第11話 橘田夫妻とご対面

「こんな時間に大変申し訳ありません」


 応接室のテーブルに座っているのは、橘田きちださんのご主人である昌朋まさともさんと、それからその奥さんである胡桃くるみさんである。随分可愛らしい名前だなぁ、なんてあたしはぼんやりと考えていた。


 その向かいに座っているのは、歓太郎さんだ。当然だ。何せウチの陰陽師様はこういう『接客』がすこぶる苦手なのだ。この手の相談やら何やらはすべて歓太郎さんの仕事なのである。歓太郎さんだけでどうにかなる場合もあるし。


 それで、あたしはというと、ちゃっかりその隣に座っている。大丈夫、慶次郎さん(軽く瀕死)になんやかんやしてもらって、橘田夫妻には見えないようにしてもらった。「しゃべったらアウト」の御札を口に咥えている状態である。声を発してこれが口から落ちさえしなければ大丈夫。なぜ姿を隠しているかというと、だって、この人があたしに呪いをかけたわけでしょ? 例え姿を見せたとしても、さすがにもう呪いをかけたりなんてことはしてこないと思うけど、物理攻撃を仕掛けてくる危険性はあるわけで。


 というわけで姿を隠し、念には念を、ということで護衛として、もふもふ達三人――いやこの場合は三匹か――をやっぱり姿が見えないようにして膝の上に乗せている。のんきな顔をしてもふもふと笑っているけれども、もしもの時にはやってやんぞ、みたいな気合がビンビンに伝わってきて逆に怖い。


「あの、家内が最近おかしくて、その」


 ちら、と隣を見る。奥さんは昌朋さんの視線に気付いて、眉をしかめ、顔を背けた。それに小さくため息をついて、彼は話し始めた。


「情けないことに、気付いたのは二日ほど前なんです」


 妻の胡桃さんがある朝、急に嘔吐えずいたのだという。彼女の話では、確かに『何か』を吐き出したようなのだが、それはどこにもなかった。液体なら残るはずだし、固形物だとしても急に消えるわけがない。もしかしたら、吐いたと思ったのは本人の気のせいかもしれない。ただその後も頻繁に同じことが起こる。本人は吐いたと思って床を這いつくばり、口から出たを懸命に探しているが、やはりこちらには何も見えない。


 それくらいならまだ、ただの体調不良で片づけられた。昌朋さんも数年前に胃を悪くした時に似たような症状があったからだ。床に這いつくばって吐瀉物を探すかは別として。


 けれど、その翌朝である。


 妻が起きて来なかった。

 いつもなら六時には起きて朝食の準備をしているのに、それもない。寝室が別なので、様子を見に行くと、具合が悪いと返って来る。とりあえず仕事に行ったものの、やはり気になって早退させてもらい、様子を見に行くと――、


「リビングで、妙に大きくなっている腹を抱えて、何度も嘔吐えずいている家内がいたんです」

「腹が妙に大きく?」


 と、歓太郎さんが言うと、昌朋さんはこくり、と頷いた。奥さんは、それも見せた方が良いと思ったのだろう、服の裾に手をかけたが、「いえ、結構です」と歓太郎さんが止める。


「ここは医療機関ではありませんので、そういうのは良いです。確認させていただきますけど、奥様は妊娠中というわけではないんですよね?」

「はい、それはありません。その、私の方が――」

「ああ、そういうのも結構です。知りたいのは、そういうことではありませんから。あくまでも、そのお腹が妊娠によるものではない、という確認です」

「違います。それは、絶対に」

「そうですか」


 それで、と昌朋さんは続きを語り始めた。


「それで、どう考えてもおかしいと思って、嫌がる家内を無理やり引っ張って病院に連れて行きました。けれども、何の異常もないんです。正直、ほんの少しだけ家内を疑う気持ちがあって、その、何と言いますか、浮気、というのも考えたんですけど、やっぱり妊娠はしてなかったんです。膨らんだ腹の中には何も入っていなかった。何も、というのは語弊がありますが、軽く水が――腹水ふくすいって言うんでしたっけ、そういうのはあると言われましたが、そこまで深刻な量ではないと言われました」

「成る程」

「ですけど、どう見たって尋常じゃないですから。その医者はヤブだと決めつけて、二軒三軒回りました。だけど、どこに行っても同じ診断です。最後の個人病院では、精神科も勧められました。まるで家内の頭がおかしいみたいに……! でも、少し頭を冷やして、もしかしたら、そうかもしれない、って思ってですね。それで、一応、行ってみようか、って言ったんです。そしたら」


 呪いをかけられた。

 あの女に呪いをかけられたんだ、と震えながら告げて来たのだそうだ。


 待って。

 かけられたのあたしなんですけど?!


