第36話 僕は懐かしい場所で出会う前の知人に会う


「こんにちは、柄谷さんいる?」


 四家さんがバンを停めて入っていったのは、僕もよく知っている建物だった。


 ――まさか『フィニィ』に来るなんて。


 僕はずんずん奥に進んで行く四家さんの背中を追いながら、幽霊なのに涙がこみ上げてくるのを感じた。


 ここ『フィニィ』は七月の『アップデーター』騒ぎの時、僕と杏沙を助けてくれた人たちが拠点として集まっていた場所なのだ。


「あら四家さん、お久しぶり。研究の方は一区切りついたの?」


 店の奥にある工房で電動やすりを動かしていたバンダナ姿の女性――柄谷那智からたになちさんは、四家さんに気づくと手を止めて保護用のゴーグルを外した。


「ええ、おかげさまで。実は七森博士のところで興味深い出来事があって、あなたにも聞いてもらいたいと思ったの」


「私に?どんな話?」


「未来から博士の元に、幽霊の少年が訪ねてきたの」


「未来から? 幽霊の少年? ……どういうこと?」


 僕は僕とまだ知り合っていない那智さんに僕の話をしている四家さんを見て、これもまた僕のいた五月にはなかった新たな「事実」なのだろうと思った。


「ふうん、聞けば聞くほど不可解なお話ね。……で、その幽霊君は今、どこにいるの?」


「それは……わからないわ。何しろ一緒に来た「通訳」の方が以外には見えないんですもの。私から会おうと思っても、幽霊君の方が「通訳」さんを通して連絡してこない限り会うことはできないの」


 ――あのう、その「幽霊君」、ここにいるんですけど。


 「面白い話だわ。うちのお店の瑞乃みずのちゃんがいわゆる「霊感」持ちだから、その幽霊君がふらっとうちを訪ねて来たら視えるかもしれない」


「あらそうなの。じゃあもし幽霊の目撃譚がお店の人から出て来たら、私に教えてもらえる?」


「わかったわ。……でもその幽霊君、どんな背格好なのかしらね。何か手がかりでもあるといいんだけど」


「あるわよ」


 ――え?


 四家さんは携帯をおもむろに取り出すと、「さっき七森博士のお嬢さんから幽霊を映すアプリの起動ファイルと一緒に幽霊君の静止画像も送ってきたの」と言った。


「見せてもらっていい?」


「ええ、もちろん」


 四家さんから携帯を手渡された那智さんは画像ファイルを開くと「ふうん……姿はちょっとぼやけてるけど、内気そうな子ね。お家の中で一生懸命、動画の編集とかしてそう」と言った。


 ――当たってるよ那智さん。だけどさ、これでも意外と行動力あるんだぜ。


「ね、このアプリ起動してみていい?」


「いいけど、さっき街の中で使った時は何も映らなかったわよ。霊って意外にいないものね」


 チャンスだ、と僕は思った。僕は那智さんが構えている携帯のレンズの前に移動すると、脅かさない程度に両手を動かした。


「――あらっ?」


「どうしたの?」


「何か映ってる……これって幽霊君?」


「そうよ。静止画でしょ?」


 四家さんが問い質すと、那智さんは「うーん。たぶん違うと思う」と首を振った。


「違う?」


「だってこの静止画……両手が動いてるもの」


                    ※


「――そう、あなたが十一月から来た幽霊少年ってわけね。よろしく」


 僕と「歴史にない」初対面を果たした那智さんは、「でも変な感じね。私は今はじめてあなたのことを知ったのに、あなたは私の知らない七月の私を知っているんだもの」と言った。


 僕はレンズの前でうなずくと、この那智さんはまだ『アップデーター』に乗っ取られてないのだろうかと想像を巡らせた。


 七月の那智さんは『アップデーター』に身体を乗っ取られながらも本来の自分を保っているという特殊な存在だったのだ。


「たしかに不思議ですね。僕も今の状況にやっと慣れ始めたところなので、そのへんは上手く説明……」


 僕が那智さんの疑問に答えられずしどろもどろになりかけた、その時だった。


 突然、それまで画面を眺めていた那智さんが「うう……」と呻いて携帯を作業台の上に放り出したのだ。


「どうしたの?」


 声をかけながら四家さんが駆け寄ると、身体を二つ折りにしていた那智さんが呻きながら顔を僕の方に向けた。


「……あっ」


 こちらを見ている那智さんの両目は赤紫に光り、時々赤くなったり戻ったりを繰り返していた。つまり那智さんは今の時点ですでに『アップデーター』に乗っ取られており、その上『バックスペーサー』にまで入り込まれているのだ!


「※%☆@&!」


「ど、どうしたの?柄谷さん!」


 四家さんがパニックに陥っていると、やがて工房のただならぬ気配が伝わったのか細身の人影――瑞乃さんという女性店員だ――が僕らの前に姿を現した。


「あっ、どうしたの那智さん……えっ? ……いやああっ」


「どうしたの、瑞乃さん?」


「お化けがいるっ……向こうが透けて壁が見えてるっ」


 ――僕のことだ! ……待てよ、騒いでるってことはひょっとして僕が視えてる?


「あ、あのっ、僕、お化けじゃないです。……それより、もしお店に除菌スプレーがあったら持ってきてもらえませんか?」


「じょ……除菌スプレー?」


 幽霊に話しかけられ軽いパニックに陥りながら、瑞乃さんはバックヤードに引き返すとスプレーのボトルを手に戻ってきた。


「それをこの部屋全体にまいて下さい」


「あっ…はいっ」


 瑞乃さんが戸惑いを見せつつその通りにすると、那智さんが「ううっ」とひときわ苦しそうな声を上げ膝をついた。


「――那智さんっ」


 がくりとうなだれた那智さんのうなじから黒い煙が逃げるように立ち上ったのを見た僕は「よかった、これで『アップデーター』が外来種に食われずに済む」と思った。


 ――これでいい。このまま『アップデーター』が那智さんを侵略したとしても、それは僕が知っている「本来の歴史」に組みこまれている事実だ。


 僕はまだ時折、目の中に赤い光がのぞく那智さんを見て不思議な安心感を覚えた。


「あ……私、どうしたのかしら」


「大丈夫?かなり気分が悪そうに見えたけど」


 しきりに気遣う四家さんと瑞乃さんに、那智さんは「ええ、もう大丈夫」と答えた。


「ごめんなさい柄谷さん、私そろそろおいとまするわね」


 四家さんが申し訳なさそうに言うと、那智さんは「こちらこそ、おかしなところを見せちゃって……」と携帯を差し出しながら言った。


「ええと……あ、そこにいるのね幽霊君。これから行く場所があるなら、送ってあげるけど?」


 四家さんの申し出に、僕は「じゃあ、待ち合わせ場所のライブハウスまで」と図々しく甘えた。


「それじゃ柄谷さん、また近いうちに」


 四家さんは、軽く会釈をすると身を翻して工房を後にした。


「除菌スプレーを持ち歩いた方がいいですよ、四家さん」


 僕が思わずそう声をかけると、四家さんはアプリを起動させたままカメラを僕に向け「大丈夫、瑞乃さんが持ってきたのと同じ物が車にも積んであるから」と言った。



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