第17話 個性と無個性①


「個性的な作品が売れるとは限らないでござる」


 かつて師匠は私に言った。まだ八才になったばかりの私に。

 晩御飯の途中だったため、ぶっちゃけ私は「またいつもの難しい話か。早く終わらないかなぁ」と聞き流していた。

 それでも、表情だけ真剣な私に向けて、師匠は授業を続けた。


「しかし、没個性的であることが不利に働くのもまた事実でござる。他の作品と類似していれば、埋もれてしまう可能性は高まるでござる。『良い作品が必ず日の目を浴びる』などという言説は幻想でござる」


 良い作品が評価されるとは限らない。その点は、当時の私にも理解できた。

 師匠の作品には、目が飛び出るほどの高値が付く作品もあれば、何の利益も生まない作品もある。

 なぜ高値が付くのか分からない作品が沢山ある。

 なぜ高値が付かないのか分からない作品も沢山ある。

 つまり、私が思う作品の良し悪しと、価値の多寡には、隔たりが存在するのだ。

 そして師匠は、どんな作品が評価されるのか、どんな作品が売れるのか、完璧に把握している。

 師匠は自嘲的に笑った。 


「結局、作品の評価を決定付けるのは塩梅でござる。大前提、作品は分かりやすく個性的でなければならないでござる。気付かれない個性は無価値でござるからな」


 師匠がステーキを頬張る。釣られて私も、なれない手つきでナイフとフォークを操り、ステーキを切り分けて、口の中へ放り込んだ。美味しい。


「しかし、あまりに逸脱した個性は、受け手から拒絶されてしまうでござる。だからこそ。ある域を脱しない程度に個性的であることが求められるでござる」


 ある域を脱しない程度に個性的。

 そうやって調整された個性が、果たして本当に個性と呼べるのだろうか? それは、個性的なフリをしているだけの偽物ではないだろうか? 

 そんなカッコいい疑念が脳裏によぎったが、ステーキの美味しさには勝てなかった。


「そして、作品の完成度が一定の領域を超えてしまえば、その後の売買やオークション等は盤外戦でござる。そこに作品の良し悪しが介在する余地はないでござる」


 盤外戦の主役は画商や好事家。画家ではない。

 そこへ画家が出張るのは、武器職人が戦地で闘うようなものだ。つまりは自殺行為だ。師匠と仲の良い画商が、そんな事を言っていた。

 ようやく講釈に区切りがついたようで、師匠は手元のグラスに並々と注がれたワインを一気に飲み干す。


「誠に残念でござるが、作品で世界は変わらないでござる。一枚の絵が戦争を止めるなどという奇跡は起こらないでござる」


 世界一の画家である師匠が言うと、説得力が違う。

 彼女は遠い目で呟く。 


「世界を変えたい作家が作るべきは、作品ではないのかもしれないでござる」


 ステーキを飲み込んで、私は何気なく尋ねた。


「じゃあ、何を作ればいいの?」


 師匠は無表情で答えた。


「無論、世界でござる」




 強い衝撃を感じて、私は夢から目醒めた。

 おそらく、小石に躓いた馬車が大きく揺れたのだろう。寝ぼけた頭で推測する。

 ……懐かしい夢を見ていた気がする。


「あっ! マーちゃん起きた!」


 横から、ヒノの嬉しそうな声が聞こえた。穏やかに返す。


「うん、起きたよ。おはようヒノ」

「ヒノね、疲れてるマーちゃんが起きないように、ずっと静かにしてたよ!」

「そっか、頑張ったね。ありがとう」


 声を頼りに手を伸ばし、ヒノの頭を優しく撫でる。

 するとヒノは嬉しそうに返した。


「じゃあ、もう叫んでいい!?」

「え? 別にいいけど」

「うおぉー! 自由だー! ふあぁー! うぇーい!」


 ヒノの大声が、馬車の外に鳴り渡った。窓から顔を出し、叫んでいると思われる。

 そんなに我慢してたのか。何かごめん。

 しばらく騒いで満足したのか、ヒノは私の隣へ戻ってきた。そして質問する。


「これから会う芸術家さんって、どんな人?」


 私はすぐには答えられなかった。


「実は情報がほとんどないんだよね。分かってるのは名前くらい」

「なんて名前?」

「ジョン・スミス」

「……キョン?」

「人間だよ」


 どうして急に、鹿に似た動物の名前を口にしたのだろう。ヒノのセンスは謎だ。

 彼女は更に問いを重ねた。


「本当に、何にも分からないの?」

「一応、作品については知ってるよ。絵画だけじゃなくて、戯曲も書くし、彫刻も作るし、建築物の設計もする。かなり多才な人だよ」

「へー! ダ・ヴィンチみたい!」

「だびんち? 何それ?」

「えっとね、ざっくり言うと神絵師だよ!」


 出た。ヒノの大好きなカミエシ。興味本位で聞いてみる。


「テヅカオサムと、どっちが凄いの?」

「ヒノは手塚治虫の方が好き!」


 良かったね、手塚治虫。ドンマイ、ダ・ヴィンチ。

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