第28話 僕らは他人行儀のままコンビを組む
「リサは発声は良かったけど、ピッチが不安定ね。少しシャープしてるわ。上ずってもいいけど、ずれないよう気をつけて」
ヨーコさんはカフェコーナーのテーブルで、三人の歌の出来についてアドバイスをし始めた。
「チサトはもう少し声を張って。他の二人に被せてもいいわ」
ヨーコさんの厳しめの指摘を僕と杏沙(視えているのは杏沙だけだが)は、入り口近くの席で聞くともなしに聞いていた。すると三人とヨーコさんのテーブルが静かになったタイミングで、別の席の会話が耳に飛び込んできた。
「やっぱりリサちゃんの声ね。私、うっとりしちゃったわ」
「それと、トシキ君の落ちついた声もぐっとくるわよねえ」
「だけど一番、響くのはチサトちゃんの声じゃないかしら」
どうやら声の主はリサたちのお母さんらしい。杏沙はアイスティーのストローを咥えたり離したりしながら、僕にカメラを向けたり時計表示に目をやったりしていた。
ちなみに僕の前には何も置かれていない。メニューには幽霊向けのドリンクが書いてないからだ。でもそうしているとなんとなく杏沙とお茶をしているようで、それはそれで悪い気分ではなかった。
「十時四十分か、あと少しね」
杏沙は携帯の画面に目をやると、カフェから出ることをそれとなく僕に告げた。
僕が存在しない腰を浮かせて杏沙が動く瞬間を待ち始めた、その時だった。
「☓☓△◇#○……」
聞き覚えのある『アップデーター』の言葉が微かに聞こえ、僕はぎょっとしてお母さんたちの方を見た。すると三人の目が一瞬、ぼうっと光り視えないはずの僕の方に顔を向けた。
「まずい、逃げよう七森」
「昨日会ったばかりでしょ。ちゃんと「さん」をつけてもらえる?」
「後でつけるよ。それよりお母さんたちが僕の知ってる「侵略者」に乗っ取られてる」
「えっ、うそっ? ……どういうこと?」
「僕にもわからないよ。とにかく「侵略者」に気づかれないうちにここを出て地下に移動しよう」
僕がそう提案すると杏沙は即座に「わかったわ」とうなずいた。呑み込みの早さはさすがに出会う前から杏沙だ。
「少し早いけど出ましょう。……あと、いちいち映していられないからちゃんとついてきてね。幽……ええと真咲君」
杏沙はそう言って携帯をポケットにしまうと、驚くほど自然な動作で席を立った。
――しめた、こっちに来る気配はないぞ。どうやら僕がはっきり視えるわけじゃなさそうだ。
僕はお母さんたちがテーブルを離れる気配を見せないことにほっとしつつ、慌てて出口の方に向かう杏沙を追いかけた。
※
カフェコーナーを出て歩き出した杏沙は、イベントブースのすぐ近くにある階段の前で足を止めた。
「十分早いけど通してもらうわ」
地下へと続く階段の手前には「進入禁止」の札が下げられたチェーンが渡されており、杏沙はチェーンが繋がっているポールをずらすと内側へ体を滑り込ませた。
「おい、入るなって書いてあるぜ」
「あるわね。でもこの下にいる人を探しに行くんだから、関係者みたいな物でしょ」
僕は言うだけ言って携帯をさっと引っ込めた杏沙の後を、やれやれと思いながら追いかけていった。
階段を下り切った場所は地下としてはかなり広い空間で、ワゴンセールで使うような台の上に発売から時間が経った本が平積みの状態でたくさん並んでいた。
「カフェは……あっ、あそこだわ。『フェッセンデン』って書いてある」
杏沙はそう言うと、奥のガラス張りの空間を目で示した。
「ふうん、準備中か。中に人がいる気配はないわね。十一時までどこかで待機してるってことかしら」
杏沙は顔を曲げて従業員の姿が無いフロアを見回すと、当てが外れたとでも言うように肩をすくめた。
「でもどこにいるのかしら。地下といっても一応、スタッフルームみたいな部屋はあると思うんだけど……」
杏沙がそう言いながら壁のあちこちに目線を向け始めた、その直後だった。ふと説明できない予感にかられ背後を見た僕は、階段を下りてくる三つの人影に息を呑んだ。
――お母さんたち……いや「侵略者」だ!
僕は杏沙の方に目を戻すと「まずい、このままだとこっちに来る!」と叫んだ。
「どうかしたの?幽霊……真咲君」
僕の慌てた気配に気づいたのか、杏沙が眉をひそめながらカメラをこちらに向けた。
「侵略者が来る!早く台の陰に隠れるんだ」
僕が早口で告げると、杏沙は事態が呑みこめないままうなずいた。杏沙が近くの台に身を隠すと、普通の人間には視えない僕も念のため杏沙の隣に身を隠した。
「あの目……まさかあれが侵略者の目?」
地下フロアに現れた三人は、光る目で無人の売り場をあちこち眺めた。そのふるまいは何となく覗いてみたというより、明らかに何かを探っているように見えた。
「▽◇#○○☓☓……」
どう見ても『アップデーター』にしか見えない三人は、お母さんの姿のまま何やら謎の言葉を交わすと、諦めたように階段の上へと引き返していった。
「私を探してた? ……まさかね」
おそるおそる台の上に顔を出した杏沙は、信じられないと言うように首を振った。
「おかしい……僕の記憶だと『アップデーター』たちが初めてこの街に現れたのは七月だ。あの人たちに取りついた奴が仮にその先祖だとしても、早すぎる」
僕の呟くようすをカメラ越しに見ていた杏沙は、「あれがあなたの言っていた侵略者ね。早めに実物を見られて良かったわ」と言った。
――まったく、五月でも七月でも杏沙は杏沙だな。ちっとも怯えていない。
僕はいくつかある扉を手あたり次第あらためている杏沙を見て、その常識離れした度胸と行動力にあらためて舌を巻いた。
「あ。ここ開くわ。なんだろ」
杏沙がそう言って開け放ったのは、フロアの一番奥にある金属性の扉だった。
――おい、正気かよ。
どうやら電源室かボイラー室らしい暗がりにずんずん入ってゆく杏沙を見て、僕は「めちゃくちゃだ」と嘆きつつ慌てて後に続いた。
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