第15話 画家と詩人②

「それで? 結局の所、貴様は何のためにこんな所まで来たんだ?」


散々喋った末、ようやく人魚ちゃんは最初に聞くべき質問を投げてきた。私は雑に返事する。


「たまたま近くを通ったから寄っただけだよ」

「貴様らしくないな。あれだけ無駄を嫌う人間だったのに」

「気付いたんだよ。物事の要不要を正確に判断できるほど、私は賢くない」

「今さら気付いたのか?」

「……うん、今さら気付いた」


 いつだって人間は、失ってから気付く。

 この言葉の真意にさえ、私は失ってから気付いた。

 言葉自体は、何年も前から知っていたのに。

 これ以上、この話題は広がらないと判断したのだろう。人魚ちゃんは咳払いする。


「では質問を変えよう。これからどこに向かう?」

「特に決めてない。色んな所を巡ってみるつもり」

「見えないのに?」

「見えるものだけが全てじゃないよ」

「フッハッハ! 過去の貴様が今の言葉を聞いたら、価値観の相違に耐えきれず嘔吐しそうだな!」


 笑われるのは腹立たしいけど、反論も思いつかない。

 短い期間で嫌というほど思い知った。人間というのは、簡単に変わる。

 性格も、価値観も、容姿も、能力も、声も、匂いも、不変なものは存在しない。

 だとすれば。

 特定の何かを愛する時、私達は何を拠り所とすればいいのだろう。

 ……私は、ヒノの何を愛しているのだろう。

 答えが出ないであろう問いに嵌りかけたタイミングで、ヒノが声を上げた。


「これ、マーちゃんの新しい絵! 昨日、ヒノにくれたの!」


 宴会の席などで、親戚の子供が、大人同士の会話に無理やり割り込む様を想像させる口調だった。

 どれどれ、と呟きながら、人魚ちゃんの声が近づいてきた。ヒノにあげた絵を確認しているのだろう。

 ヒノが遊び回る姿を想像し、それを描いた絵だ。草原の中を、蝶と一緒に、満面の笑みで跳ね回るヒノ。触って確認したので、顔立ちは正確に描けたはず。

 ここで一つ、私は思考的な過ちを犯した。

 人魚ちゃんが、素直に私の絵を褒めてくれるかもしれないと、少しだけ期待してしまったのだ。


「フッハッハ! これを貴様が描いたのか!? あの魔女が!? こんな可愛らしい絵を!? こりゃ傑作だ!」


 人魚ちゃんの大笑いが、部屋中に響き渡った。私は口をヘの字に曲げる。


「どう思ってくれても別にいいよ。趣味の絵だし。人魚ちゃんのために描いた訳じゃないし」

「怒るな。褒めているのだ」


 じゃあ褒めろ。笑うな。

 笑いの余韻が残った声で、人魚ちゃんは続ける。


「かつて私は貴様の絵が大嫌いだったが、今の絵はちょっと嫌いだぞ」

「まだ好きにはなってないんだね」

「マシにはなったさ。吾輩は明るく楽しい絵の方が好きだ」

「暗い絵に比べると、あんまりお金にならないけどね」

「相も変わらず、貴様は金が大好きだな」

「私の金銭欲は人並みだよ。人魚ちゃんが、お金に興味なさすぎるの」

「マーちゃんはお金大好きだよ!」


 ヒノ、静かに。

 ヒノの台詞に感化されたのか、人魚ちゃんは私に質問する。


「【極夜】や【戦禍】のような作品は、もう描かないのか?」


 いずれも、私の作品の中で、トップクラスの高値が付いた絵だ。

 少しだけ考えてから応じた。


「……うん。暗いのは、もういいかな」

「世界中の画商と好事家は、お前が描く苦痛と絶望を求めているぞ」

「知ったこっちゃないよ」


 私の絶望で喜ぶな。私の苦痛で笑うな。私の痛みで踊るな。

 強く期待していた訳ではなかったのか、人魚ちゃんは私の発言をさらりと流した。


「分かった。あいつには、そう伝えておこう」

「あいつ?」

「ある画商だ。先日、私の元を訪れて『魔女に会いたい』と言ってきた。お前が言う『暗い絵』を手に入れるために、何年も世界各地を渡り歩いているそうだ」


 私は返事に詰まった。住んでいる場所等の情報を曖昧にしているため、こういう事態はしばしば起きるのだ。


「何か、申し訳ないなぁ……」

「気にするな」

 

珍しく人魚ちゃんが私を庇った。彼女は朗々と言う。


「芸術を愛する全ての連中にとっては不都合な話だが、芸術は我々芸術家の一部でしかない。本当の意味で、芸術に全てを捧げている人間が、芸術の世界で評価されているのを、吾輩は未だかつて一度も見たことがない」


 本当の意味で、芸術に全てを捧げる。

 それは、人魚ちゃんがよく言う台詞だ。

 そして、「自分はそれが出来ない」という台詞も頻繁に言う。

 芸術のために生まれ、芸術のために生きて、芸術のために死ぬ。

 それが、人魚ちゃんの理想だったそうだ。 

 でも失敗した。彼女の計画は私の師匠に阻まれ、そして人魚ちゃんは生き延びた。

 そして人魚ちゃんは画家を引退した。

 しかし翌日には詩人となった。

 それから一年足らずで、詩人として大成してしまった。もはや画家だった頃の彼女を覚えている人間などいないだろう。

 そんな彼女の言う、「自分は芸術に全てを捧げることが出来ない」という言葉は、重い。

 ほぼ無意識的に、私は人魚ちゃんに尋ねた。


「人魚ちゃんの詩は芸術じゃないの?」

「吾輩のは大衆娯楽さ。客層を見れば一目瞭然だろう。」


 確かにそうだな。

 本人の言う通り、人魚ちゃんの詩は、大衆からの支持によって、その価値を高めた。

 彼女の詩が、大衆に支持される理由は、そのスタンスに依るところが大きい。

 人魚ちゃんは、絶対にお金で自分の作品を売らない。

 代わりに、物々交換を要求するのだ。

 自分が欲しいものと引き換えに、自身の詩を渡す。

 この城も、詩と引き換えに得た対価である。

 余談だが、お城で働いているメイドさんの中には、自分の人生と引き換えに、詩の所有権を入手した人もいるらしい。とんでもない覚悟だし、その提案を受け入れる人魚ちゃんも正気とは思えない。

 そんな人魚ちゃんの詩がどれほど凄いのか、ぶっちゃけ私はピンと来ていない。凄いものだと言われれば、凄い気もするけど。

 おっと、思考と話題が逸れかけている。


「ちなみに、その画商さん、どんな人だった?」

「怪しい奴だったよ。黒の長髪を、整髪料で固めていて、やたらと気取った背広を着ていた」


 容姿を想像して、疑問を抱く。


「聞いた感じ、そんなに怪しくなさそうだけど」

「確かに、見かけだけは立派だったな。だが、奴はこう名乗ったんだ」


 勿体ぶってから、人魚ちゃんが言った。


「初めまして。私は詐欺師です」

「……怪しいね」


 ふと、知人の画商が言っていたセリフを思い出す。

 画商と詐欺師は紙一重。


「そういえば、もう一つ特徴があったな」 

「どんな特徴?」

「巨乳」


 ……女性だったのか。

 詐欺師を名乗る画商(巨乳)

 どんな奴だよ。助平な画家に色仕掛けでもするのかな?

 いや、巨乳も偽物かもしれない。そこから詐欺は始まっているのかもしれない。

 ……どうでもいいか。

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