第41話 僕は幽霊にしては人間らしい朝を迎える


 目が覚めて真っ先に見えたのは、天井に貼られたアイドルグループの大判ポスターだった。


 ――ああそうか、ここは飯来さんの「子供部屋」なんだ。


 僕は床から起き上がると、(さすがに幽霊の身分でベッドに寝るのはどうかと思ったのだ)あらためて室内を見回した。ダンベルやギター、本が詰まったままの棚など主の名残を残す空間は、僕に長居をしてはいけないという気持ちを抱かせた。


 ――あと三日……そう、三日後には僕は未来に戻るかあるいは――消える。


 僕は床の上数センチの高さを生きている人間のように移動し、二階の廊下に出た。


 床を突き抜ければその下のリビングに行くことはたやすいが、お世話になっている人を驚かせるわけにはいかない。僕は階段を下りながら、生身のルールを守らなきと自分自身に言い聞かせた。


「あら幽霊君、おはよう。……どう、よく眠れた?」


 リビングのドアを「潜って」中に入ると、朝子さんがにこやかに出迎えた。


「あ、おはようございます。眠れたかどうかは……正直、よくわかんないです」


 僕は陽射しで一杯の部屋に立つ幽霊という状態で、あいまいな朝の挨拶をした。


「ええと、朝ご飯は……食べられないんでしたっけ?」


「そうですね、残念ですが……」


 広いリビングに朝子さん以外の姿はなかった。子供たちは独立したという話だけど、一人暮らしなのだろうか。


「じゃあお出かけの時間まで、のんびり過ごすといいわ。テレビでも点ける?」


「いえ、おかまいなく……」


 僕が朝子さんの気遣いに戸惑っていると、扉の開く音がして「五月の」杏沙が姿を現した。


「あらおはよう杏沙さん。うちのベッドは寝づらくなかった?」


「はい、おかげさまで。……あの、何かお手伝いできることがあったら、教えてください」


「あら気が効くのね。でも何もしなくていいわ。そのうち思いついたらお願いするかもしれないけど。洗面所やシャワーも気にせず使ってね」


「はい、ありがとうございます」


 僕は向こうからこちらが見えないのをいいことに、杏沙を間近で見つめた。すると気配を感じたのか杏沙がいきなりこちらを向き、僕は身体がある時のように大慌てで飛びのいた。


「それじゃ、お言葉に甘えて洗面台を使わせてもらいます」


 杏沙がそう言ってリビングから姿を消すと、僕は悪戯を見とがめられそうになった子供のように幽霊の肩を上下させた。


「幽霊君も、うちのもので使いたいものがあったら好きに使っていいのよ」


「いえ、幽霊なので特に気を遣わなくていいです。シャワーは未来に帰ってから浴びます」


 僕はそう言うと、手持無沙汰のままリビングをふわふわと漂った。そうこうしているうちに洗顔を追えた杏沙が戻り、少女と幽霊の朝食(僕は食べられないけど)が始まった。


 僕はいつもより幼く見える杏沙が朝子さんの用意した目玉焼きを頬張るのを、新鮮な感動と共に眺めた。


「どう?簡単な物しかできなくてごめんなさいね」


「いえ、とてもおいしい朝ごはんです」


 杏沙は表情こそあまり動かさなかったが、言葉通り目玉焼きとトーストをあっという間に平らげると満足そうに「ごちそうさま」と言った。


「あなた、お父様と二人暮らしだそうだけど、お食事はどなたが?」


「父です。私、お料理が苦手で目玉焼きを今、十回連続で失敗中なんです」


「……それはなかなか大したものね」


 僕は二人の会話を聞いて、どうやったらそれだけ失敗できるんだろうと首を傾げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る