第2話 魔王、学校へ行く


 1年C組。

 どうやらここが俺の教室らしい。ここに来るまで何人もの生徒に場所を尋ねてようやく辿りついた。


 教室の扉を開くと、数人のクラスメイトたちの視線が全身に突き刺さる。その目つきは仲間を見るような優しいものではない。俺はかまわずに教室に踏み込んでいく。


「誰だっけアイツ」

「さあ、俺もわかんね」

「なんかキョドってね?」


 教室内のところどころで俺の方を見ながら囁いている声が聞こえる。


(こいつら、まさか俺が異形の者だということに感づき、警戒しているのか?)


 だが、そんなわけがないであろうことは明白だった。なぜなら今の俺の見てくれはただの高校生、須王ハルトだからだ。


 俺こと、魔王ヴォルディウスは気がついたら人間の少年と体が入れ替わっていた。魔界の王たる面影はいまやどこにもない。少年の妹であるフウカに言われるがまま、学校へとおもむいたわけだ。


 とりあえず空いてる席に腰を下ろし、授業とやらが始まるのを待つことにする。


(はぁ、やれやれ。チンケな椅子だし、狭苦せまくるしい部屋だな)


 周囲の人間がどういうわけかやたらこちらを見てくる。



 ガラガラ──。



 その時、一人の女が教室に入ってきたことでクラスメイトの視線はそちらに集まった。


「おい見ろ、神代かみしろさんだ!」

「今日もカワイイぜ。マジ天使だよな。神代ヒナ!」

「まさに神の代わりに地上に舞い降りた天使だよな、お近づきになりてぇ!」


 人間の子供たちが教室の中で群れているのを見て、俺はなんだか微笑ましくなった。



「あのぉ……そこ私の席なんだけど」



 そう言われて振り向くと、たった今教室に入ってきた女がそこに立っていた。


 俺を見下ろすその瞳は黒曜石の如く澄んでいた。胸元まである美しい黒髪をなびかせた上品なたたずまいの彼女は、魔族の俺が見ても容姿端麗であることがわかる。


「ん、ああ、すまん。そうだったのか。──ところで俺の席はどこだ?」


 俺は立ち上がり、まっすぐに彼女の双眸そうぼうを見つめ返し尋ねた。


「えっと、あそこ──」

「──おいおいおい! 神代かみしろさんに何聞いてんだ!?」


 その時、一人の男が割り込んできてまくし立てる。 


「学園の大天使と呼ばれる神代さんが、おめぇみたいな陰キャの席なんて知ってるわけねーだろ? 自分の立場わかってる?」


 その茶髪の男はヘラヘラとした笑いを浮かべて、神代と呼ばれた女と俺を交互に見ている。



「なんだ貴様は? 誰に向かって口をきいてる?」



 どよっ……



 俺が言葉を発すると、周りのクラスメイトが少しざわついたのがわかった。


「お、おま! そりゃこっちのセリフだぁ!」


「なになに?」

「ケンカか?」

「サッカー部の仙崎と陰キャの須王だ!」


 茶髪の男がいきなり大声を上げたせいで、クラスメイトたちの視線が俺たちに集中した。


「おいおい、やけに態度がでかいんじゃねえか? 陰キャくんよぉ?」


 チャパツは眉間に皺を寄せ、俺の方へと歩み寄る。この人間たちの関係性はわからないが、態度から察するに明らかに須王ハルトおれを下に見ているようだ。


 チャパツがまだ何か言っていたが相手は人間の子供だ。ここは寛大な対応をするべきだろう。


「まあいい、ガキだしな。大目に見てやる。それで俺の席はいったいどこなんだ」


 俺の言葉を聞いたチャパツは口をパクパクさせて目を見開いていた。



 ──しーん。



 なぜか唖然とする周囲の者たち。その中の一人が無言で指さして俺の席を教えてくれた。


「おぉ、ここか俺の席は」


 俺が席に座ると、止まっていた時が動き出す。


「お、おい、あれって須王だよな?」

「須王ってあんなヤツだったのか?」

「ヤバいぞ。仙崎のやつブチ切れてね?」


 やはり狭い教室に子供たちをこれだけ詰め込むとなかなかに騒々しい。こんなところで一日過ごさなければいけないと思うとウンザリだ。


 先ほどのチャパツがこちらに向かって歩いてくる。


「おい、おめえ! まだ話は終わってねえぞ!」



 ──ガラガラガラ!



 その時、教室の扉が開いて先生が入ってきた。


「こらー! 何してる!? 席につけぇ!」


「ちっ! あとで覚えてろよ!?」


 チャパツは、額に青スジを立てて声を震わせながら席に戻っていった。


「やれやれ、まったく……。子供は元気がいいな」


 その時、後ろの席から何やら女子生徒の声が聞こえてきた。


「ねえ、ヒナ? あれってあの陰キャ、だよね?」

「うん、た、たぶん」

「……なんか雰囲気変わってね?……」


 振り返ると、先ほどの神代という名前の女が隣の女子生徒といっしょにこちらを見ていた。




「ようやく昼食か。座学というものは久しぶりだが、座りっぱなしはなかなかキツいな」


 昼休みになり、教室はガヤガヤと開放感に包まれていた。


 俺が席を立とうとすると、さっきのチャパツが声をかけてくる。


「よ〜お、須王だっけ? さっきはよくもナメた態度とってくれたよな? あ?」


 やはり、というべきか。授業中ずっとチラチラと視線を感じていたので予想はしていたが、この男はなぜか俺を敵対視しているようだ。


 教室中のクラスメイトが息を呑み、俺たちの様子をうかがっているのがわかる。彼は座っている俺のことを見下ろしながらこう告げた。


「とりあえず、焼きそばパンとコーヒー牛乳買ってこい。ダッシュでな!」



「はっ? 何を言っている? 俺は貴様の使い魔ではない」



 どよっ……。



 周囲のクラスメイトの視線がいっきに集まる。


「あああぁん? いつまでもイキってんじゃねえって! 陰キャのくせによぉ!」


 男は右手を大きくふりかぶり、ギュッと握った拳を俺の頭に振り下ろしてくる。


 ガシッ!


