第11話 僕は自分史上最大のピンチに直面する


 ――思いきってリビングを覗いてみるか、それとも……


 僕が僕の身体を動かしている者の正体に思いをはせた、その時だった。


 ふと壁のカレンダーが目に入り、僕はなんだかおかしいぞと首を傾げた。確か今、僕の部屋のカレンダーは『2001年宇宙の旅』のスチールのはずだ。だが今、壁に貼られているカレンダーの絵は『猿の惑星』なのだった。


 このカレンダーは六枚つづりで二ヵ月に一度、めくるタイプの物だ。『猿の惑星』は五月と六月の物で、そこから既に二回ほどはがしている。


 ――なんでまた、一度はがした物を?


 この絵の下が気になった僕は、なんとかめくれないものかと両手を上下に動かした。


 幽霊でも必死で手を動かせば、軽いものならいくらか「動く」こともあり得るのだ。


 僕がカレンダーの前で霊と化した手を必死で動かすと、その思いが天に届いたのかカレンダーの下から次の絵柄がわずかに見えた。


 ――なんだこれ、まだ破ってないじゃないか!


 見えたのは下の方の数センチほどだったが、僕には何のスチールだかすぐにわかった。『ソイレント・グリーン』だ。


 ということは、このカレンダーは五月と六月の絵から先を破っていないのだ。


 ――僕には確かにカレンダーを破った記憶がある。なのにそれが元に戻っている。……なぜだ?


 そこまで考えた時、僕はふとカレンダーの一点に記されたマジックの書きこみに気づいた。書きこんだのはもちろん、僕だ。

 記されていたのは五月の二週目と四週目でで内容は「片瀬に出演交渉」「この週から撮影開始」という文章だった。


 ――おかしいぞ。このあと、僕は片瀬に断られて撮影開始のところにバツをつけたはずだ。


 五月の四週目に自分でつけた印が無い……この事実が意味するところは一つ、つまりこの部屋のカレンダーはまだ、五月の四週目を迎えていないのだ。

 

――まさか、そんな!


 僕は愕然とした。今僕がいる「ここ」は五月。『アップデーター』が侵略を開始する前、僕が杏沙と出会う前の世界なのだ。


 ――身体を十一月に残して、意識だけが半年も前の五月に飛ばされるなんて……


 僕は「僕」が笑顔で動き回っていた理由を悟った。あれは「五月の僕」だったのだ。


                  ※


 『光が森停留所』のバス停前に立った僕は、バス停前から伸びる坂を見上げ幽霊にふさわしい消えそうなため息をついた。

 

 ――もしここが本当に五月の街なら、五瀬さんはまだ僕のことを知らないはずだ。


 僕は自宅からバスに乗って(幽霊でも頑張ればバスに乗れるのだ!)、七森博士の助手だった五瀬さんのお屋敷に辿りついた。


 自宅前で突然、震えだした『渦想チップ』の光が示した方向がこっちのように思えたからだ。


 自分の部屋で衝撃の事実に打ちひしがれていた僕は、パニックに陥ったまま外に戻った。幸い「僕」は誰にも侵略されていなかったが、状況はそれ以上に深刻だった。


 最大の問題は、僕が帰るべき「身体」が半年後の未来にあり、この世界の「僕」は本来の意識と身体がちゃんと一セットで存在するということだった。


 ――まさか今の僕がこの時期の「僕」を侵略するわけにもいかないしなあ。


 僕の失望はしかし、別の可能性を想像させるきっかけでもあった。僕の意識が『不確定時空』に巻き込まれて過去に飛んだのなら、その前に巻きこまれた杏沙の意識も「ここ」に来ている可能性がある。


 問題は、この五月の時点では『アップデーター事件』で知り合って僕らに戦うためのサポートをしてくれた人たちと、誰一人知り合っていないということだった。


 しかも、この世界には身体を持った「僕」と「杏沙」が既に存在するのだ。

 果たして未来からやってきた見ず知らずの幽霊に、誰が力を貸してくれるだろう?

 

 ――本当なら、七森博士の研究室に行った方がいいんだろうけど。


 僕は『不確定時空』の研究をしていたのが博士であることを考えると、七森博士ならこの意識だけの時間移動にも理解を示してくれるのではないかと思ったのだ。


 ――でも、ここでは僕はまだ「杏沙」と知り合ってさえいない。


 僕が「杏沙」と知り合った『アップデーター事件』は七月の終わりだ。つまりこの時点では杏沙も博士も真咲新吾なんていう少年のことは一ミリも知らないのだ。


 僕がとりあえず五瀬さんのお屋敷を目指したのは、幽霊状態だった僕らに最初に力を貸してくれた人だからだ。……ただ、今回は僕一人で杏沙はいない。


 僕はこの半年、様々な困難を乗り越えてきた。でもそれは常に杏沙の存在が近くにあったからだ。彼女の存在が傍に感じられない世界は何て心細いんだろう。


 ――はたして杏沙もいない一人ぼっちの状況で、五瀬さんは「初対面」の幽霊少年に手を貸してくれるだろうか。


 僕は帰るべき十一月があまりにも遠いことに愕然としつつ、坂道を上がっていった。


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