第32話 僕は自分に侵入のお伺いを立てる


「ふう、とんだイベントだったな」


「あなた、これからどうするの?」


「さあ、わからない。昔、七森と入った場所にでも行ってみるよ」


「そう……私は父のところに戻るけど、あなたに連絡を取るにはどうしたらいいのかしら」


「さっきイベントで会ったヨーコさんに仲介してもらうのがいいかな。迷惑をかけちゃうけど」


「わかった、そうする。……未来の私と再会できるといいわね」


「なにがなんでも、見つけるさ。それができなきゃ、七月が二つになる」


 僕が冗談交じりに自分の決意を伝えた、その時だった。


「あの、君……さっきイベントの途中まで客席にいた子だよね?」


 突然、そう言って杏沙に近づいてきたのはがっしりした体格の中年男性だった。


「そうですけど……あなたは?」


「今回のイベントでトークライブをやった、作家の飯来だけど……驚かせて申し訳ない」


 僕はあらためて作家と名乗る人物の顔を見た。なんだかアキラさんの身体に五瀬さんの顔をのっけたようなちぐはぐな印象の男性だ。


「私に、何かご用ですか」


「実は今度、ローカル局で僕が書いた小説をドラマ化するんだけど、主演女優のオーディションを受けてみない?」


 僕は冗談じゃない、と思った。杏沙はうちの専属だ。作家さんに僕の姿が見えていたら大声で抗議するところだ。


「ええと、せっかくですけどいろいろ忙しいので……」


「そうかあ。……ま、いいや。気が向いたらネットで調べてみて。まだ締め切りまで間があるから」


 杏沙の返事にほっとする一方、僕はこの怪しい地元作家に警戒が強まるのを抑えられなかった。


「やれやれ大変だな、どっちの七森も」


「どっちもって……どういうこと?」


 僕が「十一月の杏沙」を自分の映画にスカウトしたことを告げると、「五月の杏沙」は眉を寄せ「彼女があなたから逃げてる理由が、なんとなくわかるわ」と言った。


「ちぇっ、昨日会ったばかりでこれだもんな」


 僕がぼやきを漏らすと、杏沙は携帯をしまいながら「それじゃ頑張って、幽霊君」と言った。


 ――こっちの七森が僕の名前を覚えるのには、まだしばらくかかりそうだな。


 僕が交差点の手前で行き先を決めかねふわふわしていると、ふいにポケットの中で何かが震えた。


 ――まさか。


 僕が幽霊の手で取り出したのは七森博士から貰った『渦想チップ』だった。コインに似た物体から伸びた光は、僕の家のある時美町の方角を指しているようだった。


「とにかく、行ってみよう」


 僕はチップが示した方角に身体を向けると、「あと五日」と呟いて地面を蹴った。


                  ※


 時美町の自宅にたどり着いた僕は正直、五月の明るい陽射しとは裏腹に重苦しい気持ちに沈んでいた。


 『渦想チップ』の光が何を示しているのか、今の時点ではわからない。この近くに杏沙がいるのか、それとも逃げた『バックスペーサー』が潜んでいるのか。


 なにひとつわからないとなると、とにかく思いついた事をやってみるしかない。


 僕が今、やろうとしているのは「自分の中」に入ることだった。


 十一月の杏沙が五月の杏沙に入ることは可能だった。だったら僕に同じことができるはずだ。問題は「取りつかれた方」の僕がどうなるかだ。


 五月の杏沙は「ふわっとした感じ」と言っていたが、必ずしも同じとは限らない。


 でも、と僕は思った。


 もし僕が僕に一日のうち何時間か身体を貸してくれるのなら、杏沙を探すのもきっと楽になるに違いない。


 杏沙は今、一人で新たな侵略者『バックスペーサー』を追いだそうとしている、でもそれを一人でやらせるわけにはいかない。なぜなら『バックスぺーサー』をこの五月の街に放ったのは、ほかでもない僕だからだ。


 僕が少し離れた場所で家の前をうかがっていると、ラッキーなことに待ち始めて間もなく僕と舞彩が玄関の前に現れた。


 ――珍しいな。一緒に出てくるなんて。


 僕ら兄妹はあらゆるものの好みが違う。一緒に行動するとなにかと衝突してしまうのだ。僕が首を傾げながらついてゆくと二人はバス停のところで立ち止まり、バスを待ち始めた。


 ――半年くらい前に舞彩と外出した記憶……うーん、思いだせないな。


 僕があれこれ記憶を辿っているうちにバスが来て、僕は乗車する人たちに紛れてバスの中に潜りこんだ。「僕」と舞彩は左右の窓際に分かれて座り、僕は後ろの方で二人が降車するタイミングを待った。


 ――この路線で行くと図書館か体育館だ。……どっちだろう?


 僕が想像を巡らせているとある停留所で二人が席を立ち、バスを降りた。二人が下りたのは体育館の前だった。


 ――体育館か、おかしいな。舞彩だって水泳教室に一人で行けない年じゃない。僕がついて行くような用事がなにかあっただろうか?


 そこまで考えて、僕はふとあることに気がついた。そういえば春ごろ、兄貴が所属してるフットサルチームの試合があったような気がする。


おさむ兄ちゃんの話だと、予選も結構白熱したって。午前から来てればよかったかなあ。


 応援席側の入り口に向かって歩きながら、舞彩がぼそりと呟いた。


「リーグ戦で落ちたらがっかりするから、通過してから観るって言ったのは誰だよ」


 たしなめるような「僕」の返しを聞いた途端、ああこんなこともあったなと僕はおぼろげな記憶が甦るのを意識した。


 ――ということは五月が変わったわけじゃなくて、これは実際の出来事なんだな。


 僕は「僕」と舞彩がロビーで靴を履き替える様子を眺めながら、幽霊には嗅ぐことのできない体育館の臭いを全身で感じた。


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