第29話 僕らは五月の秘密を知る人物と出会う
もわっとした生暖かい空気と機械の上げる音にすっぽりと包まれ、杏沙と僕は電源室兼ボイラー室の薄暗い空間を進んでいった。
自分の身体より大きいタンクを横目に歩いていると、いつ警報が鳴って人が飛んで来るかわからないぞと僕は冷や冷やした。
「なにこれ?なんでこんなところに?」
杏沙の意表を衝かれたような声に思わず身を乗り出した僕は、やはり杏沙と同じように「なんでこんな物が?」と幽霊の声を上げていた。
小さな作業台の上にペンや工具と一緒に乗っていたのは、半分蓋が開いた「弁当」だった。
「誰だ。メンテの時間でもないのに」
突然、暗がりから声がしたかと思うと人のような物が動く気配があった。
「あ……」
平然としている杏沙とびくついている僕の前に姿を現したのは、半白の髪とひげをもっさりと生やした山賊の首領みたいな初老男性だった。
「ごめんなさい。人を探しているんです」
どう考えてもこの場にそぐわな言い訳を杏沙が口にすると、初老の人物はぎょろりとした目を僕らに向け「人を?とぼけたことを言うお嬢さんだ」と威嚇するように言った。
「本当です。八十万博士という方が地下のカフェで働いていると聞いて探しに来たんです。でもどこにもいらっしゃらなくて……」
「……ふむ、そういうあんたはいったい、何者だ?」
「七森って言います。八十万博士は父の恩師なんだそうです」
杏沙が事情を早口で説明すると、男性は分厚い唇を愉快そうに曲げ「八十万は私だ。
「博士はここで何をされているんです?」
「不要な書類の裁断だよ。このビルには昔からここにシュレッダーがあってね。カフェの方が暇になるとここへきてシュレッダー作業をしているのだ」
「そうだったんですか。お邪魔してすみません」
「……まあいい、そろそろ昼にしようと思ったところだ。……で、何が聞きたいのかね?手短に頼むぞ」
博士が僕らに質問をうながすと、杏沙が「実は今、ここに十一月の世界から来た少年がいるんです」とそのまますぎて理解困難な前置きを口にした。
「十一月の世界だと?」
「はい。父は『不確定時空』という物に巻き込まれたんだろうと言っています。その現象について詳しいのは自分の恩師である博士だけだと」
「ふむ、不確定時空ね……七森め、とんだ難問を押しつけおったな」
「隣にいる少年は、身体を十一月に置いて来ているので今は幽霊なんです」
「幽霊?」
「父は『意識体』とか言っていました。先に私の意識の方がここにやってきて、彼は私の幽霊を追いかけて五月にやってきたんだそうです」
「ほう、けなげじゃないか。若き純愛というやつか」
「話を聞いた限りでは、私とこの子は七月に「侵略者」をめぐる騒動で知り合って、ずっと一緒に戦ってきたんだそうです」
「侵略者だと?」
「はい。……この続きは本人に語ってもらうのがいいと思います」
杏沙はそう言うと、起動させた携帯のカメラを博士の前に差し出し「この中に父が開発した幽霊を映せるアプリが入っています」とつけ加えた。
「こ……こんにちは」
博士にカメラを向けられた僕は、反射的にぎこちない笑顔をこしらえた。博士は携帯のレンズ越しに僕を見据えると、「五月の世界へようこそ、未来少年君」と言った。
※
「ううむ、そういうことだったのか。そうなると二つの時空が不安定なまま、混ざっているわけだな」
僕の話を聞き終えた八十万博士は昼食の弁当を頬張りながら、うんうんとうなずいた。
「やはり僕と七森が来たことで、この世界の何かが狂ってしまったんでしょうか」
「まあ、わかりやすく言えばそうだ。その「黒い煙」とやらもおそらく、本来の五月には存在していなかった物だろうからな。……まあ、いわば「外来種」だ」
「外来種?」
「七月に繁殖した『アップデーター』は君たちによって適応させられたが、時空のひずみから現れた新たな「侵略者」は七月を自分たち生態に合った歴史に造りかえるに違いない」
「歴史を造り変える?」
「本来現れるはずの「正しい」侵略者を駆逐し『アップデーター』の代わりに自分たちが人間を乗っ取ろうとしている、ということだ。もし七月に侵略してくる『アップデーター』がすべて「外来種」に駆逐されれば、七月が二つできることになる」
「そんな……七月が二つになったら僕らはどうなるんですか」
「たぶん、君たちが出発してきた十一月には二度と戻れなくなるだろう」
「それを防ぐのに、必要なことは何です?僕らは何をしたらいいんです?」
「簡単に言うと「外来種」の侵略から『アップデーター』を守る事。それが七月を二つに分裂させずに済む最もわかりやすい方法だ」
「アップデーターを僕らが守る……大丈夫なんですか、そんなことをして」
「大丈夫、それに関しては心配無用だ。なぜなら君たちはかつて『アップデーター』と戦って勝利するという歴史を経験している。無事に「外来種」から『アップデーター』を守り通せば、後はあらかじめ決まっている未来がやってくるだけだ」
「その「外来種」ですが……僕らはそいつのことをなんて呼べばいいんです?」
「そうだな、過去を消して行く侵略者ということで『バックスぺーサー』というのはどうだろう」
「バックスペーサー……」
「奴らはすでに一度書きこまれたはずの「未来」を過去に向かって消して行く。つまり「なかったこと」にしてしまうわけだ」
僕はぞっとした。杏沙との時間をすべて「なかったこと」にされてしまうなんて。
「君たちは正しい過去の記憶が残っているうちに、奴らを駆除しなければならない。でないと、離れてゆく二つの「五月」を引き寄せて一つにすることは不可能になる」
「取り戻す……僕らにとっての正しい「五月」を」
僕は博士の言葉にうなずくとともに、こんなこと、絶対に一人でやらせるわけにはいかないと思った。
――七森。相手が侵略者なら、どうしたって僕が必要なはずだ。何が何でも探し出すぞ。
僕はどこにいるかわからない相棒に向かって、コンビの再結成を一方的に宣言した。
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