第13話 僕は幽霊からぶよぶよに昇格する


 容器の中の命のない『ジェル』は、よく見ると周囲に弱々しい糸のような電流をまとっていた。あの電流が『ジェル』に活動するエネルギーを与える「食事」なのだ。


 僕はなんとかして吸引装置のスイッチが入れられないものかと、頭を巡らせた。


 本来の僕の身体に主人がいるこの世界では、仮の身体がなければ杏沙を探すこともできない。


 ――スイッチはたぶん、装置の上にある奴だろう。だとすれば上から何かを落としてやれば入るかもしれない。霊でも物を落とすくらいのことならできるはずだ!


 僕は何か落とせそうなものはないか、装置の近くを見回した。

 

 ――あれなら、いけるか?


 僕が目を留めたのは、台の端の方に乗っているオブジェ風のメモスタンドだった。


 メモスタンドはちょっと変わった形をしていて、小さな台から伸びている針金の上にアンバランスなくらい大きな球体がついているのだった。


 僕はメモスタンドに近づくと、ちょっとした振動でもぐらつきそうな上の球体を幽霊の手で押したり突いたりした。


 当然のことながら丸いオブジェはびくともせず、僕がメモスタンドを使うことを諦めかけたその時だった。


 傍の壁に紐で掛けられていたフォトパネルが突然、ぐらつき始めたかと思うと留めてあるピンが外れて台の上に落下した。


ごん、という音と共に落ちたパネルが台を震わせた瞬間、台の端にあったメモスタンドが大きく傾き、そのまま真下の装置に向かって落下した。


 ――しめた!


 メモスタンドは僕の読み通り吸引装置のスイッチにぶつかり、かちりという音がして吸引装置が唸りを上げ始めた。


 ――ちょ、ちょっと待って!


 僕は慌てて吸引装置のノズルの前に移動すると、「さあ来い」と念を込めて幽霊の目を閉じた。やがて目の前に火花が散り始め、身体が上下に揺さぶられるような衝撃を感じた。


  ――来る!


 僕が身構えた直後、身体がはじけるような感覚が僕を襲った。次の瞬間、僕は透明な容器の中に移動していた。


 ――やった、成功だ!


 僕は新しい『ジェル』の身体をぶるんと震わせると、「乗り移り」が成功したことを確信した。


                   ※


 晴れて『ジェル』という身体を手に入れた僕は、記憶を頼りに伸び縮みしたあげくどうにか容器の外に這いだすことに成功したが、問題はここからだ。


 台の上から床の上へと降りるには、身体を細長く糸のように伸ばさなければならない。僕は苦労して床に降りると、「過去」の経験を一つ一つ思いだしながら隣の工房へと移動していった。


 ――まだ「あれ」は完成していないはずだ。……でも「試作機」くらいは。


 僕が期待していたのは、僕の身体をかたどって造られた『アンドロイド・ボディ』った。


 話せば長くなるが、僕と杏沙が七月に『アップデーター』という侵略者と戦った(僕らの中では過去形なのだ)時、僕らが人間として動きまわれるよう五瀬さんが造ってくれた機械の身体が『アンドロイド・ボディ』なのだ。


 『アンドロイド・ボディ』には『ジェル』の身体で操縦する超小型ドローンで乗り込む。はたして五瀬さんは、僕が乗り込むことのできるボディを完成させているだろうか?


 もちろん、まだ僕と五瀬さんは「出会って」いない。僕のための身体なんて世界中、どこを探しても存在しないだろう。でも、五瀬さんはかなり前から『ジェル』と『アンドロイド・ボディ』の研究をしていたはずだ。試作品の一つくらい、どこかにあってもおかしくはない。


 僕は普通の人間ならものの十数秒で移動できる距離を、十数分かけてずるずると動いた。工房の中を『ジェル』の身体でひと通り調べるのは重労働だったが、それでも僕は根気よく役に立ちそうな物体を探し続けた。


 もし途中で五瀬さんが戻ってきたら、「無断でジェルに乗り移ってごめんなさい。七月になれば理由がわかるはずです」と謝るしかない。


 それで歴史が狂うとかそういうことが起きたとしても、今の僕にはどうしようもないのだ。


 僕は工房の三分の二くらいを見終えたところで『ジェル』の身体が縮み始めていることに気づいた。エネルギーと水分が減ると『ジェル』はどんどん小さくなってゆくのだ。


 「充電」するにはまたあの容器に戻らなくてはならない。つまり実験室まで戻れるエネルギーを取っておかないと『ジェル』が限界まで縮んで、また「幽霊」に逆戻りしてしまうのだ。


 ――ちくしょう、これが限界かよ!


 僕が緑色の身体を悔しさで震わせた、その時だった。視界の隅にどこかで見たことのある形――人体の一部らしき物が飛び込んできた。

 

 ――あれは……僕の身体、いや僕の身体になる前の『アンドロイド・ボディ』だ!


 僕は腕と胴体、それに脚の一部を見せている黒っぽい物体へと必死で這っていった。


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