第42話 僕は小さな知人に姿を発見される


 朝食後、キッチンで皿を洗い終えた杏沙はリビングに戻って来るなり「どこにいるの真咲君、いるならカメラの前に来て」と言った。


 ――ここにいるってば。


 僕は杏沙がポケットから携帯を取り出している間も、ずっと至近距離にい続けた。


「今からカメラを起動するから、十秒以内にレンズの正面に来て」


「わかりましたカントク」


 僕は杏沙がまだ聞こえていないのをいいことにふざけた返事をすると、カメラの前に直立不動の姿勢で立った。


「あ、来てたんだ。……なんとか今日中に「ボス」を見つけ出して、明後日には出て来た場所に返すわよ。……何か意見、ある?」


「ないよ。うまくいくんなら、その通りでいい。だけどどういうやり方で「ボス」を見つける?それに見つけたとしてもどうやったら倒せるのか、まだわかってないぜ」


「そのくらい、なんとなるわ。そこは前向きに考えなきゃだめ」


 やれやれ、やっぱりこの子は規格外だ。僕が絶望的な状況にも関わらず、妙におかしくなったその時だった。ふいに玄関のチャイムが鳴ったかと思うと、インターフォンから「お母さん、ボンちゃん連れてきたよ」という女性の声が聞こえた。


 杏沙がはっとしたように身を固くすると、朝子さんが「うちの娘よ。出くわしても気を遣う必要はないわ」と言った。


 杏沙は顔の前から携帯を離すと「真咲君、またあとで」と言ってリビングの外に姿を消した。


物おじしない性格の杏沙も、さすがに自分が世話になっている家の人たちと顔を合わせるのは気まずいのだろう。


「ああ、やっぱり実家の居間はほっとするわ」


 しばらくしてリビンに入ってきたのは三十代くらいの女性と五歳くらいの男の子、そしてあの十一月の公園で僕らが出会った子犬だった。


「あらボンちゃん、たった一日お家から離れただけなのに、ずいぶん心細そうね」


行生いくおはボンちゃんがお気に入りでずっとくっついてたんだけど、ボンちゃんの方はやっぱりお母さんがいいみたい」


「ボンちゃん、お家に帰れてよかったね」


 男の子が子犬をリビングの床に降ろし、頭を撫でながら語りかけたその時だった。


突然、子犬が唸り声を上げると、僕のいるあたりに向けて吠え始めた。


「どうしたのボンちゃん?」


 娘さんが取りなそうと近づいても、子犬は僕に向かって吠えるばかりでいっこうにおとなしくなる気配はなかった。


「あらまあ、こういうことってよくあるのよ。犬って幽霊に敏感なのね」


「幽霊? …お母さん、なに言ってるの?」


 僕はなんとか静かになって欲しくて、ボンちゃんという子犬の顔を間近で見つめた。


 ――おや?


 よく見るとボンちゃんは吠えてはいるが、決して僕を威嚇しているわけではない。むしろ僕に何かを訴えているかのようだった。


 そのうボンちゃんは飛びあがっては半回転し、また飛びあがるという動きを繰返すようになった。その動きにつられて娘さん達の背後を見た僕は、思わず声を上げそうになった。


 扉の隙間から黒い煙が、染み出すようにこちら側に入ってこようとしていたのだ。


 ――あれは『バックスペーサー』だ!


 僕が睨み付けると黒い煙はたちまち引っ込み、ボンちゃんも吠えるのを止めた。


 ――ボンちゃん、ひょっとしてあれが近づいていることを僕に訴えたかったのか?


 僕はほっとすると同時に、本格的な「侵略」が始まったことに強い焦りを覚えた。

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