第12話 橘田胡桃にとっての『真実』

「……はぁ?」


 我が耳を疑った。

 たぶん歓太郎さんもだろう。呆れたような声を上げて、小さくため息をついている。


「ですから、葉月とかいう若い女性です。その子が、慶次郎君に付きまとってて。慶次郎君も迷惑がってるみたいで」


 え、あたし? あたしが悪い感じ?

 しゃべりたかったけど、我慢。頭の中で「葉月、しー、だよ!」とか「堪えろ葉月!」「いまは耐える時ですよ!」という声が聞こえてくるからだ。思いっきり否定したい気持ちを抑え、ぐぎぎ、と御札を咥えた状態で歯を食い縛っているあたしである。


「それで?」

「口で言っても良かったんですけど、ほら、いまの若い子って、何するかわからないじゃないですか。いつだったかもほら、駅の構内で急に刃物を振り回すだの、ハンマーで殴りかかるだのって事件もありましたし。あれも同じくらいの年代の若い方でしたから。だから下手なこと言って、逆上されたらと思ったら怖くて。その……こう言っちゃなんですけど、派手な方だったものですから」


 はぁぁぁぁぁぁ?! 派手だぁ? 地味だわ! 地味に生きてますわ! お前あたしのどこを見て派手って判断したんだよ!? これか?! この三尺玉か?! 三尺もねぇわ!


「ですから、慶次郎君から自然と離れるようにって。ちょっと脅かすつもりだったんです。悪いことがちょっと起こって、そういうのが度々起これば、気味が悪くなって、彼から離れていくんじゃないかって思って」

「……成る程。ちょっと脅かすつもりで、ねぇ」

「そうです! それなのに、全然効果がないっていうか。全然懲りてないみたいで。これだから最近の若い人ってほんと図々しくて――」

「もう結構。わかりました。――あゆ


 奥さんの熱弁を遮って、歓太郎さんは扉の方に声をかけた。


「お呼びでしょうか」


 ぴったりと閉じられていた扉が開き、音もなく、鮎さんが入室する。


「橘田さんがお帰りだ。玄関まで見送って差し上げて」

「え? あの、お祓いは」

「しません。残念ですけど、奥さんの話は、肝心な部分が語られてない。それじゃウチの弟は動かない」

「弟? 弟って」

「慶次郎ですよ。ご存知でしょう?」

「え、ええ。それは存じてますけど。でも、慶次郎君がなぜ」

「おや、ご存知ではなかったですか? 慶次郎がここの陰陽師だって」

「こ、ここと下のカフェの手伝いをしている引きこもり気味の方じゃないんですか?」

「まぁ、それもあながち間違いではないですけど。でも、彼が陰陽師です。自分の大事な人に、近所のよく知らねぇおばさんからつまらねぇ私情で呪いをかけられて、大層ご立腹の陰陽師ですわ」

「そ、そんな」

「ちょっと脅かす? 悪いことがちょっと起こる? 違うだろ。殺意たんまり込めやがって。それくらいのこと、わかんだよ。特にアイツにはな。俺はチャンスをくれてやったぞ。本当のことを話せってな。アンタにしてみればそれが真実なのかもしれねぇけどさ、一度でも『死ね』って言わなかったと、念じなかったと、ここの神様の前で誓えるか? なぁ」

「それは……。その」

「慶次郎が迷惑がってるって、確認したのかよ」

「ええと、それは、して、ません」

「慶次郎がな、その彼女のことをどれだけ好きで、だけどそれを伝えられなくて、五年間毎日毎日告白のシミュレーションしてんの、知らねぇだろ」

「ご、五年間毎日……? それは……ちょっと……」


 引いてる。奥さん引いてる。

 ごめん、あたしも引いてる。

 おい、そのシミュレーション、全く活かせてねぇぞ。練習は良いから直接本人にぶつけてこいや。


「アンタの方でどう見えたかは知らねぇがな。人の恋路を邪魔してやんなよ。しかも、呪いなんて姑息な方法でだ。そんで、首尾よく彼女を殺せたとして、そんでアンタにお鉢が回ってくると思うか? 旦那さんのこと、どう思ってんだアンタ。アンタのために会社早退して様子見に来て、病院何軒も回ってくれてよぉ。いまだって当事者のアンタより必死に、俺みてぇな若造に頭下げてだ。なぁ、何とも思わねぇのかよ」


 そこまで言って、やっと奥さんは、旦那さんを見た。ちらりと、ではなく、真正面から、しっかりと。


「ご、ごめんなさい」

「謝るのは俺にじゃないだろ。その娘さんにだ。本当に馬鹿だ、お前は……!」


 震える声でそう言って、昌朋さんは、ぐしぐしと袖で涙を擦った。情けない、情けないと繰り返して泣くのは昌朋さんだけで、奥さんの方はというと、いまの「ごめんなさい」だけですべてが終わったような顔をしている。


「土御門さん、家内が大変申し訳ないことを致しました。その娘さん――葉月さんとおっしゃいましたか。叶うなら、こちらから出向いてきちんと謝罪をさせていただきたいのですが」

「いや、たぶん、そんなきっちりしたやつは本人も嫌がると思いますよ」


 うん。それは確かにそう。よくわかってんじゃん、歓太郎さん。


「そんな! だって、家内は呪いで殺そうとして」

「ああまぁ、そうなんですけど。彼女の性格上、もうたぶんそこまで怒ってないと思うんですよね」


 いや、怒ってるよ? ただ、この旦那さんの姿を見たら、ちょっとまぁ……可哀相になって来ちゃってはいるけど。いや、怒ってるけどね?! 奥さんの方には怒ってますよ!


「とりあえずまぁ、俺は言いたいこと全部言ったんで、最終判断はやっぱり陰陽師殿にお任せしますか。というわけで――」


 慶次郎、もう良いぞ、と真正面を向いたままそう言う。


 すると。


 きちんとお着替え済みの慶次郎さんが、何もないところから、ふ、と現れた。


 いたの!? もしかしてずっとそこにいた?!

 てことは何、あたしのことが好きとか、五年間毎日告白シミュレーションしてたこととかバラされたの、どんな気持ちで聞いてたの?! ああもう、ほら、顔真っ赤だもん。歓太郎、余計なこと言わないで! って思ってる顔だもんよ、あれは! 最初からいたってわかってたんなら、そこは黙っててやんなよ、兄貴! ここ恰好つけるところなんだろうけど、大丈夫?! いまからちゃんと恰好つけられる?!


「ひえっ?! え? い、いまどこから……?!」


 ですよね。

 そう思いますよね。

 ただのコミュ障引きこもり気味の二十八歳児じゃないよ、ちゃんとした陰陽師ですよ、って部分に説得力を与えるための演出なんだろうけど、別に扉から普通に入って来ても良くない? これくらいしないと信じてもらえないの? 普段が普段だから? 


 ま、普段が普段だからか!

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