 そう割り込もうとしたけど、膝の上のもふもふ達が、「ちょい待ち」とでも言いたげにあたしを見上げてふるふると首を振った。黙ってろ、ってことらしい。まぁ確かにあたしが口を出したらややこしいことになりそうだしな。わかる。


「成る程、わかりました」

「あの、ここでお祓いとか、してくださいますよね?! ここ、神社ですもんね?! あの、お、お金ならいくらかかっても――」


 身を乗り出して必死にそう訴える昌朋さんに、「落ち着いてください」と巫女スマイルである。よく考えたら歓太郎さん、神主じゃなくて巫女の恰好だな。この人、この恰好してるとただの美人だけど、しゃべるとがっつり男なんだよな。その辺このご夫婦はどう思ってるんだろう。ご近所さんみたいだし、知ってるのかな。


「もし本当にお祓いをお望みであれば、もちろんお受けいたします、が」


 がっつりと開いた膝の上に肘を乗せ、組んだ手の上に顎を乗せる。歓太郎さんは、そのまま、上目遣いで二人を――いや、奥さんを見た。


「それには、真実を語っていただきませんとねぇ」


 滅多なことでは聞かない、ドスの効いた声だ。少なくとも、巫女さんの時に出して良いやつじゃない。


「ウチのね、陰陽師殿が大層ご立腹でして」

「お――、おん、陰陽師様、が? な、なぜ」

「ウチの陰陽師殿はね、それはそれは慈悲深いお方でしてね、滅多なことでは腹を立てたりしないんですよ。それがね。まぁー、お怒りで。この件に関しては何もしない、って言ってるんです。どういう意味か、わかりますか?」

「何もしない……? あの、おっしゃる意味がよく。その、陰陽師様がお怒りになられていることと、ウチの家内に何の関係が?」


 なぁ、と奥さんを見る。同意を得られると思っていたのだろうけど、彼女の表情に気付いて、「お前……、何を隠してるんだ」と震える声で尋ねた。


「一応、陰陽師殿の見立てでは、それで死ぬようなことはないはずだとのことです。さすがに死ぬとか、そこまではね。まぁ……どうでしょう、一ヶ月くらい、吐き続けたら全部出るんじゃないですか?」

「全部、出る……?」


 そう聞き返したのは、ずっとだんまりを決め込んでいた奥さんだ。


「はい。そのお腹の中にぎゅうぎゅうに詰まっているやつですよ。レントゲンだの何だのには写らないやつです。何度か吐いてるんですよね? ご主人には見えてないみたいですけど」

「ま、待ってください! そこまでわかってるなら、家内をお祓いしてくれても――」

「ご主人」


 と、昌朋さんの顔の前に手をかざして黙らせる。


「それが本当に『誰かから呪い』なのであれば、祓います。ご主人が奥様から聞いた話が真実なのであれば。ですが、もしそれが偽りだったら? 盲腸と胃潰瘍だったら、処置も違いますよね? そういうことです。まぁ、盲腸だの胃潰瘍だのは医者が判断するやつですし、まぁこっちが暴いても良いんですけど、心証も違ってくると思いません?」


 ゆっくりとそう言うと、昌朋さんは、「それは、まぁ……」と呟いた。


 それを聞いて、歓太郎さんも、だろ、と返す。


「それで? どうすんの、奥さん。本当のこと、話すの? 話さないの? ぶっちゃけ俺もう業務時間外だからさ、とっととしてくんねぇ?」


 ああもう完全に素の歓太郎さんだ。

 見た目はきれいなお姉さんなのに、言動が輩である。


 それに恐れをなしたか、奥さんは、がくりと項垂れて、申し訳ありませんでした、と深く頭を下げた。

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