第33話 僕は過去の自分から悪霊扱いを受ける


 応援席では夢未さんと母さんが並んで兄貴の試合を観戦していた。


 僕(五月の僕だ)と舞彩は二人の後ろに陣取ると、二点リードの兄貴チームに声援を送り始めた。


 ――さて、この状況じゃさすがに自分を「のっとる」わけにもいかないな。


 僕が次に取るべき行動を考えながら終盤のゲームを見つめていると、残り五分という所で番狂わせが起きた。なんと兄貴が守っていたゴールに敵がシュートを立て続けに決め、五分で三点を失うという不運に見舞われたのだった。


「あーあ、負けちゃった」


 舞彩ががくりと肩を落とした瞬間、僕は直感的に今だ、と思った。僕は前屈みになっている自分の上にジャンプすると首の付け根から自分の中にダイブした。


『――うAっなにし2北?誰誰誰』


 飛び込んだ途端、幽霊の僕を押し戻そうとする強い反発と、僕であって僕でないような声がフルヴォリュームでがんがん響いた。


 ――駄目だ、すごい抵抗だ。


 よほどの苦痛なのだろう、僕の「身体」は「うう」と呻くともがくように身をよじった。


「新吾、どうしたの?」


「新ちゃん大丈夫?」


「ちょ……ちょっとトイレに」


 僕はのっとったばかりの自分の口を借りてそう告げると、まだ自由になり切っていない脚で席を立った。


 不自由なのは当然だ、なにしろ「五月の僕」にとって幽霊の僕は異物なのだ。


 僕はふらつきながら観客席を出て階段を降りると、一階ロビーに「避難」した。

 

 ――とりあえず人目につかないベンチを探そう。それで身体が言うことを聞いてくれればそのままでいるし、拒絶されるようなら幽霊に戻ろう。


 僕が廊下をふらふらと歩いていると、清掃道具を手にした職員らしき女性がすれ違いざま気遣うような目線をよこした。よほど具合が悪そうに見えるのだろう。


 ――なにしろ今回は僕が「侵略者」だからな。アレルギー並みのショックが起きてもおかしくない。


 僕はトイレ脇のベンチまでどうにかたどり着くと、壁に背中をつけて目を閉じた。


 五分くらいそうしていただろうか、ふいに人の気配を感じたと思った瞬間、誰かが肩を掴んで大きく揺さぶるのがわかった。


「どうした新、気分でも悪いのか」


 目を開けた僕の前に立っていたのは、兄の理だった。


                ※


「あ……兄貴。試合、残念だったね」


「ん? ……あ、ああ。まあしょうがないよ。どたんばでふんばれなかった俺らの実力不足さ。それより……」


 僕は兄貴が思ったより意気消沈していないことにほっとしながら、その一方でどこか妙だなと感じていた。そう、言ってみれば僕がよく知っている兄貴のおおらかさがないというか……


「夢未たちは上かな?ちょっと反省会の前に会っておきたいから、連れてってくれないか」


 僕は兄貴の言葉にうなずきながら、身体は無意識に後ずさりを始めていた。なぜなら兄貴の目が赤紫色に光っていたからだ。


 ――『バックスペーサー』だ! 兄貴も乗っ取られたのか。


「こ、こっちだよ……」


 身を翻して歩き始めた僕は、数メートルも行かないうちに進む速度を緩めた。観客席の出口から現れた舞彩たちが、やはり赤紫の目を光らせてこちらを見ていたのだ。


 ――まさか奴ら、この体育館にいる人間を片っ端から「乗っ取って」いるのか?


 僕はその場で回れ右をすると、「ごめん兄貴、ちょっとトイレに行くんでここからは一人で行ってくれる?」と言ってダッシュした。


「――おい、新!」


 僕は兄貴の横をすり抜けると、後ろから追ってくる「新!」「新ちゃん!」という声を振り切るように体育館の廊下を駆けた。やがて玄関ロビーに駆けこんだ僕は、あたりに漂う異様な空気に息を呑んだ。


 ――ちょっと待って、嘘だろ。


 異様な雰囲気の正体は、ロビーを行き交う人たちの動きと目の色だった。入り口付近にいる応援の人たちも、コートの出入り口で汗を拭いている選手たちも、ことごとく赤紫に目を光らせちらちらとこちらをうかがっているのだった。


 どうしよう、とパニックに陥りかけた直後、僕の目に『屋外駐車場B』という表示と矢印が描かれた案内板が目に飛び込んできた。


 僕は迷わず駆けだすと、玄関には向かわず矢印の示す通路の奥へと駆け込んだ。


 だが十メートルほど先に見える出口の前にもスポーツ用具のコンテナを抱えた職員が目を光らせて立っているのが見え、僕は足を止めざるを得なくなった。


 ――まさか、うしろにも……


 僕がその場で振り返ると、僕の家族――兄貴たちと夢未さんまでもが赤紫の目をして立っているのが見えた。


 ――どうしよう、「五月の僕」をここに置き去りにして幽霊に戻ることは、やろうと思えばできる。でも――


 元の持ち主に身体を返すべきかどうか僕が迷っていると突然、左側で扉の開く音がしてシャワー室から見覚えのある人影が顔を覗かせた。


「早く、中に入って!」


 掃除用具を手に僕に向かって叫んだのは、先ほど自分に侵入したばかりの僕を気づかうように見た女性職員だった。


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