第37話 僕はまた一人、貴重なサポートを失う
「それじゃ、私はここで待ってるから「通訳」の人と落ち合えたらまた戻ってきて。五瀬さんの所まで送ってあげるわ」
四家さんは『ゴーストビート』の前でバンを停めると、携帯のカメラ越しにそう言った。
「ありがとうございます。それじゃ、ちょっと行ってきます」
僕は人気のないライブハウスの廊下を泳ぐように移動すると、スタッフルームの扉の前に立った。
「マリさん、幽霊の真咲です。入りまーす」
僕はマリさんが中にいた時に驚かせないよう、声をかけながら扉を潜り抜けた。
「――マリさん?」
部屋に入った僕は中の様子を目にした瞬間、その場に固まった。目を赤紫に光らせたマリさんが、『幽霊吸引機』のノズルを僕の方にまっすぐ向けていたのだ。
「やめてください、マリさんっ!」
「%※☆@……」
――だめだ、完全に『バックスペーサー』に乗っ取られてる!
僕がたった今までその可能性に気づかなかった自分を呪った、その時だった。
「幽霊君、頭を下げて!」
突然、扉の開く音がして、四家さんの声が僕の背後から響いた。僕が幽霊なのにと思いつつ頭を下げると、ボトルを持った四家さんの手とスプレーを噴きつけられるマリさんの姿とが見えた。
「※@☆%&!」
マリさんは『幽霊吸引機』を取り落とすと、その場にがくりと膝をついた。
「マリさん!大丈夫ですか?」
僕がマリさんの方に動こうとすると、カメラを持った四家さんが「幽霊君、ここは他の人たちに任せましょう。騒ぎになる前に出た方がいいわ」と言った。
「えっ、でもマリさんをこのままにしておくのは……」
「大丈夫よ。……見て」
四家さんがうなだれているマリさんを目で示した瞬間、うなじのあたりから黒い煙が立ち上り天井のあたりに吸い込まれるのが見えた。
「あいつさえ出て行けば、ひとまずは安心よ」
「でも「通訳」が……」
「どうせ五瀬教授の所に行くんでしょ?今はこれもあるし、私が一緒に行くわ」
四家さんはそう言うと、僕が視えるアプリの入った携帯を掲げてみせた。
「わかりました。……マリさん、ごめんなさい」
「人が来ないうちに、行きましょ」
僕は床にへたりこんでいるマリさんに声をかけると、その場で身を翻した四家さんの後を追った。
※
「そうか……なるほど、あの貯蔵庫を開けたのは君だったのか」
「ごめんなさい」
僕はお屋敷のリビングで五瀬さんと向き合うと、携帯のレンズに向かって頭を下げた。
「まあやってしまったことはしょうがないよ。それより問題はこれからだ。八十万万博士の言う『バックスペーサー』がこのまま猛威を振るえば、君の言う「五月の世界」にとっても由々しき事態だからね」
五瀬さんはそう言うと、マリさんが持っていた『幽霊吸引機』を興味深そうにながめた。
「それで五瀬教授、難しいことはわからないんですけどこのスプレーを吹き付けると、『バックスペーサー』たちは多少おとなしくなるみたいなんです」
四家さんが除菌スプレーのボトルをテーブルに置くと、五瀬さんは「へえ、これが?」と目を丸くした。
「でもこの中のどの成分が敵に対し有効なのかはまだ、わからないんです」
「ふむ、面白い。ちょっと調べてみることにするよ」
「五瀬さん、僕と七森にはあと四日しか時間が無いんです。できるだけ早く、敵の弱点を見つけて下さい」
「うん、まあ努力してみるよ。……それと君たち、身体がないのは何かと不便じゃないかい?」
「はい、一応この世界にも「五月の僕」がいるんですが、一度中に入らせてもらったら「元々の僕」が苦しいみたいで……」
「うーん、そうかもしれないね。なにしろなにしろ幽霊……いや意識体の方の君は別の時空から来た存在だからね。この世界の物質と折り合いが悪くても仕方がない」
「あの……『ジェル』で乗り込むアンドロイド・ボディはまだ使える段階じゃないんですか?」
僕が最も聞きたかったことを尋ねると、五瀬さんは「残念だけど、完成品に仕上げるにはあと一月ほどかかると思う」と答えた。
「そうですか……それじゃ間に合わないですね」
僕が落胆していると、五瀬さんがふいに「あ、でも」と言った。
「何です?」
「ある研究をしていた時、自分に侵略者が取りついたらどうなるだろうと思って、『ジェル』に自分の意識を移して身体を空っぽにする実験をしたことがあるんだ」
「つまり、五瀬さんが僕と同じ幽霊になるってことですか?」
「まあ、完全に身体から離れるわけじゃあないんだけどね」
五瀬さんがそう言って取り出したのは、『ジェル』をチューブ型のブレスレッドにしたような物体だった。
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