第3話 魔王、お姫様抱っこしてしまう
「おい、貴様ら。邪魔だからどけ」
俺は全うな要求をしたつもりだったが、彼らを怒らせるのにはその一言で十分だったらしい。
須王ハルトという少年と体が入れ替わってしまった俺こと、魔王ヴォルディウスは、この世界における人間関係というものの難しさを痛感していた。
「てめぇ、1年のくせに何様だ!」
「なんだこいつはぁ?」
キンパツとボウズの二人はどうやら上級生のようだ。魔王軍の中にも魔力の強さによる階級の違いはあった。だが、この男の言う学年の違いに何の意味があるのかはわからない。
「先輩にナメた口きいてっとボコすぞ?」
キンパツの方が怒髪天を突く勢いで叫んだ。その声に周囲の生徒たちも何事かと注目し始める。
彼ら二人が口説いていた女は、固まったまま俺たちのやり取りを見ている。
「お、おい、龍二。みんな見てるし。ヒナちゃんも怖がってるから」
彼らの言葉に、彼女は緊張と不安からか閉口している。
「はは、ヒナちゃん。怖がらないでね。俺らこわ〜い先輩じゃないから」
「ほら一年。さっさと行け。ったく邪魔しやがって」
キンパツとボウズは、さも自分たちが寛大だと言わんばかりの態度でしぶしぶ俺に道を譲る。
「うむ」
俺は一言つぶやくと、彼らの前を悠然と横切った。
階段を降りていく俺を「ちっ」っと舌打ちしながら見送る二人組。
その時、俺の背後で動きがあった。
「私急いでるので、もう行きます!」
二人にからまれていたヒナと呼ばれる女が声を発して階段の方へと歩き出したようだ。
「ちょっとまってよ〜! まだ話終わってないって〜!」
男のどちらかが彼女を引き止めたのだろう。そんなやり取りが聞こえてくる。声色は穏やかに見せてはいるが、半ば無理やり引き止めている様子が雰囲気から伝わってくる。
その時、周囲のどよめきと共に、女の小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
それを聞いて俺が振り返ると、ちょうど彼女が階段の上でバランスを崩すところだった。
空中に投げ出された彼女は、黒髪を振り乱しながら宙を舞っている。
時が止まったような刹那の瞬間、彼女の瞳は確かに俺を見つめていた。
──その直後、無防備な体勢で落下してきた彼女を、俺は両手でしっかりと受け止める。
ガシッ!
「おっと、危なかったな。大丈夫か?」
彼女は長い黒髪が乱れ覆ってしまっていた視界を、手で払いのける。そして、そのふっくらとした赤い唇がこう告げた。
「あ、ありがとう……須王、くん……」
その瞬間、階段の上下でその光景を目撃していた生徒たちから歓声が巻き起こる。
「スッゲーあいつ、受け止めたぞ」
「ウッソだろ! や〜る〜!」
「ヤダ、お姫様抱っこじゃん!」
上を見上げると先ほどのキンパツとボウズと目が合った。二人ともバツが悪いのかおろおろしながら走り去っていく。
俺は、再び腕の中の彼女に目を落とした。その視線の10cm先に可憐な美少女の顔があった。視線が自然と絡み合う。彼女は先ほどと比べて、
「あ、あの、須王くん」
「なんだ」
「降ろしてもらってもいい?」
「ん、ああ」
俺はゆっくりと彼女の体を階段の踊り場に下ろした。
「私、重くなかった? 大丈夫だった?」
「別に、問題はない。しかし、とんだ災難だったな。さっきの奴らに何かされたのか? もうどこかへ行ってしまったが」
俺は、さっきまで彼らがいた階段の上を見上げながら、彼女にそう問いかける。
「んーん、なんでもない。もういいの、須王くんが助けてくれたから」
何か目のやり場に困っているのか、彼女はキョロキョロと瞳を動かしている。
「あ、あのさ。須王くんってけっこう力持ちなんだね。あ、別にガリガリに見えてたってわけじゃなくて、意外とたくましいというか」
俺は返答に困ってしまう。何も特別なことはしていない。だが人間の身体能力にとっては意外なのかもしれない。
「はぁ……えっと……あ〜、名前……」
「え、私?
「かみしろひな、か。うむ。無事でよかった。それじゃあ」
俺はそう言って彼女に背を向けて帰ろうとした。すると、
「え!? ちょっと──」
と、彼女は慌てた声を出す。
「ん、まだなにか?」
俺が振り返ってそう答えると、彼女は明らかに戸惑っていた。
「あ、ごめん。急いでたんだよね?」
「ああ。それじゃ」
「あ、ねえ、よかったら──」
彼女は俺の背中に向かってまた何か言いかけたが、俺は振り返らなかった。
神代ヒナ。せっかく名前を覚えたクラスメイトだったがもう会うことも無いだろう。
(はぁ、余計なことをしてしまったな。俺は魔王だ。人間が通う学校になど行ってられるか。さっさと体を元に戻す方法を見つけて魔界に戻らなければ)
◇
「はぁ〜、連絡先聞きそびれちゃったなぁ」
私こと、
「まさかお姫様抱っこされちゃうなんて……ああああ〜、思い返すとすっごくハズかしいぃ……」
サッカー部の先輩にしつこく迫られていた時、声をかけてくれたのは同じクラスの男子、須王ハルトくんだった。別に私を助けようと思ったわけじゃないのかもしれない。けれど、周囲の人が遠巻きに眺めているだけの中、堂々と先輩たちに声を上げてくれたことは嬉しかった。その姿はとっても──。
自分の口元がずっとニヤけているのに気づいて慌てて唇をかみしめる。
「まさか人一人を軽く受け止めるなんて……ほんとすごいなぁ、須王くんって」
階段から落ちた瞬間、もうダメだと思った。けれど、下にいた須王くんが私の身体をしっかりと受け止めてくれた。
彼の腕の感触がまだ背中と太ももに残っている気がした。私の体のどこかがほんのりと熱くなる。
「須王くん……名前、覚えてくれたかなぁ……」
正直に言うと、名前を覚えられてなかったことはショックだった。自分で言うのもなんだが男子からの視線は普段からしょっちゅう感じている。同じクラスはもちろんのこと、さっきだって喋ったことない他学年の先輩も私のことを知っていたくらいだ。
「あ〜、私って自意識過剰だったのかなぁ……。須王くんのあの目、まるで私のことなんて初めて見たみたいな感じだったし?……でもとっても優しい目だったなぁ」
入学してからまだそんなに経ってないし、名前を覚えられてないくらい気にすることはないのかもしれない。
「まあ、私は覚えてたけど……」
須王くんは、入学当初からしょっちゅうクラスの男子にからかわれていた。だから嫌でも名前が耳に入ってきた。そんな光景を見るのは本当に嫌だった。でも今日の彼はいつもと少し違って見えたのだ。
結局、家に帰ってからも須王くんのことが頭から離れなかった。
「明日、改めてお礼を言って! その時にさりげな〜くスマホの話題をふって! さりげな〜くラインを聞いて!」
そんなことを考えながら、ふと我に返る。
「イヤイヤイヤ! 落ち着け私! 今日初めて喋ったのに、いきなり連絡先聞くなんてキモって思われたらどうすんの! ダメダメダメ! あっぶな〜。地雷踏むとこだった」
自分にそう強く言い聞かせた私だが、とめどなく溢れ出る彼への思いを止めることはできないでいた。
◇
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