第43話 僕は夢のような悪夢を手に入れる


「しかし僕でも気づかなかった敵の気配に気づくなんて、さすが野生の生き物だなあ」


 僕がボンちゃんのアンテナに感動した、その直後だった。大人しくうずくまっていたボンちゃんがいきなり僕の「足」――身体がある状況で言うとズボンのすそだ――に噛みつくように歯をがちがちさせるのが見えた。


「どうしたのボンちゃん、だめでしょ」


 朝子さんがたしなめてもボンちゃんは僕に噛みつくのを一向に止めようとはしなかった。


 ――まだ何か僕に伝えたいことがあるのかい?


 僕がおっかなびっくり腰をかがめた、その時だった。


 ――あっ!


 急にリビングの風景が目の前から消え失せたかと思うと、僕の目の前にカーペットの色とローテーブルの脚が大写しになった。


 ――なんだ、これは?


  一瞬、僕は自分が床に倒れてうつぶせになったのかと思った。だが、どうもなにかが違う。そのうち体勢が四つん這いになっていることと、出したくもない舌が勝手に出ていることでようやく僕は自分の身に起こったことを理解した。


 ――なんてこった!この状況は、つまり……


 僕が愕然としていると朝子さんが「ボンちゃんきっと、ホームシックから解放されたばっかりで不安定なのね。いいわ、私がなだめるからあんたは行生を幼稚園に連れて行きなさい」と娘さんに言った。


「またね、ボンちゃん」


 行生君という男の子は名残惜しそうにそう言うと、屈みこんで僕の頭を撫でた。


                 ※


「おどろいたわ、あなたボンちゃんの中に入っちゃったのね」


 二人が帰った後、朝子さんは僕の顔を覗きこんで言った。さらに朝子さんが僕の背中を慣れた手つきで撫でると、僕の尻尾は僕の意思とは関係なくぶんぶんと動いた。


 ――いや、僕は動作まで犬になり切ったわけじゃ……


「ふふ、もうすっかり犬になっちゃったわね」


 僕がその場でぐるぐると回ると、とんとんと階段を下りてくる足音がして再び杏沙がリビングに姿を見せた。


「あら、かわいいワンちゃん」


 言葉に反してさほどはしゃいでいるようにも見えない杏沙に、僕は訴えかけるように吠えた。なんと僕は……ボンちゃんの中に入ってしまったのだ。


「……まいったな、嫌われちゃったのかしら」


 杏沙がとまどいの混じった呟きを漏らすと、朝子さんが「喜んでるのよ」と言った。


「喜んでる?」


「だってやっとあなたに自分の姿を見てもらえるようになったんですもの、はしゃぐのも無理ないわ」


「姿を見て……あっ」


 杏沙はリビングを見回し、僕の姿がどこにもないことに気づくと「ひょっとして、まさか……」と子犬の方を見た。


 ――そうだ七森、僕だってば!


 僕は幽霊の時と変わらぬ感覚で杏沙に呼びかけたが、やっと手に入れた身体で僕が最初に発した言葉はこともあろうに「ワン!」だった。


 ――ちょっと待ってくれボンちゃん、本当に僕はお前んお中に吸い込まれてしまったのか?


 僕はどうやら当分、犬の身体のままらしいという現実に打ちのめされた。この身体じゃ『ホリディランド』に入れないじゃないか!

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