第48話 僕は最悪の特等席を確保する
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは広場を埋めている様々な人たちの顔だった。
――あ、僕。まだ犬なんだ。
僕は頭をひとつぶるんと振ると、口を開けて荒い息を吐いた。
どうやら僕は、ベンチの上に置かれた金属製の檻に入っているらしい。そして僕の前に群がっているバラバラの人たちは揃いも揃って『バックスペーサー』に乗っ取られた人たちだった。
――ヨーコさん、トシキ、チサトにマリさん、則人さんも……
五月の街にやってきてから僕を助けてくれた人たちがことごとく目を赤紫に光らせているのは、怖さを通り越して哀しみでしかなかった。
僕は怪しまれない程度に頭を動かし、自分の周囲の状況をうかがった。するとすぐ近くにいる黒いコートの人物が目に飛び込んできた。
――嘘だろ……
「観客」を前に両手を広げ、堂々たる振る舞いを見せていたのはなんと、四家さんだった。
――いくら乗っ取られているとはいえ、イメージと真逆すぎるよ四家さん。
僕はあまりにも早い敵の侵略ぶりに激しい焦りを覚えた。まさか四家さんが敵の「ボス」なのか?
「昨日の七森博士に続き、今日はその娘の確保に成功した。我々にとって脅威となる人物の自由を封じたことは今後の侵略を一層加速させるに違いない」
――なんてこと言うんだ、四家さん!
僕が顔を曲げて四家さんの反対側を見ると、弓型に曲がったベンチ(たぶん僕の後ろが『マイナデスの泉』なのに違いない)の端に目を閉じて項垂れている年配男性がちらりと見えた。横顔でも充分わかる……あれは七森博士だ!
ほとんど動かないところを見ると、薬か何かで逃げられないようにされているんだなと僕は思った。
――七森博士がいるってことは……七森も近くにいるってことだ!
僕は金網に触れないようにそっと身体をよじると、視線をできるだけ遠くに向けた。
――いた!
身体を半回転させた瞬間、僕の目に後ろの「泉」と中心に据えられた女神像らしき物が飛びこんできた。
「泉」は完全に枯れていて空っぽだったが、僕がぎょっとしたのは女神像にパイプ椅子と一緒にくくり付けられている二つの影――飯来さんと杏沙だった。
――七森!
僕は思わず金網に体当たりしそうになった。畜生、こんな状況じゃ杏沙に近寄ることもできやしない。こんなに近くにいるっていうのに!
僕が唸り声を上げたいのを必死で我慢していると、四家さんが「本来なら夕方にらないとボスの身体が空かないところだが、今日は早めに来ることができた。ボス、新たな生贄の誕生をご覧ください」と信じられないような言葉を口にした。
――いったいどこから現れるんだ?ボスは。
僕は再び広場のあちこちに目をやった。そしてふと、捕らわれた人たちの中にリサの姿が無いことに気づいた。
――うまく逃げおおせたのか?リサ。だとしたら建物の外に出て助けを呼んでくれ。
僕が祈りの混じった唸り声を上げていると、「観客」たちの間からフードで顔を隠したびっくりするほど小柄な人物が姿を現した。
「%☆&※★……よくぞその者たちを捕えてくれた」
黒づくめの「ボス」は、見たところ僕より低い背丈――つまり百五十センチ台だ――のように見えた。
顔の見えない「ボス」がひょこひょこと「泉」の傍まで行くと突然、「泉」の中からどぎつい原色をした光る輪が現れ、女神像を中心に空中高く浮きあがった。
――あれは『不確定時空』だ!
虹色の輪は小さくなりながら女神像の顔の高さまで浮上すると、ばちんと音を立てて消滅した。次の瞬間、女神像の口からあの「黒い煙」が吹き出し、真下に括り付けられている杏沙たちの顔の方へと降りて行った。
『二人とも気をつけろ! ……やめろっ、七森を「侵略」するんじゃないっ!』
檻から出られない僕が魂を吐き出すように吠えた瞬間、杏沙の目に光が宿り「いやああっ!」という叫びが漏れた。
「――どうしたんですかっ! ……すみません、そこ通してくださいっ」
杏沙の絶叫につづいて聞こえてきたのは男性の声と、戸惑うような「観客」のさざめきだった。やがて目の光が弱まった「観客」たちが左右に動き、その間から僕のいる方に制服を着た警備員たちが険しい表情でやって来るのが見えた。
「えっ、あっ……」
警備員を見た瞬間、ボスは驚くような速さで物陰に逃げ込み四家さんもその後に続いた。黒い煙も分が悪いと思ったのかどこかに消え、「観客」たちの大半は夢から覚めたようにおろおろと顔を見あわせた。
――そうか、僕が「ボス」を放ってから数日しか経っていないのに随分早い侵略だと思っていたけど、まだ半分以上の人たちは「乗っ取りかけ」だったんだ。
しかしあの「泉」が『不確定時空』の発生場所の一つであることは間違いなさそうだ。きっと外来種である「黒い煙」もあそこからやって来るのだろう。
不思議そうな顔をした警備員が杏沙と飯来さんを椅子から解放し、僕が檻の中でぐったりとなったその時だった。
誰かが近づいてくる気配があったかと思うと、いきなり檻の戸が開けられ眼鏡をかけたリサの顔が僕の前に現れた。
「どうせ入るならリュックの方がまだいいんじゃない?ワンちゃん」
「……くうん」
僕は檻から出ると、リサが差し出したリュックに一切抵抗せずもぐりこんだ。
「ここにいると大人から色々聞かれそうだし、いったん離れましょう。……いい?」
リサは少しだけおさえたトーンの声で言うと、僕の入ったリュックを持ち上げた。
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