第18話 個性と無個性②

 ジョン・スミスとは、ある街の喫茶店で会うことになっている。

 私達が喫茶店に入ると、ジョン・スミスは既に窓際の一席で私達を待っていた。

 ヒノに案内してもらい、彼の元へ。

 まず、私は謝罪から入った。 


「お待たせしてすみません」

「いいえ、自分もたった今来た所です」


 警戒感を感じさせない、中性的な声だ。


「はじめまして。ジョン・スミスです」

「はじめまして、魔女です」

「ヒノだよ! マーちゃんと仲良しだよ!」


 ヒノの挨拶を受けて、クスリと楽しげに笑うジョン・スミス。

 案外、この自己紹介を受け入れてくれる人は多い。情報は何も伝わらないのに。ヒノの愛嬌が良いから許されるのだろう。私がやったら。絶対に変な感じになる。

 ジョン・スミスは柔和に言う。


「あの魔女さんに会えるなんて、光栄です」

「こちらこそ」


 勿論、これは素直な気持ち。嘘ではない。 

 その一方、彼の印象はイメージとは大きく違った。

 失礼な表現かもしれないが、現れた彼は、極めて平凡な男だった。

 目の見えない私でも、声や口調から、何となく相手の人となりを察する事くらいはできる。

 平凡な声音。無個性な口調。

 何よりも、才ある芸術家特有の雰囲気が、彼からは全く感じられなかった。

 ……本当に彼はジョン・スミスなのか? そんな疑念が湧く。

 だが、そんな質問を、会って間もない相手にはぶつけられない。

 【魔女】という異名のせいで誤解されがちだが、私は常識人かつ人見知りなのだ。


「ここ、素敵な街ですね」


 これまた嘘ではない。いつまでもここにいたい。そう思わせる魔力めいたものを、街全体から感じる。

 ジョン・スミスは嬉しそうに返した。


「そうでしょう? 建物も道もトンネルも、全てジョン・スミスがデザインしました」


 その言い方に若干の引っ掛かりを覚えたが、あえて取り上げなかった。


「相当、ここが気に入っていらっしゃるんですね。生まれ故郷ですか?」

「いいえ。ここに住み始めたのは四年ほど前です。まぁ、この街が出来たのも四年前ですけどね」

 

 四年前に街が出来た。それもまた、微妙に違和感を覚える表現だ。四年前のある日、いきなりこの街が生まれた訳でもあるまいに。


「この街は、ジョン・スミスのために存在しています。この街そのものが、ジョン・スミスと言っても過言ではありません」

「……街そのものが、ジョン・スミス?」


 流石に堪えきれなくなった私は、言外に真意を尋ねた。

 彼は「ここだけの話にしてください」と前置きしてから語り出す。


「ジョン・スミスは、千人の芸術家の集団なんです。この街は、その千人と、彼ら彼女らの家族が暮らす場所なのです」

「……つまり、ジョン・スミスという名前は、千人の芸術家の共同名義ということですか?」

「そうです」


 なるほど。千人の集団であれば、多才で当然だ。

 千人で一人の芸術家を名乗るなんて卑怯だ、などと思ったりはしない。千人で活動するためには、千人を養うための金銭を稼ぐことも求められる。それを達成している時点で、十分な対価を支払っている。

 同時に、別の疑問も解消した。

 千人の芸術家と、その家族と、彼らの生活を支える人員が同じ場所で暮らし始めれば、それだけで街と呼んで差し支えない規模となるだろう。だから、四年前にいきなり街が出来たのだ。


「貴方は、どうしてジョン・スミスの一員になろうと思ったんですか?」

「一人では何も出来なかったからです」


 刺々しい口調で、ジョン・スミスは自分を否定した。彼は淡々と続ける。


「私も、昔は自分の名前を後世に残すような芸術家を目指していました。しかし、私にそれほどの才能は無かった。精巧な絵を描いたり、緻密な設計図を書いたりすることは出来ても、作品で他者を感動させることは出来なかった」


