第34話 僕は絶好のチャンスを生かしきれない


 勢いに呑まれ僕が飛び込むと、女性職員は扉を閉めて内側から鍵をかけた。


「……これでいいわ。罠を仕掛けるわよ」


「罠?」


 おとなしそうな女性職員のイメージにそぐわない罠と言う言葉に、僕ははっとした。


「……もしかして」


「あなたって人は、事を大きくする天才ね。追ってこないでって言ったでしょ」


「――七森!」


 僕は聞きなれたクールな口調に胸が高鳴るのを覚えた。この女性の中味は――杏沙だ!


「そこのベンチを扉の前に動かして」


 杏沙は僕の感動など無視するかのように、てきぱきと指示を飛ばした。


「七森、なぜ僕から逃げる?一緒に戦おう」


 僕は杏沙――女性職員と力を合わせてベンチを扉の前に置くと、あらためて尋ねた。


「私たちが使える時間はあと四日しかないし、一日でも早く敵を駆除すれば、元の世界に戻れる可能性がそれだけ高くなるわ。いらない失敗で時間をロスするわけにはいかないの」


「ひどい言い方だな。僕がドジを踏むって決めつけてるな」


「否定できる?いつも言ってるでしょ。あなたのフォローまではできないって」


 杏沙はぴしゃりと言い放つと、掃除用具入れから防カビスプレーを出して扉の周りに噴きつけ始めた。


「なにやってんだ?」


「罠よ。完全に参らせることはできないけど、これである程度弱らせることはできるの」


「たった二日でそれをつきとめたのか?」


「そうよ。でもこの中のどの成分が効くのかはわからない。残り四日で突き止めてみせるわ」


 杏沙は強い口調で言うと、「私は鍵を開けて敵を誘きよせるから、あなたはシャワーの方に隠れてて」とつけ加えた。


「あまり危険な真似はするなよ」


 僕が押し切られる形で奥のシャワーブースに隠れると、やがて扉がどんどんと叩かれる音がした。僕が次の展開を息を詰めてうかがっていると、かちりという解錠の音と共に扉がベンチに当たる音が聞こえた。


「%@&&#!」


 謎の言葉と共にベンチがずずっと動く音がして、同時に隣のブースに人が駆けこむ気配があった。


「$%☆@※!」


「※☆%&@!」


 扉が開けられる音に続いて聞こえてきたのは、呻くような声と人の倒れるばたばたという音だった。


 ――やったか?


 「……もういいわ、出て」


 すぐ隣で声がして、僕はおそるおそるシャワーブースを出た。


「ああ……」


 入り口のところに折り重なって倒れていたのは、兄貴と舞彩たちだった。


                ※


「兄貴……」


「残念だけど、介抱している暇はないわ。外に脱出する方が先よ」


「……うん」


 僕がやり切れない気分で家族の横を通り抜けようとした、その時だった。後ろの方に倒れていた体育館の職員がむくりと起き上がり、赤紫に光る目で僕らを見た。


「……ごめんなさいっ」


 杏沙はそう言ってスプレーのボトルを取り出すと、男性職員の顔にノズルを向けた。


「%☆&※!」


 男性職員が呻き声と共に崩れると、僕らは一気にシャワールームを飛びだし出口に向かって廊下を駆けた。


「……ふう、騒ぎにはなったけど、あなたが敵を誘きよせてくれたからここでの仕事が早く終わったわ」


「どういうこと?」


「ここにいる侵略者は統率が取れていない。つまり奴らのボスはいないって事」


「ボスだって?」


「そうよ。敵が侵略行為になれていないうちにボスを倒せば、たぶん時空の狭間に戻っていく゚はず。あと四日のうちに見つけ出してみせるわ」


「待てよ、また一人でどこかへ行く気か?逃げたって、必ず追って行くからな」


「わからない人ね。元の世界に戻りたいなら、おとなしくしてて」


「この広い街の中、一人でどうやってボスを探す気だ?あてはあるのか?」


「……とにかく、ついて来ないで」


 ぴしゃりとはねつけるような言葉と共に女性職員が床に崩れ、同時に首のあたりから半透明の少女がするりと抜け出すのが見えた。


「――七森!」


 僕はそう叫ぶと、駆けだしたいのをこらえて背後を振り返った。この身体ごと杏沙を追いかけて行けば「五月の僕」に負担がかかる。一旦家族の元に返そう。


 僕は覚悟を決めると、自分の身体を抜け出して通路の空中に浮かびあがった。

 

 ――いくら自分とは言え、苦しい思いをさせちゃったな。ごめんよ。


 僕は女性職員の横にくたっと倒れている自分にちらっと眼をやった後、後ろめたい気持ちを振り切るように杏沙の後を追った。だが、身体を抜け出してすぐ体育館の外に出たにもかかわらず、幽霊に戻った杏沙を見つけることはできなかった。


 ――もし、五瀬さんのところで僕が放ってしまったあいつが「ボス」だとしたら……やっぱり僕には捕まえる義務がある。七森一人に背負わせるわけにはいかない!


 僕は「あと四日か」と呟くと、幽霊に戻った自分を確かめるように地面を蹴った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る