第9話 僕は原色の魔物にふたたび出会う
昼下がりの公園では、年齢のばらばらな人たちが思い思いの時を過ごしていた。
中には犬を連れた人もいたが、あの時の犬とは違うようだった。
――おっちょこちょいな犬が僕に似てるだなんて、ひどいよな。
僕はベンチに腰かけてどこかにいるであろう杏沙に「文句を言わせてくれ、七森」とつぶやいた。色んなことを言いっ放しで逃げちまうなんてそれはないだろう。
僕がこみ上げてくるものに耐えかね、ベンチの上で鼻をすすったその時だった。
「あれっ、真咲さんのお兄さんじゃないですか」
突然、頭上から降ってきた声にはっとした僕は、おずおずと顔を上げた。
「明人君……」
見覚えのある少年の顔が目に入った途端、僕は急に恥ずかしくなった。
――しまった、泣いてるところを見られたんじゃないだろうな。
僕がうろたえていると明人は「そう言えば真咲さんからお兄さんが浮かない様子だったって聞いたんですけど、大丈夫ですか?」と言った。
「うん、まあちょっと気がかりなことがあってさ」
「気がかりな事?」
明人が不思議そうに首を傾げた、その時だった。
常夜灯の周りにちかちかと瞬く細かい光の粒が現れたかと思うと、みるみるうちに原色の混ざりあった光の渦へ成長した。
「あっ……なんだ、これっ」
明人は背後の異変に気づくと振り返って大声を上げた。
――『不確定時空』だ!
僕は咄嗟に首のネックレスを外すと「明人君、これを!」と叫びながら明人の首にかけた。
「……お兄さん、これは?」
僕の唐突な行動にとまどっている明人に、僕は「明人君、舞彩に伝えてくれないか。もし無事だったら晩御飯までに帰るって」と言った。
「は……はい」
「ありがとう。僕が無事に戻れたら、家に遊びに来てくれ。それから今度SF映画の……」
僕が明人へのメッセージを言い終わらないうちに、『不確定時空』は僕の視界を埋め尽くしそのまま渦の中心へと呑みこんでいった。
※
意識が戻って最初に見えたのは、青空だった。
僕は身体を起こすと、恐る恐るあたりを見回した。
――公園だ。ということは、あの『不確定時空』に巻き込まれたことで、何かが起きたわけじゃないのか……
だとすれば、と僕は思った。杏沙の生存にも希望が持てる。ただ単に意識が身体から押し出されてその辺をさまよっているのなら、僕にもかならず見つけ出せるに違いないからだ。
僕はゆっくりと立ちあがると、明人の姿が近くにないことに気づいた。
――どこかに行ってしまったのかな。それとも。
僕が倒れたのを見て近くの大人か救急車を呼びに行った、ということも考えられる。
まあ、どちらにせよ無事だったんだ。あとで伝えれば明人もきっとひと安心するに違いない。
僕がそんなことを考えながら遊歩道の方へ足を踏みだそうとした時だった。向こうからやってくる人影を見た瞬間「あっ、あの人」と声が出ていた。
見覚えのある犬を連れてこちらにやってきたのは昨日、杏沙が「渦」に呑みこまれた時に近くにいた老婦人だった。
老婦人はあの時と同じように『ボン』という犬を連れ、僕のいる場所に向かってのんびりと散歩を楽しんでいた。
だが、彼女が接近して来るにつれ、僕の中で「?」の文字が大きくなっていった。
老婦人は明らかに僕が見える距離にいるのに、しきりに首を傾げて何かを確かめようとする仕草を繰り返した。それはまるで「人がいるみたいだけど、気のせいかしら」とでも言うような仕草だった。
――まさか。
僕は足を前に出そうとして、右足の向こうにうっすらと地面が透けて見えていることに気づいた。
――うわ、やっぱり「幽霊」になっちまったんだ。どうりでおばさんも僕に気がつかないわけだ。
僕はすぐ目の前にいる老婦人に、心の中で「僕が見えますか?」と問いかけた。だが老婦人は相変わらず「もう少しで、何か見えそうなんだけど」という表情を浮かべるばかりで、代わりに『ボン』がわんわんと僕にいるあたりに向かって吠え始めた。
「どうしたのボンちゃん。何かいたの?」
――ああそうか。動物だから野生の本能みたいな物で「幽霊」になった僕を感じたんだな。
僕は見えない何かを見ようと必死で目線を動かす老婦人に少しだけ申し訳なさを感じながら、「驚かせてごめんよ、ボンちゃん」と呟いた。
「さて、これから一体僕はどうしたら……」
そこまで口にしかけて、僕ははっとした。この場所が『不確定時空』の発生場所で、呑みこまれた僕は身体から弾き出され「幽霊」になった。――ならば僕の身体は当然、杏沙の時と同じようにこの近くに横たわっていなければならない。
なのに――
僕はあまりにも恐ろしい現実に、思わず目を瞠った。
――僕の身体が、ない?
ひょっとしたら僕が目覚める前に、パニックに陥った明人が救急車を呼んだのかもしれない。目覚めた時は既に病院に搬送済みだったのなら、ここに身体がなくても不思議はない。
だが、そうじゃなかったら僕は杏沙のみならず、自分の身体をも探さなければならないということになる。
――あと考えられるのは、僕の家に電話して家族に迎えに来てもらったという可能性だな。
もし明人が家に電話して、母さんか兄貴が車で僕の「身体」を迎えに来たのならそれはそれでひと安心だ。杏沙と同じように目覚めぬままにせよ、少なくとも身体のあり場所は家か病院以外にあり得ないからだ。
でも、そうじゃなかったら――
僕は僕をすり抜けて犬の散歩を続ける老婦人の背中を見ながら、参ったなとため息をついた。こうなっちまったら、マリさんに電話をかけることもできない。まさに最悪の事態だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます