第6話 どこまでが夢?/ヘタレでも切れる

 がば、と起き上がると、枕元に座っていた慶次郎さんがビクッと身体を震わせた。まだ狩衣姿で、あのやたらと危ない長帽子も被ったままである。


「ああ良かった。はっちゃん、目を覚ましましたか。急に起き上がっちゃ駄目です。もう少し安静にしていないと」

「……お、おう」


 待って。

 待って。


 ちょっと待って。

 この落ち着き払った感じ。

 もう絶対いまの夢だよね?

 プロポーズ云々の部分、丸ごと夢じゃない?

 だって、ガチだったら、この人絶対こんなに落ち着いてないもん!


「どちくしょう!」

「――えぇっ!? な、何ですか?! 僕何かしましたか?!」

「してないわ! してねぇんだわ! 慶次郎さんはむしろなーんにもしてねぇんだわ! ちくしょう!」

「はっちゃん、どうしたんですか!? 悪い夢でも見たんですか!?」

「うわぁん! 夢だったよぉ! 何で夢なのよぉ! 馬鹿ぁ! 慶次郎さんのヘタレぇ! 馬鹿ぁ!」

「えぇぇ?! ぼ、僕は確かにヘタレですけどぉ……。僕、夢の中ではっちゃんに何かしてしまったんでしょうか」


 国宝級の和装イケメンが、へにょ、と眉を下げて、いまにも泣きそうである。ちくしょう、泣きたいのはこっちだっつぅの!


「ごめんなさい。なんかほんとごめんなさい。あの、夢の僕が何かしたんですよね? あの、現実の僕がどんな償いでもしますから。何をしたのか教えてくださいませんか?」


 おろおろしながらあたしの手を取って、きゅう、と握る。


「……ぎゅって、してくれた」

「ぎゅ? こ、こうですか?」


 と、握ったままの手に少しだけ力を込める。


「違う。手じゃなくて。抱き締めてくれた。死ぬところだったって言って、それで」


 って、恥っず。あたし何言ってんだろ。そりゃ、こう言えば慶次郎さんはしてくれるかもだけどさ。


 案の定、失礼します、なんて色気の欠片もない断りを入れてから、慶次郎さんは控えめに抱き締めてくれた。さっきあんな夢を見たからだろう、心臓がどきどきとうるさい。


「……それで、次は?」


 耳の後ろの辺りで、声がする。緊張しているのか、少しだけ震えている。


「ほ、本家に連れてくって、言った。えっと、目の届かないところにいたら、心配だから、とか何とか」


 確かこんな感じだったと思う、うん。いや、あたしにもしものことがあったら、だったっけ。さすがにそれをあたしの口から言うのは恥ずかしすぎるでしょ。

 

「……は?」

「はっちゃんにもしものことがあったら、と、僕は」


 待って。

 いま気付いた。

 このどきどき、あたしだけじゃない。

 慶次郎さんもだ。

 この狩衣、結構生地が分厚いから、かなり微かな感じではあるけど、慶次郎さんの心臓もどえらいことになってる!


「慶次郎さん? 言った、って何。ていうか、何で知ってんの? もしかして、夢じゃないの?」

「はっちゃんが言ってるのが倒れる直前のことなのであれば、その、夢では、ないです」


 僕はてっきりいまこの短時間で何か悪い夢を見たのかと、と、あたしを強く抱き締めたまま言う。


「あの、嫌、でしたか」

「へ」

「はっちゃん、返事を言う前に倒れてしまったので、その、どっちかわからなくて」

「あ、え、うん。そうみたい、だわね」

「僕、歓太郎の言う通りで、はっちゃんのことたくさん待たせてしまって。やっと言えても全然恰好つかなくて。あ、あの」

「……何」

「もし、はっちゃんにその気がなくても、はっちゃんのこと、大好きでも良いですか」

「え、あの」

「好きの気持ちは、持っていても良いですか。はっちゃんが困らないようにしますから。迷惑かけませんから」

「ちょっと待って慶次郎さん。ストップストップ! 何でそんな悪い方に考えるの!」

「ぼ、僕がヘタレだから」

「うん! それはそう! 間違ってない! それはマジでそうなんだけど」

「ううぅ……ですよねぇぇ……」

「やっべごめん! 正直に言い過ぎた!」


 背中を強めに擦り、ごめんごめんと繰り返す。えーっと、病人なのはどっちなんだっけ? いや、呪いは別に病気でもないか。


「いや、あんね、慶次郎さん。確かにだいぶ待たされたんだけどさ。てことはだよ、こんだけ待ってるのがもう答えってわかんない?」

「へ?」

「好きじゃなかったら、待たないよ」

「ほえ」

「あたしだって好きだよ、慶次郎さんのこと。だからさ」


 ちゃんとお嫁さんにしてよ。

 

