第12話 僕は自分が間に合っている世界で戦う
『光が森停留所』のバス停前に立った僕は、バス停前から伸びる坂を見上げ幽霊にふさわしい消えそうなため息をついた。
――もしここが本当に五月の街なら、五瀬さんはまだ僕のことを知らないはずだ。
僕は自宅からバスに乗って(幽霊でも頑張ればバスに乗れるのだ!)、七森博士の助手だった五瀬さんのお屋敷に辿りついた。
自宅前で突然、震えだした『渦想チップ』の光が示した方向がこっちのように思えたからだ。
自分の部屋で衝撃の事実に打ちひしがれていた僕は、パニックに陥ったまま外に戻った。幸い「僕」は誰にも侵略されていなかったが、状況はそれ以上に深刻だった。
最大の問題は、僕が帰るべき「身体」が半年後の未来にあり、この世界の「僕」は本来の意識と身体がちゃんと一セットで存在するということだった。
――まさか今の僕がこの時期の「僕」を侵略するわけにもいかないしなあ。
僕の失望はしかし、別の可能性を想像させるきっかけでもあった。僕の意識が『不確定時空』に巻き込まれて過去に飛んだのなら、その前に巻きこまれた杏沙の意識も「ここ」に来ている可能性がある。
問題は、この五月の時点では『アップデーター事件』で知り合って僕らに戦うためのサポートをしてくれた人たちと、誰一人知り合っていないということだった。
しかも、この世界には身体を持った「僕」と「杏沙」が既に存在するのだ。
果たして未来からやってきた見ず知らずの幽霊に、誰が力を貸してくれるだろう?
――本当なら、七森博士の研究室に行った方がいいんだろうけど。
僕は『不確定時空』の研究をしていたのが博士であることを考えると、七森博士ならこの意識だけの時間移動にも理解を示してくれるのではないかと思ったのだ。
――でも、ここでは僕はまだ「杏沙」と知り合ってさえいない。
僕が「杏沙」と知り合った『アップデーター事件』は七月の終わりだ。つまりこの時点では杏沙も博士も真咲新吾なんていう少年のことは一ミリも知らないのだ。
僕がとりあえず五瀬さんのお屋敷を目指したのは、幽霊状態だった僕らに最初に力を貸してくれた人だからだ。……ただ、今回は僕一人で杏沙はいない。
僕はこの半年、様々な困難を乗り越えてきた。でもそれは常に杏沙の存在が近くにあったからだ。彼女の存在が傍に感じられない世界は何て心細いんだろう。
――はたして杏沙もいない一人ぼっちの状況で、五瀬さんは「初対面」の幽霊少年に手を貸してくれるだろうか。
僕は帰るべき十一月があまりにも遠いことに愕然としつつ、坂道を上がっていった。
※
――ああ、懐かしいな。でも……
僕は五瀬さんのお屋敷の前に立つと、五月の日差しの中でなぜか切ない気持ちが溢れてくるのを感じた。
――何度もここへ来た。そのたびに僕と杏沙は五瀬さんや四家さんに助けられた。
あの時よりもっと前の――半年分若い五瀬さんに、僕はどうやってコンタクトしたらいいんだろう?
僕は少しためらった後、思いきって玄関の扉に飛び込んでいった。生身の人間なら不法侵入だが、幽霊ということで許してもらうしかない。
僕はこの屋敷の主である五瀬さんがもっともいそうな部屋――地下の実験室へと直行した。
「ごめんください、五瀬さん」
僕は実験室の扉の前で一応、ノックをする形に手を動かすと歩くような動きで部屋の中に入った。
「……えっ?」
実験室に足を(幽霊だからないけど)踏みいれた僕は、見覚えのある実験台を見た瞬間、思わず声を(幽霊だから聞こえないけど)上げていた。
実験台の上にあったのは、円盤型の台に乗っている透明な円筒容器だった。
円筒の乗っている台はチューブで床に置いてある別な装置と繋がっており、装置からは先端に掃除機のようなノズルのついた別なチューブが伸びていた。
そして――透明な円筒容器の中には、ゼリーのような緑色の物体がでろんと弾力のない姿で封じ込められていた。
――僕らが訪ねる二ヵ月も前に、五瀬さんはもう『ジェル』を完成させてたんだ。
僕は驚きのあまりしばらく緑色の物体を凝視した。『ジェル』とは幽霊となった人間、つまり意識を宿らせることで「幽霊」から「生命」へと昇格させる物質だ。
やった、これにうまく乗り移ることができれば周りに見える形で行動することができる。……それにしても、五瀬さんはどこにいるのだろう。
僕は実験室に五瀬さんの姿が無いことに気づくと、実験室のさらに奥にある工房に向かった。
「五瀬さーん」
僕は空気を震わせることができない「幽霊の声」で、五瀬さんに呼びかけた。
雑多な工具や組み立て中らしい何かの機械が所狭しと埋め尽くす「工房」にも、五瀬さんの姿はなかった。
「おかしいな、実験室の装置は動いてるのに……」
もしかしたら、装置を作動させたまま外出しているのかもしれない。僕は仕方なく実験室に引き返すと、あらためて緑の物体を見つめた。
――「これ」はまだたぶん未完成で命は入っていない。つまり僕が入っても構わないってことだ。
僕は床の「掃除機」(正しくは吸引機というのだそうだが)に視線を落とした。
こちらの方はスイッチが入れられていないように見えた。もしあの吸引機にスイッチを入れることができれば、あの『ジェル』に乗り移ることが一人でもできるかもしれない。僕はふと、存在しない幽霊の鼓動が高鳴ったような錯覚を覚えた。
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