第35話 僕はのどかな街の風景に溶け込めない
「……四日目の朝か」
ライブハウスのスタッフルームで目を覚ました僕は、日数ばかり費やしさっぱり進展がないことにがっかりしながら幽霊の身体を起こした。
――さてと、いろいろ相談することもあるし、五瀬さんか七森博士のところに一度行かなくちゃな。
僕はそこまで考えて待てよと思った。幽霊に戻った以上、「通訳」が必要だ。
――どうしよう、ヨーコさんの所に行ってお願いしてみようか……ぼくがああでもないこうでもないと、考えをめぐらせていた時だった。ふいに入り口の扉が開いて見知った人影が姿を現した。
「……則人さん」
入ってきたのは、神社の権禰宜でバンドマンの則人さんだった。
「どうしたんです、こんなに早く」
僕が戸惑いながら声をかけた、その直後だった。則人さんはバッグから小型掃除機のような装置を取り出すと、手に携えたまま周囲をきょろきょろと見回し始めた。
――僕が、視えていない?
僕は則人さんが手にしている装置の正体に気づくと、ベッドから降りて部屋の隅へ移動した。あれは『アップデーター』たちが使っていた『幽霊吸引機』だ。
よく見ると、則人さんの目はやや紫がかった赤に変わっていた。つまり今、ノリトさんの体内では『バックスペーサー』が『アップデーター』を食っているのだ。
あの装置も、『アップデーター』が持っていた物を『バックスペーサー』が奪おうとしているところなのかもしれない。
則人さんは室内をうろうろした挙句、部屋の隅にいる僕にゆっくり近づいてきた。
――まずい、このままだといずれは勘づかれてしまう!
僕がいっそ壁を抜けて部屋の外に脱出すべきか迷い始めた、その時だった。唐突に扉が開いて、小柄な人影が顔を覗かせた。
「マリさん!」
「幽霊君……ノリトさん?」
マリさんは入り口のところで固まると、目を丸くして僕と則人さんを交互に見た。
「%※@&……」
則人さんがゆっくりとマリさんの方を振り向いた瞬間、うなじのあたりから黒い煙が立ち上りそのまま逃げるようにどこかへ姿を消した。
「えっ? ……ちょっとノリトさん、大丈夫?」
黒い煙が去ってぐったりとなった則人さんを見て、マリさんは悲鳴のような声を上げた。
「マリさん、則人さんは侵略者に取りつかれていたんです」
「侵略者?」
「はい。説明したいので、昨日会った五瀬さんの所にもう一度行って貰えますか?」
「五瀬さんって……あの白衣のかっこいい人?」
僕が頷くとマリさんは「いいけど、午前中は忙しいからお昼にもう一度ここへ来てくれる?」と言った。
「わかりました。その時は、この装置も一緒に持ってきてください」
僕がそう言って床に転がっている『幽霊吸引機』を目で示すと、マリさんは「この装置を? ……いいけど」と訝しむように眉をひそめながら言った。
「お願いします。……それじゃあ、お昼にここで」
僕は首を傾げながら則人さんを介抱しているマリさんに一礼すると、何かに急き立てられるようにスタッフルームを後にした。
※
「ふうん、そいつは大変だったなあ」
「でしょ?あの子たちもまだ中学生と高校生だし、お母さんがおかしくなっちゃったからレッスンどころじゃないの」
準備中の店内に響く会話の主は、アキラさんとヨーコさんだった。僕は入り口近くのテーブルの真下で、床から頭だけを出して二人の会話を聞いている状態だった。
盗み聞きはちょっと後ろめたいけど、こうすればヨーコさんに僕の姿は見えない。
「何かの病気かなあ。それにしても三人いっぺんにおかしくなるなんて、聞いたことがないな」
「本当ねえ」
僕は思わず事情を説明したい衝動にかられたが、ぐっとこらえた。
僕が出て行って侵略者だの『バックスペーサー』だのという話をしたら、ヨーコさんも混乱するだろう。
僕はヨーコさんのため息を聞いた後。床下から抜け出す形で店を後にした。
――さて、どこに行けば少しでも七森に近づくことができるだろう。
昼になったら五瀬さんの所に行くとはいえ、午前中の時間も無駄にしたくはない。何しろあと四日しかないのだ。
僕は表通りに出ると、行き交う人たちをぼんやりと眺めた。五月の日差しの中、誰一人僕に気づく者はいない。気持ちを和ませる小鳥や風に舞う花びらも、僕の身体をすり抜けてゆくだけだ。
――んっ?
反対側の通りにふと目を遣った僕は、見覚えのある人影が携帯のカメラをあちこちに向けている様子に目をみはった。
――あれは、四家さん?
見慣れたバンの傍らでせわしなく身体の向きを変えていた四家さんは、携帯を顔の前から離すとふっと表情を緩めバンに乗り込んだ。
――よし、ちょっとお邪魔しよう。
僕は通りを横切ると「失礼します」と言ってバンの後部席にするりと潜りこんだ。むろん四家さんからすれば無断乗車、無賃乗車だ。
四家さんがエンジンをかけると、僕はバスに乗る時と同じように身体をシートに「固定」した。そうしないと加速する車から取り残されてしまうからだ。
やがてバンがゆっくりと動き出し、僕は「行き先が遠いようなら途中で降りよう」と虫のいいことを考えながらルームミラーに映る四家さんの表情を見つめた。
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