを言う「五月の」杏沙に、僕は「僕ってそんなに単純か?」と文句を言いたい気分でいっぱいになった。

                  

 犬入りリュックを手にした杏沙は中から携帯を取り出すと、アプリを起動して斜め上の僕に呼びかけ始めた。


「真咲君、幽霊に戻ってるなら聞いて。私はいったん父と家に帰るから、後で連絡して。……聞こえた?」


 驚いたことにあてずっぽうのはずの杏沙の目線は、空中にいる僕の目線とがっちり空中でぶつかっていた。


『う……うん、わかった』


「そこにいるのね、真咲君」


 アプリで僕の存在を確認した杏沙は携帯を顔の前から降ろすと、これで気が済んだというようにうなずいた。


「それじゃ私はこれで。……バイバイ、ワンちゃん」


 リサは杏沙たちと「ボンちゃん」に別れを告げると、身を翻して歩き始めた。


 ――ありがとうリサ。君がいなかったら杏沙が侵略されて五月は変わっていた。


 僕は空中でお礼を言いながら去ってゆくリサの方を見た。だがその直後、僕は存在しない首を思わず傾げてしまう眺めに遭遇した。明らかにリサから見える距離のところをヨーコさんたちが通っていったにもかかわらず、まるで無反応なまま逆方向に向かったのだ。


 ――どうしたんだろう。まだ警戒しているのかな。


少しだけ気になった僕は、リサの後を追うように空中を移動し始めた。

しばらくするとリサは店舗のない連絡通路の入り口で立ち止まり、僕に背中を向けたまま「後をつけてどうするの?」と言った。


 ――えっ?


 リサはおもむろに僕の方を向くと、かけていた大きな眼鏡をゆっくりと外した。

 

――まさか!


 明らかにリサの物ではない眼差しを見た瞬間、僕の存在しない心臓がこれ以上ないくらい大きく跳ねた。


「……七森?」


 僕が思わず呟くと、リサのうなじのあたりから半透明の少女――「十一月の杏沙」――が隠れていた子供のようにすっと姿を現した。


「まさか、リサの中にいたのか……」


 どうりで人の言葉を話す犬と出会っても冷静だったわけだ。すぐにアプリを使いこなせたのも、そもそもが自分の携帯だったからだろう。


「真咲君、ご苦労様。 あなたのお蔭で敵のボスを目にすることができたわ。あとは私に任せてあなたは二つの世界が一つになるのをどこかで待っていて」


「待てよ七森。あと二日半しかないんだぜ。一人で敵のボスを倒すつもりか?」


「簡単にはいかないってことは、わかってる。でも二人でばたばたするよりは……」


 問いただす僕にいつもの反論を始めた杏沙は、ふいに言葉を切ると背後のリサを振り返った。リサは首を傾げながらあたりを見回した後、ふらふらと通路を歩き始めた。


「七森、僕と五瀬さんか八十万博士の所へ行こう。一人じゃ無理だ」


「行ってどうするの?この身体でできることが増えるわけじゃないでしょ」


 頑なに単独行動をとろうとする杏沙に、僕は「できることはある」と言った。


「…いったい、何ができるって言うの…?」


「僕ら自身の身体を借りるんだ。一日限定ならたぶん、借りられる」


「私たち自身の身体を借りるって……どういうこと?」


「知りたい? ……それって、説明くらいはさせてくれるってことだよね?」


「……いいわ」


「よし、それじゃあお互いの情報を交換しよう。いつものように作戦会議だ」


 一瞬とは言え主導権を握った僕が言い放つと、杏沙が呆れた口調で「……そうならないように逃げてたのに、本当に必ず追いついてきちゃうのね」と言った。



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