 あたしがそう言うと、慶次郎さんは何やら喉の奥から絞り出すような声を出した。


 それで、ぎゅっと強く抱いてくれて、それで――



***


「慶次郎ぉぉぉぉ! 葉月が目を覚まさないよぉぉぉぉ!」


 客間の布団で、死んだように眠る葉月の周りを取り囲む式神達のうち、金色毛玉のおからパウダーが、くりくりの目玉から大粒の涙をぼたぼと落としながら叫ぶ。


「落ち着いて、おからパウダー。君は一番お兄さんだろ?」

「そうだけどぉ。ぼくがもっとちゃんとしてたらここまでには……。葉月の肩の上に、でっかいのが二体も乗っかってたのに。葉月が大丈夫って言うから、ぼく……」

「おパ、お前が悪いんじゃねぇよ」


 そこへ割り込んできたのは焦げ茶毛玉の純ココアである。


「おれだって、葉月のデコにぐっさり五寸釘が刺さってんのが見えたのに、葉月が大丈夫っていうからそのままにしちまってたんだ。どう考えても、おれのせいだ」

「お待ちなさい二人共。聞いてください慶次郎。おパと純コのせいではありません」


 ずいずいと、もふもふの身体を滑り込ませてきたのは、真っ白毛玉の小麦粉だ。


「私です。私のせいです。葉月が日に日にやせ細っていくのに、そういうダイエットをしているのだという言葉を真に受けてしまいました。式神失格です」

「麦も純コも悪くない! ぼくだもん!」

「いーや、違う! 全部おれが悪い!」

「違います! 絶対に私です!」 


 もふもふと飛び跳ねながら、自分が一番悪いのだとぎゃいぎやいと騒ぐ式神達を両手で掬い上げ、慶次郎はふるふると首を振った。


「君達が考えていることはわかってる。だけど駄目だよ。僕は、君達の命を使うつもりはないからね」

「そんなぁ」

「何でだよぉ」

「葉月……」


 声を揃えてわんわんと泣き始めた式神達を、ぎゅっと抱き、よしよしと撫でてやる。


「どうするんだ、慶次郎」


 背後から声がした。彼の兄、歓太郎である。


「表面に憑いていた分は祓ったけど、根深いのがある。それをどうにかしないと」


 そう言って式神を下ろし、「失礼します」と断ってから、葉月の襟元にちらりと見えている紐を引っ張る。約束通り、ずっと肌身離さず持ってくれていたらしい、最初に渡したお守りである。新しいものを、と何度言っても「これは慶次郎さんから初めてもらったやつだから」と譲らないのだった。


「御神木が割れてる」

「……ほぉ」


 歓太郎もしゃがみ込み、お守りに触れる。中でぱっきりと真っ二つに割れているのがわかる。ただ歓太郎には、それが外からの刺激によってなのか、はたまた弟が言うように内側から何らかの力によって割られたのかまではわからない。


「素人だ」

「なんでそう思うんだ」

「僕達がここをあけて十日。はっちゃんを呪い殺すつもりなら、時間がかかり過ぎだ」


 弟から淡々と放たれた、『呪い殺す』の言葉に、ぞわり、と背中が寒くなる。


「熟練の術者なら、こうはいかない。仮に、そこまでの強い呪いなら、ウチの神様が黙ってるはずがない」

「確かに。ということは」

「一つ一つは誰でも――何なら子どもでも出来るような簡単なやつばかりだ。だから式神達も油断したし、神様も見逃した。だけど、とにかく量が多い。少しずつ少しずつはっちゃんの身体を蝕んで、じわじわとこの御神木を割ったんだろう。僕達が早めに戻っていたら、それこそ御札数枚で霧消するようなやつだったんだ。はっちゃんの心と身体が健康で本当に良かった。弱ってる時だったら危なかった」

「成る程。じゃあどうするよ」


 陰陽師、と歓太郎が頬を緩める。


 歓太郎はもうわかっている。葉月はただ眠っているだけだと。一刻を争う事態なら、弟がここまで落ち着いていられるはずがない。危険な状態ではあったのだろうが、もう心配はない。葉月はただ、身体を回復させているだけだ。そのうち目を覚ます。


 だから、式神達がどんなに懇願してもその命を使うつもりはないのだと。


「もう誰が呪ってんだか、わかってんだろ?」


 こと大切な者に関しては案外抜け目ない慶次郎である。表面の呪いを祓った際、打ち返したそれがどこへ戻っていくのかを式神に追わせたに決まっている。


「もちろんだ。なぜこんなことをしたのかきっちり問い詰めて、きつくお灸を据えないと」

「ほーぅ。お灸、ねぇ。出来んの、お前に?」


 にやにやと笑みを浮かべる神主の兄に向かって、慶次郎が悲痛な面持ちで頷く。


「僕は、


 はっきりと強く告げられたその言葉に、歓太郎は――、


「慶次郎もマジで切れることあるんだな」


 と驚きの表情を浮かべた。

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