 彼はそれ以上、自身の過去を語らなかった。

 しかし、彼がある種の絶望に至る過程を想像するのは難しくない。

 表現者が足掻き、もがき、苦しみ、挫折し、自身の限界を悟る。あまりにありふれていて、あまりに残酷な光景だ。

 ジョン・スミスが言葉を並べていく。


「だから、私は考えるのを止めました。そして、ジョン・スミスの脳を担う、たった一人の少女の指示に従い、手を動かすことだけに集中するようになったのです」


 声音から、後悔の類は感じない。しかし不思議と、湿っている印象を抱いた。

 彼の何が湿っていて、その湿りが何を意味しているのか、上手く言語化できない。絵にすれば、少しは形に出来るだろうか。

 無言の私を気遣うように、ジョン・スミスは苦笑する。それが却って私を気疲れさせた。


「我々は、そんな人間の集まりですよ。はっきり言って、ジョン・スミスの中に、一人でまともに作品を作れる奴なんかいません。全員が不完全です」

「……皆、不完全ですよ。完璧な人間なんていません」

「貴方は完璧な創作者ですよ。本当に羨ましいです。本当に」


 ジョン・スミスの声に感情が乗り始めた。


「貴方からすれば、そんな我々は無力で愚かに映るかもしれません。しかし、だとしても、自分が今まで生きてきた人生を全て否定することになったとしても、芸術家として成功したかったんです」


 私はゆっくりと首を振り、異を唱える。


「無力で愚かだなんて、思いません。素晴らしい作品の作り方だと思います」

「そうやって悪し様に罵る価値さえないと? 同じ目線で対等に、否定する価値さえないと? 視界にさえ入らないと?」

「……」


 勿論、そんなつもりはなかった。

 しかし、同時に思う。

 そんな風に欠片も思わないことが、愛憎で心が支配されないこと自体が、彼らを傷つけているのかもしれない。 

 自分はこんなに焦がれているのに、相手は自分を敵だとすら思っていない。

 仮に、蟻が人間同様の感情を有しており、人間を対等な敵だと認識していたとする。

 そんな彼らを、人間は悪意なく踏む。大抵は踏んだことに気づいてすらいない。

 そうやって、無心や無感情で殺されることは、敵意や悪意によって殺されることよりも、強い苦痛を当事者に感じさせるのではないだろうか。

 より屈辱的で、より強い後悔を抱かせるのではないだろうか。

 時に命より価値を持つ、尊厳を、蹂躙する行為なのではないだろうか。

 ジョン・スミスの、長く深い溜め息が聞こえた。


「すみません。ジョン・スミスの腕ごときが、喋りすぎました。やはり私は考えない方がいいみたいです」


 本当にそうか? 普段、考えていないから、考えないようにしているから、きっかけ一つで今みたく暴走するのでは? 私は本音を飲み込む。

 代わりに正論を口にした。


「一人で何でも出来る人間なんていませんよ」

「貴方は一人で作品を完成させています。目が見えなくなった後でさえも、人々を感動させ続けています」

「芸術家は、ビジネスの構造上、全て一人で完成させているように見えるだけ。実際は歯車の一部に過ぎません。その立場自体には、羨むほどの価値はありません」


 謙遜ではない。本心だ。芸術家という肩書きは、数多ある職業の一つに過ぎない。そこに過度な幻想を抱くべきではないと思う。

 ジョン・スミスが乾いた笑い声を上げた。


「芸術家として大成した後に、そう言ってみたかった」




 ジョン・スミスと過ごした時間は有意義だった。

 正直、心の底から楽しかったかと聞かれれば、首を横に振るだろう。しかし、彼が有する技術や知見は本物であり、それらに関する話は興味深かった。

 私は会釈しながら、可能な限り優しい声音で言った。


「今日は本当にありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 互いに敬意を払っているからこその、儀礼的な挨拶。私はヒノと共に席を立つ。

 そして尋ねた。


「……最後に一つだけ教えてください」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「歴史に名を残したいというのは、貴方の夢ですか? それとも、千人の芸術家を操る脳の持ち主が掲げた夢ですか?」


 貴方は、貴方の夢を追うべきでは?

 そんな風に、無責任に言い放つことは出来なかった。

 彼は抑揚のない声で呟く。


「……夢が大事などという言説は大嘘です。ほとんどの場合、夢は人を不幸にします。当人だけじゃありません。周りの人間も諸共です。そういう芸術家を、自分は腐るほど見てきました」


 問いに対する回答を、彼はハッキリと明言しなかった。しかし、言わんとすることは伝わった。

 彼は笑いながら続ける。


「私は腕です。腕は夢を見ません。脳の決定に従うだけですよ」

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