第15話 僕は手に入れた希望をあっさりと手放す


 実験室に戻った僕は、まだ作動し続けている機械類を見ながら次の行動について考えをめぐらせ始めた。


 部屋に入った直後はいったんボディを出て容器に戻ろうかとも思ったが、その前に少しお屋敷の中を見て回るのもありかなと思ったのだ。


 ――まだ少しエネルギーはある。五瀬さんの姿が無いかどうか確かめておくのもいいかもしれない。


 僕は実験室を出ると、一階のリビングへ足を向けた。


「……やっぱりいない。どうやら本当に装置のスイッチを入れたまま外出しちゃったみたいだな」


 僕は空っぽのリビングを見つめながらふうと息を漏らすと、このまま待つのならせめて掃除くらいした方がいいのかなと思った。


 ――まずはいったんボディから降りて、容器の中で「食事」を摂らないとな。


 僕が屋敷の中を見回るのを止めて実験室に戻ろうとした、その時だった。

 突然、そう遠くない場所からわあんという声とも唸りともつかない音が響いてきた。

 

 ――なんだ?


 僕はリビングを出ると、唸りの大きくなる方向へ足を向けた。音の発生場所はキッチンのあたりらしく、近づいて見るとキッチンからは音だけでなく滲むような赤い光も漏れ出しているようだった。


「……これは?」


 キッチンに足を踏みいれた僕は、床の一点から四角い形の光が放たれていることに気づきぎょっとした。


 ――この下は確か貯蔵庫のはず……ということはこの光と音は貯蔵庫から漏れてる?


 僕は壁にある貯蔵庫をせり出させるスイッチに思わず手を伸ばした。床下でどんなことが起きているのかどうしても知りたかったのだ。


 僕がスイッチを入れると「ういいいん」というモーターの音がして貯蔵スペースが床板ごと上にせり出し始めた。細長い箱型の貯蔵スペースが丸ごと光っているのを見た瞬間、僕は直感的に恐怖を感じた。


 ――ほんの……ちょっと覗くだけ。


 僕は天板に手をかけると、ほんのわずか水平にずらした。と、次の瞬間、炭のように真っ黒な気体が隙間から漏れだし、僕は慌てて天板を元に戻した。


                   ※


 ――今のは一体?


 黒い気体は生き物のようにうねりながら天井の方に移動すると、やがてキッチンの隅に吸い込まれるように姿を消した。


 ――まずい、なんだかわからないけど元に戻しておかなくちゃ。


 僕は再び壁のスイッチを押すと、貯蔵庫を床下に戻した。機械の身体なのに、僕は冷水を浴びせられたようにぞっとしていた。貯蔵庫にあんな得体の知れない物があるなんて。


 僕は罪悪感を振り払うように急いで地下への階段を降りると、実験室へと向かった。


 僕の全身を覚えのある嫌な感じが襲ったのは、実験室の扉を開けた直後だった。


 ――これは……エネルギー切れだ!


 僕は急いで容器に移ろうと実験台の前で膝をつき、顎を台の上に乗せた。だが操縦席を降りた途端『ジェル』の身体がみるみる縮み出し、容器にたどり着いたときは全身を伸び縮みさせることすら叶わなくなっていた。


 ――ああ、もう間に合わない! 無茶をするんじゃなかった……


 緑色の身体が最後の放電に包まれた直後、僕は『ジェル』の身体から追いだされ実験室の空中にいた。


 ――また戻っちゃった……『幽霊』に。


 僕が心細さを抱えてゆらゆら漂っていると今度は突然、ばたんと扉が開いてスリムな人影が室内に飛び込んで来るのが見えた。


「なっ、なんだこれはっ。組み立て中のボディが勝手に動くなんて……」


 実験室に飛び込むなりそう叫んだのはこのお屋敷の主、半年前の五瀬さんだった。


 ――五瀬さん、僕が……僕がわかりますか?


 僕は予想外の光景に頭を抱えパニックに陥っている五瀬さんに、幽霊の声で呼びかけた。だが五瀬さんは僕の気配にまったく気づくことなく「どういうことなんだ」とひたすら呻き続けていた。


 ――しょうがない、いったんお屋敷の外に出よう。……また来ます、五瀬さん。


 僕は同じ部屋に幽霊がいるとは思いもしない五瀬さんに別れを告げ、「初対面」の挨拶は次回までお預けだなとため息をついた。


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