第30話 僕は予想外の反撃を目の当たりにする


「さて、ぼちぼち十一時だ。店に戻るとするかな。『バックスペーサー』の弱点がわかったら、七森君に連絡しておく」


 最後に取っておいたらしい卵焼きをひと口で平らげた八十万博士は、杏沙が見ていることに気づくとつまようじに伸ばしかけた手を止めた。


「あの……これいただいてもいいですか?」


 突然、杏沙がある物を指さして博士に尋ねた。杏沙のイメージにそぐわないその物体を見て、僕は目を丸くした。


「いいけど……集めてるの?」


「はい。形が好きです」


 杏沙が指で示した物体は、魚の形をした醤油さしだった。


「ちょっとまって、油を拭くから」


 博士から醤油さしを受け取った杏沙は軽くお辞儀をすると、醤油さしをポケットに入れた。


「それで『フェッセンデン』の方には来るのかね。それとも帰るかね?」


「博士にはお会いできたので、いったん帰ります。……真咲君は?」


 博士から携帯を返された杏沙はレンズを僕に向けると、そう尋ねた。


「今のところ手がかりがないし、僕も帰るよ。たださっきちょっと、気になることがあったんだ」


「きになること?」


「リサさんが「あの子が来てる」って言ったんだ。あの子って言うのはたぶん、リサの中にいた七森じゃないかって思うんだ」


「そう……とことん追うつもりなのね」


 杏沙は未来の自分をしつこく追う少年(僕のことだ)に呆れたのか、カメラを顔の前から下ろすと肩をすくめた。


「……まあ、君たちの話だとまだ五日あるのだろう?逆に言えばあと五日間は世界は分裂しない」


 ――そうだ、十一月の杏沙によれば世界が変わるまで、あと五日しかないのだ。


 僕がぞっとして幽霊の身体を固くした、その直後だった。


「それまでに弱点の手がかりを見つければ……んっ、誰だ?」


 突然、背後で扉の開く音がして、シュレッダーのゴミを片付けていた博士は立ち上がって出入り口の方を見た。


「――あっ」


 博士の視線を追った僕は、入り口のところに現れた人影を見てぎょっとした。


「……こんなところまで来るなんて」


 僕らの方にゆっくりやってきたのは、目を赤く光らせた三人のお母さんたちだった。


                   ※


「◇#☓☓○◇」


「○▽○◇☓☓」


 目を赤く光らせてこちらにやってくるお母さんたちを前に、僕はパニックに陥った。


 今、僕には対アップデーター用の武器がない。奴らをおとなしくさせる発光ゴーグルも電撃系の『ショックワーム』もないのだ。


 ――そもそもあの武器は五瀬さんたちが作った武器だ。五月の時点じゃまだ存在してないかもしれない。


 おまけに――と僕は自分の置かれた状況を客観的に見つめた。


 ――今の僕は幽霊だ。敵が襲ってきても、このままじゃ手を払いのけることすらできない。


「#◇▽☓△○」


 三人の「お母さん」たちは僕ら三人(僕が視えているかどうかはわからないが)の方へ、包囲の輪を狭めるように距離を詰めはじめた。


 やがてリーダー格らしいチサトのお母さんがどこからともなく懐中電灯くらいの大きさの装置を取り出し杏沙に向かって突きつけた。それを見た瞬間、僕は直感的に「身体を乗っ取りやすくする装置だな」と思った。


 おそらくあれを顔のどこかに押しつけられると、意識を抜き取られてしまうのだろう。僕はいくつか疑問が沸き上がるのを感じつつ、なんとかしなければと焦った。


 ――僕が七月に見た装置とは形が違う。試作品なのか? ……それとも僕らのいた世界とは、この五月の時点でもう全てが変わってしまっているのか?


 敵に乗っ取られたお母さんたちは僕が視えないらしく、前に飛びだした僕をすり抜けて杏沙の前に立った。


「逃げろ、七森っ」


 危機を察したのか素早く身を引こうとした杏沙を、トシキとリサのお母さんが両側から羽交い絞めにした。僕は二人を杏沙から引き離そうと腕や肩に手を伸ばしたが、髪の毛一本揺らすことはできなかった。


 ――だめだ、何もできない!


 チサトのお母さんが装置を持った手を杏沙の顔に近づけた、その時だった。杏沙の手が動いてポケットから小さな物体を取り出すのが見えた。


 ――えっ?


 杏沙が木の葉型の物体をつまむと、飛びだした黒い液体が敵の口元を直撃した。


「……ぎゃっ!」


 液体をかけられたチサトのお母さんは、大きくのけぞると携えていた装置を放り出し床に崩れた。


「どうしてあんなもので……」


 僕は唖然とした。杏沙が敵に向けたのは、先ほど博士から譲り受けた醤油さしだった。


 ――そうか!


 ほんの少量の醤油を浴びただけで悶絶した敵を見て、僕はあることに気づいた。


 ――『アップデーター』は、塩分に弱いのだ。


 だから多少であっても塩分のある物を浴びせられると、身体を乗っ取って間もない敵は簡単にダウンしてしまうのだ。


「○◇☓☓○」


「▽△◇☓○」


 リーダーをやられた二人は、緊急会議でもするかのように謎の言葉を交わした。


 これで引きさがってくれると助かるんだが……僕がそんな期待を抱きかけた時だった。トシキのお母さんがリーダーの落とした装置を拾うと、再び杏沙につきつけた。


 ――だめだ、もう醤油が無い!


 慌ててあたりを見回した僕の目に飛び込んできたのは、博士が半分ほど呑んだみそ汁のカップだった。僕は作業台に近づくとカップを掴もうと必死で手を閉じたり開いたりした。


 そうこうしているうちに装置が杏沙の鼻先に迫り、僕の全身が絶望で満たされた。


「七森っ」


 僕が無念の叫びを上げた、その時だった。ふいに「うっ」という声と共にトシキのお母さんが装置を手にしたままその場に崩れ、ついでリサのお母さんまでもがバランスを失いくたっと床の上にへたりこんだ。


 ――な、何が起きたんだ?


 僕が呆然としていると三人のお母さんたちがむくりと体を起こし、いきなりそれまでとは異なる言葉を口にし始めた。


「%※$&☆@」

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