第13話 馬と鹿
ある小さな村で馬車を停め、露店で買い出しをしていると、広場めいた場所で言い争う人々に遭遇した。
「絶対に馬だ!」
「いや違う! 鹿だ!」
「オレは馬だと思う!」
「何言ってんのよ! 鹿に決まってるじゃない!」
ふむふむ、何の話かちっとも分からない。
もっと有用な情報を手に入れるため、ヒノに先導してもらって人々の方へ近づく。すると、その内の一人が聞いてきた。
「なぁ! そこの二人! これ、馬だよな!?」
直後。もう一人が素早く言葉を滑り込ませる。
「鹿だよな!?」
私は顎に手を当てて、隣のヒノに耳打ちした。
「ヒノ、私の質問に答えて」
「いーよ!」
元気よく答えるヒノ。私は続ける。
「今、目の前にいる動物に、蹄はある? 蹄の意味は分かるよね?」
「うん! 蹄、あるよ! 」
「蹄は、二つに分かれてる? 分かれてない?」
「分かれてるよ! 真っ二つだよ! ピースサインに見えなくもないよ!」
なるほど、偶蹄目か。ならば次は。
「角は付いてる?」
「付いてるよ! 立派なのが雄々しく屹立してるよ!」
その言い方やめて。何となく卑猥な気がするから。
「角は枝分かれしてる?」
「してないよ!」
ほう。これは、ひょっとすると……。
「他に気になる情報があれば、どんな些細なことでもいいから教えて」
「よだれダラダラ垂らしてる! 眠ってる時のマーちゃんみたいに」
「わ、私は垂らしてない」
「垂らしてるよ。ヒノ知ってるもん」
「垂らしてないもん」
主張を受け流して、ヒノは気付いたことを言う。
「あとね、後ろの足が一本、ちゃんと動いてない。怪我してるのかな?」
「……他に気になることは?」
「震えてる。寒いのかも」
……なるほど。
「分かりました」
私が言うと、周辺の人々は一斉に沸き立った。
「馬だよな!? こいつ、馬だよな!?」
「鹿だよな!? 絶対に鹿だよな!?」
私はゆっくり首を横に振った。
「これは牛ですよ」
私の回答に、周囲の人間は押し黙った。
そして、一人の男性が笑い声を上げる。
「牛? バカを言うな。牛ってのは、もっと角がごつくて、身体も筋肉質だ。それに模様も違う」
「衰弱してるんだと思います。呼吸もおかしいし。模様が違うのは、単純に種類が違うからだと思います」
丁寧に説明しても、反応は微妙。
「え〜?」
「納得できないな~」
私の説は概ね不評だ。首を突っ込むべきじゃなかったかもしれない。
ほんの少し後悔していると、先ほど笑い声を上げた男性が私に聞いてくる。
「てかさ、この動物、最近よく見るんだよ。どこからやって来てるんだろうな」
「種類からして、おそらく家畜だと思います。どこかから逃げ出してきたんでしょう」
「じゃあ持ち主に返した方がいいのか?」
迷った末、私は努めて笑顔で返答する。
「返さなくて大丈夫だと思います」
「ラッキー! そうと決まれば今日は宴会だ! 皆、こいつ連れてこうぜ!」
モー、という力ない鳴き声と、群衆の喧騒が遠ざかっていく。
私は声を張り、誰にともなく聞いた。
「待ってください。その牛……じゃなくて生き物、どうするんですか?」
男性は声を弾ませて答える。
「知らないのか? この生き物の肉、すっごく美味いんだぜ!」
◇
断る間もなく、私とヒノも宴会の場に招集されてしまった。過去にこういう経験がなかったので、逃げ方が分からなかった。無念。
村人の自宅らしき家にお邪魔して、大きなリビングっぽい部屋に入り、大きなダイニングテーブルの前に座った。多分。座っているのは木製の椅子だと思う。
何一つとして確かな情報のないまま。ヒノと一緒に大人しく待っていると、大きな声が部屋に響き渡った。
「ほら! 出来上がりだ! 馬鍋だ!」
すかさず誰かが否定する。
「違う! 鹿鍋だろ!」
「馬鍋だ!」
「鹿鍋だ!」
「馬!」
「鹿!」
牛です。絶対に牛です。さっき『モー』って鳴いてたし。
心中で嘆息すると同時に、ヒノの嬉しそうな声が右隣から聞こえてきた。
「マーちゃん! すごいよ! おいしそー!」
取り返しのつかない事態へ陥る前に、私は小声で忠告する。
「ヒノ」
「なに?」
「この街の食べ物は、絶対に食べちゃダメ」
「えー!? 何で!? 食べたい食べたい食べたい食べたい!」
駄々をこねるヒノに、私は真実を教えてあげることにした。
「……ちょっと耳貸して」
私の話を聞き終えた頃には、ヒノの顔は真っ青になっていた。心苦しいけど仕方ない。
近くにいる女性が、私達に尋ねる。
「どうしたの? 食べないの?」
「だ、大丈夫。お腹、減ってないから」
強い意思を感じさせる口調だ。
【この料理を食べたら死ぬ】と言われて、流石に食欲も失せたらしい。
私はヒノに加勢した。
「私たち、宗教上の理由で断食中なんです」
「なるほど。それなら仕方ないわね」
結局、私達は村を出るまで、水さえも口にしなかった。
◇
村を出た後。
馬車の中で、私はヒノに詳しい話を教えてあげた。
「あの牛はね、【牛狂い】っていう病気だったんだよ」
「牛狂い?」
ヒノのおうむ返しに頷く。
「そう。牛の病気なんだけど、病気の牛を食べると人間にも感染しちゃうの。発症から一年くらいで、ほとんど身動きが取れなくなっちゃうんだよ」
さっき、ヒノに『食べたら死ぬ』と言ったのは、いかに危険かを迅速かつわかりやすく伝えるためだ。
ヒノの気落ちした声が聞く。
「治してあげられないの?」
「うん、治療法は見つかってない」
わたしたちにはどうする事もできない。
自分の無力を知るのは、とても辛いことだ。しかし、 出来ない事を知らなければ、出来る事もわからない。
自分に出来る事が分からなければ、いつか誰かを救うチャンスが訪れた時、みすみす棒に振ってしまうかもしれない。
だから、知ろうとすることを止めてはいけない。
何でも出来ると思っている人間には、何も出来やしないから。
自分に言い聞かせていると、ヒノが呟いた。
「……悲しいなぁ」
「……うん、悲しいね」
遥か遠くから、微かな牛の鳴き声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます