第38話 僕はまだ親しくない相棒に呼びだされる


「これは『ジェル』を硬化させてブレスレッド仕様にした物だ。これを腕にはめると本来の意識がこの中に「保存」される。もちろん、苦痛は全くない。これに「五月の自分」に入ってもらい、空になった身体を貸してもらえばいい」


「どのくらいの時間、そうしていられるんですか?」


「まあ一日だね。大体二十四時間でこのブレスレッド型『ジェル』は溶けて気化してしまう。中に意識が入った状態でそうなると、意識も消滅する」


「じゃあ「十一月の僕」が「五月の僕」を乗っ取ることになるんですか?」


「一時的にはそうだが、別の時空の意識がこの五月の身体に長く宿ることはおそらく困難だろう。遠からず君の意識も消滅し、主を失った肉体は簡単に言うと……死ぬ」


 僕は愕然とした。僕が僕の身体を借りて動ける時間は一日。つまり残り一日になった場合の最終手段なのだ。


「じゃあ最低、あと三日は幽霊でいなくちゃならないんですね」


「うん、そういうことになるかな。とにかく僕もできるだけ早く機械の身体を……んっ?ごめん、電話が来たようだ」


 五瀬さんはアプリの入った四家さんの携帯をいったん、テーブルに置くと自分の携帯を手にした。


「はい、五瀬です。……あ、お嬢さん? ……幽霊君と連絡を取りたい、ですか?」


 僕は「お嬢さん」と言う言葉にはっとした。まさか……杏沙か?


「それなら、今ちょうど目の前にいますよ。……ふんふん、『フェッセンデン』で待ってると伝えればいいんですね?わかりました」


 五瀬さんはそれから電話の相手と短いやりとりをかわすと「はい、それじゃ」と言って通話を終えた。


「五瀬さん、今の相手は……」


「七森博士のお嬢さんだよ。何か緊急事態が起きたらしく、君にどうしても伝えたいことがあるらしい。『フェッセンデンで待っている』といえばわかるそうだ」


「わかります。七森博士の恩師に当たる八十万博士が店長をしているカフェです」


「八十万博士か……あの人なら、何かいいアイディアを持っているかもしれないな」


 五瀬さんが携帯をしまいながら言うと、四家さんが「じゃあ私が送って行くわ。……それでいい?」と携帯のカメラを僕に向けて尋ねた。


「はい、お願いします」


「やれやれ、僕の所に来たかと思ったらすぐにとんぼ返りか。せわしないな幽霊も」


 五瀬さんはもう見えないはずの僕に視線を向けると「あ、そうだ。七森博士のお嬢さんから君に言づてがあったよ」と言った。


「なんて言ってたんです?」


 僕の代わりにそう尋ねたのは、携帯を手にソファーからに腰を浮かせた四家さんだった。


「ええと、「今、私の中に未来の私はいないけど、がっかりしないでね」だそうだ」


 僕は思わず、見えない苦笑を漏らした。「五月の杏沙」とはまだ一度も一緒に戦っていないのに、口調がなんだか「十一月の杏沙」に似てきたからだ。


                ※


「あ、入ってきたわ博士。ちゃんと映ってる」


 僕が店内に入った途端、携帯のレンズを向けて出迎えたのは知りあって三日目の杏沙だった。


「ふむ、私も見て構わないかね」


「ええ、もちろん。今、スタンドでテーブルに固定するから少し待ってください……真咲君、もう少し右に寄って」


 杏沙に名前を呼ばれた瞬間、僕はどきりとした。五瀬さんも四家さんもまだ「幽霊君」なのに、会っている時間の少ない杏沙が真っ先に名前を覚えてくれたのだ。


 ……もっとも、単に記憶力がいいだけの話かもしれないが。


 杏沙の指示通り、僕がフレームに収まる位置に動くと「いいわ、そこから出来るだけ動かないで」とカメラマンのような指示が飛んできた。


「なるほど、確かにこの間の少年だ。あらためて「いらっしゃいませ」だな」


 僕は携帯のレンズに向かって「お邪魔してます」と言った。今日の八十万博士はエプロンにバンダナというカフェのマスターにしか見えないいでたちだった。


 八十万博士はアイスココアを杏沙の前に置くと「意識体というのは飲食もできるのかね?」と僕に尋ねた。


「残念ですが、たぶん無理です」


「なるほど。ならばなおさら早く元の世界に戻った方がいいな」


 そうか、と僕は思った。


 この世界では僕は何ひとつ触れられないのだ。一秒でも早くアイスココアの似合う五月から初雪の舞う十一月に戻らなければ。


「……それで七森、なんなんだい緊急事態っていうのは」


「それに答える前に、何か忘れてない?」


 僕はあっと思った。


「ごめん、七森……さん」


「まあ、三日目だから特別に呼び捨て解禁にしてあげるわ。実はね、父が行方不明なの」


「えっ」


 僕は予想外の答えに絶句した。


「行方不明って……君に何も言わずに?」


「そうよ。研究室に言ったら鍵がかかってて、電話にも出ない。家で待ってたら戻って来るかもしれないけど、こうなったら学校なんて行っていられないわ」


「ふうん……まさかとは思うけど」


 僕が続きをうやむやにした途端、杏沙が「シンリャクされたって言いたいんでしょ?実は私もその可能性が高いかなって思ってる」と言った。


 僕は驚いて杏沙の整った顔を見返した。父親が謎の侵略者に乗っ取られたかもしれないっていうのに、この冷静さはなんだろう。


「それで君はどうするつもり?警察に捜索願でも出す?」


 僕が真っ先に思いついた疑問を口にすると、杏沙は意外にも首を横に振った。


「あと三日今の状態が続いたら、世界が変わってしまうんでしょ?だったら父のことはいったん後回しにして侵略者を追い払うわ」


 僕は絶句した。十一月の杏沙が敵のボスを探すというならわかるが、五月の杏沙が敵を倒すと言いだすなんて、やっぱり普通の女の子じゃない。


「そういうことなら、私もできる限り手伝わせてもらおう」


 杏沙と共に携帯の画面を覗きこんでいた八十万博士が、力強い口調でそう言った時だった。ふいに入り口の扉が開いて小柄な人影が店内に姿を現した。


「あら、今日は随分と可愛らしいお客さんがいらしてるのね」


「やあ朝子あさこさん、今の時間は、ボンちゃんのお散歩じゃないんですか?」


 博士がマスターの顔で出迎えた女性を見て、僕は思わずあっと声をあげそうになった。博士と僕らを見てにこにこしている女性客は、十一月の公園で子犬を散歩させていた、あの老婦人だったのだ。



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