 俺は躊躇なくその手を掴んだ。


「はっ? っな! なにぃ!」


 男が上ずった声を上げる。俺は彼の右腕を手加減しつつ握りしめていく。


 グググッ!


「いっ! いっ、ちょ、離せって! いててっ、離して、離して!」


 彼は冷や汗をかいてたじろいでいる。力はさほど入れていない。俺は、乳飲み子同然の人間に対して全力を出すバカな真似はしない。


「す、すげっ」

「仙崎の攻撃を止めたっ!」

「須王ってあんなヤツだっけ?」


 周囲がざわめく中、俺は立っている彼を見上げながらこう命じた。


「俺は腹が減ってるんだ。邪魔をするな。消えろ」


 そう言って握りしめていた腕をパッと離すと、とっさに彼は後ずさる。


「いっつぅ……そ、そうか。はは、じゃあ俺も昼飯食いに行こうかな〜! おーい、お、お前らぁ、行こうぜー!」


 そう言ってチャパツは仲間に声をかけると、早足で教室を飛び出していった。


 俺も教室を出ようとすると、なにやら周囲の奇異の視線を感じた。


(少々目立ちすぎたか? まあ人間たちにどう思われようと関係ない)


 先ほどの容姿端麗の女が隣の女子生徒と共に俺の方を睨んでいる姿が見えた。俺は彼女たちの目の前を通り過ぎると、教室を出て食堂へと向かった。




「はああぁぁ……人間の食事は穀物と野菜ばかりだな。魔獣の肉の味が懐かしい」


 俺は食堂で一人、食事をとっていた。周囲の席は空席だ。クラスメイトである生徒たちがこちらの様子をチラチラとうかがっているのがわかる。


「しかし、このハルトという少年、みんなから避けられてるのか?」


 この半日で話しかけてきたのはさっきの茶髪の男一人のみだ。他の者たちは目線を向けるだけで俺と話そうとはしてこない。


「まあ一人のほうが気楽でいいがな。魔王というのもある意味孤高の存在だったわけだからな」


 様々な戦い、仲間や配下の裏切りも多々あった。いろんな苦難を乗り越え何千年もかけて魔王の位置に君臨したのだ。それが今は人間の世界で日和ってしまっている自分に嫌気がさした。


「やれやれ、俺はいったい何をやってるんだ。明日から学校なんて行くのをやめて魔界に戻るための方法を探そう」


 一人ぼっちで昼食をとりながら、俺はそう固く誓うのだった。




 放課後。

 ようやく全ての授業が終わったらしく、背伸びをして立ち上がる。


「は〜、疲れた。本当に疲れた。高校生というものは大変だな」


 帰り支度をしていると、またもやあのチャパツが声をかけてくる。


「よぉ、須王。昼間のお礼をしたいんだがちょっと付き合ってくれるか?」


「──悪いが、俺は帰る。元気でな。もう会うこともないだろう」


 俺はそう言ってさっさと教室を立ち去った。


 人間ごっこは今日で終わりだ。俺には魔界に戻り人間界を支配するという使命があるのだから。




「くそおぉ! まるでダンジョンのようだ。早く帰りたいのに……お、あの階段から下へ行くのか」


 意気込んで教室を出た俺だったが、学校の出口がわからずに建物内を右往左往していた。


 階段のところまでやって来ると、何やら男女が固まっているのが見える。金髪で背の高い男と、ボウズで目つきの悪い男が、一人の女を挟んで会話をしていた。


「ねえねえ! 神代かみしろさん! サッカー部のマネージャー興味ない?」


「あの……私、ちょっと……」


「ねーねーいいじゃん? ちょっとだけ! ちょっとだけだから! たまに顔出すだけでもいいからさ! やっぱりヒナちゃんみたいなカワイイ子がいると盛り上がるしさー! あ、ヒナちゃんって呼んでいい?」


「すいません……私急いでて……」


 話の内容はわからないが、どうやらこの男二人が女を口説いているようだ。ヒナちゃんと呼ばれた彼女は、俺が席を間違えた時に声をかけてきたあの神代だった。


 周囲の生徒は、下を向いて彼らのそばを通り過ぎている。


 その時、神代と目があった。


 彼女は怯えきった表情でこちらに目を向けている。そんな彼女の視線が訴える意味を察せないほど俺も人間たちに無頓着ではない。


 だが、人間界のいざこざは俺には関係のないことだ。さっさと通り過ぎようと思ったのだが、階段が彼らにふさがれているため通れないのである。


 そこで俺は一言、



「おい、貴様ら。邪魔だからどけ。俺が通れないだろう」



 目の前でそう告げると、二人の男子生徒は狂ったゴブリンのごとき形相でこちらを睨みつけてきた。

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