第12話  となりの少女

 落ち着かない気持ちを押さえながら受ける授業ほど身にならないものはない。


 まさかの告白展開か? いや、果し状的な展開かもしれない。特に用事もなく、屋上の掃除をさせるために声をかけただけかもしれない。


 頭の中で、数多の妄想が駆け抜ける。

 

 こんな風に女の子から誘われた経験は初めてであり、きっと何歳になっても緊張するに違いないイベントのはずだ(たぶん)。


 少しの期待と大きい不安を抱えながら、僕は屋上へ向かっていた。


 樹木も「一緒に行きたい」というので連れて来た。何度も断ったが、頑として譲らないため仕方なく許可をした。今は、いつもの通り肩に座っている。


 終礼が終わると同時にベータから「30分後に約束の場所で」と連絡が入った。


 「用事がある」とアルファと別れ、窓際の自分の席に座り、持ってきていた漫画を読んで過ごした。もちろん教室には誰もいなかった。『物語』の世界にいるのに、その中で『物語』を読むなんて、マトリョーシカの中に入ってしまったようでおかしかった。


 僕は屋上の扉をゆっくりと開けた。


 おしゃべりしている生徒が何人かいるものの、昼食時と比べるとその数は少なく、校庭で部活動をしている声が主役と言っていいほど穏やかな時間が流れていた。


 屋上の一番隅の方に、フェンスに寄りかかり空を見上げている女の子がいた。


 『ベータ』こと『佐藤 芳佳サトウ ヨシカ』だった。


 足が長く、全体的にスッキリとした体型のせいか身長以上に大きさを感じる。短い髪の毛をサイドにまとめ、可愛らしいゴムで留めている。少し気が強そうな印象を受ける顔立ちが、西にかたむいた太陽のせいか、より濃淡をはっきりさせ、僕の目を奪った。クラスの中の可愛いと言われるグループに間違いなく入るだろう。今まで市井さんばかり見ていたせいで気付かなかった。


 ベータが僕に気づき手招きをしている。


 第一声に何を言っていいか分からない。


「待った? 」


 とりあえずデートに到着した男のような挨拶をしてみた。


「全然。今来たとこー」


 この会話だけ抜き出せば完全にデートだった。いつもより緊張した声色がより一層そう感じさせた。


「どうしたの、佐藤さん? 二人きりで話がしたいなんて」


「いつも通りベータでいいよー。――さて…………何から話そうかな」


 そう言って体を小さく揺らす。幼稚園生がお遊戯しているようだ。しばらくお遊戯をした後、ピタリと動きを止め、大きく深呼吸をした後、


 「いらっしゃいませ!二名様でよろしいでしょうか? はい、こちらの奥の席にどうぞー」


 と大きな声で言った。


 突然の出来事に僕は混乱した。予想もしていない言葉だった。

 

 新手の嫌がらせか? 告白に見せかけた罰ゲーム? いや、まだ告白されていないじゃなか。こういうのは天国から地獄に突き落とすのが定石のはずだ。それともあれか? 浮ついた気持ちが滲み出ていたせいで、それを哀れに感じて予定を変更したとか?


 そんな僕を置いてきぼりにしたままベータは続ける。


「ご注文は何になさいますか?」


「あ、ブラックを一つ」


 反射的に応えてしまう。サラリーマン時代の習慣が完全に抜け切れていない証拠だった。


「いつもありがとうございます」


 ベータがニッコリと微笑む。と、同時に僕は、不思議な既視感を感じ、胸が少し痛くなった。

 

 ここが『以前いた世界』のような錯覚に陥る。サラリーマン時代の記憶。


 この後、新規開拓先に訪問しなければいけない。何件廻れるだろう。資料をもう一度整理しよう。ああ…………今日成績挙げられなかったら、部長に殺される…………。何とかしなきゃ…何とかしなきゃ……それは、忘れていた記憶だった。


「あ…あ、ミ、ミルクを二つ付けて、下さい……」


 混乱し過ぎてどうでもいい事を言ってしまった。

 

「はい、かしこまりました。お連れの方は何にされますか? 」


「お、お連れの方……?」


 僕は一人で来ている。連れなどいない。


「おお! ではコーヒー牛乳をいただこうか。シロップも忘れずにな! 」


 それは、樹木の声だった。


 僕以外には絶対に見えない『死神』。


 彼女には、その『死神』が見えている。


「かしこまりました、樹木様。やっぱり甘いのがお好きなんですね」


 ベータは小さく笑いながら言った。以前から知っている友人と話す様に。


 それは、営業スマイルではない。いつもの『佐藤 芳佳』の笑顔だった。

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